私たちは、常に評価の目に晒されて暮らしています。「いいね!」という言葉にも、「おまえを評価してやる」という意味が含まれています。人間関係が希薄になる中で、裁きの目を浴びている。今、あなたに必要なのは、あなた自身を全力で肯定する言葉です。私はコミュニケーション・コンサルタントとして、小学生から政治家までを「言葉の力」で応援してきました。現場で培ったノウハウで、エールを送りたい。あなたを、丸ごと、全力で肯定します。
【第22回】「向上心がありません。」
常に成長しなければいけないのでしょうか? 目の前にあることを、粛々と進めるだけではいけないのでしょうか? 上を目指せ、業績を上げろと言われますが、それは私の幸せにつながるのでしょうか? 向上心に燃えていた頃もありました。でもそれは持続しません。疲れてしまいます。私は昭和の年功序列社会でも良かったと思っています。実力主義では、能力のない人間や向上心のない人間は無価値だと言われているようなものですから。人生100年時代なんて、冗談じゃありません。あと何十年、成長を強いられるのでしょうか。
(ぬるま湯 45歳)
ぬるま湯さん、メッセージ、ありがとうございました。
ぬるま湯さんの「向上心」に関する思いに共鳴します。
もっとも私は昭和に育った人間なので、お気持ちのすべてをわかると言えば、嘘になるでしょう。
私の育ってきた時代は、子どもの頃が高度経済成長期でした。
偏差値で大学が振り分けられましたが、その先の企業は年功序列で終身雇用。
会社は安泰、向上心をもって努力をすれば給料も地位も上がるという環境で暮らしていました。
だから、氷河期時代を生き抜いてきたぬるま湯さんの気持ちが「わかる」と言えば、嘘になる。
「わかるもんか!」という気持ちをもたれるものだと思っています。
だから、私の世代からのアドバイスしかできません。
その点はご容赦ください。
一番感じるのは、私と同世代の不勉強です。
自分以外の育った環境を知ろうとしない態度です。
多くの企業の社長や役員、ジャーナリストや政治家といった社会的責任のある立場に、私の同年代がたくさん就いています。
同じ時代を生きた仲間が、世の中を牽引する姿に敬意を表すると同時に、「ちょっと待ってくれ」という思いがあります。
彼らの多くが、自分が生きてきた時代のやり方で、今の時代をひっぱろうとしているのではないか。
日本も会社も安泰で、働けば働いた分、企業も自分も成長できるという神話を信じているのではないか。
人の幸せは、成長し、競争に勝ち、社会的ポジションと金銭的余裕によってもたらされると、腹の底から思っているのではないか。
そうでなければ、30年前と同じような企業の枠組みで、ノルマを課したり、前年度と比べて一喜一憂しているわけがないと思うのです。
もちろん企業ですから、収益が上がることは大切です。
しかしそのために、社員の向上心を煽り、兵隊のように扱っていたのでは、誰もついてこなくなる。
同世代はそれに疎い気がするのです。
よほど過去の成功体験がすごかった。
そこから抜けられずにいるのでしょう。
残念なことにぬるま湯さんは、こうした過去の栄光にしがみつく人の下で、働いているのです。
楽しいわけがない。
「成長」や「実力」が、結局は「金儲け」にしかつながってないことに違和感を覚えるのは当然のことでしょう。
私が、こうした思いに至るのは、毎週大学で若い子たちと接しているからです。
先日私は、講義の中で、安易に「人は成長してこそ、生きている実感が味わえるものだ」と言ってしまいました。
その日に学生が書いてきた講義の感想は、
「私は、家族で時々焼肉を食べにいくときに幸せを実感します。両親もそう言います。私は、企業でがんばることよりも、家族で焼肉を食べにいくことに価値を見いだす人間でいたいと思います。生きている実感とはそういうことではないですか」
「静かに暮らしたいのに、いろいろな問題が、絶えず私に降ってきます。目的をもって前に進むことなんてできない。降ってきた問題に絶えず答えを出すことで精一杯です。この上、成長しなくてはいけない人生なんていやです」
「私は、成長なんて考えたくありません。そんなことより、毎日じーんと心に響くことを大切にしたいです」
といったもので溢れかえりました。
多くの学生が、ぬるま湯さんに似たような気持ちをもっている。
だから、ぬるま湯さんに共鳴すると冒頭で書きました。
すべてわかるわけではないことを承知な上で、「気持ち、わかります」と書いたわけです。
成長とは、絵の具の色数が増えること
私の人生を振り返っても、「成長」を実感できたことはほとんどありません。
この年齢になったから、後付けで「成長」したようなことを言っていますが、その時は、ただ悶々として、ジタバタしているだけでした。
向上心をもって、ことにあたり、成功した体験などほぼありません。
成績がよかったり、儲かったりしたときもあったけれど、それを「成長」なんて感じることはく、「まぐれ」くらいにしか思えませんでした。
ただ、感じるのは、向上心を持とうが持たなかろうが、失敗しようが成功しようが、何かをやれば、さまざまな感情が起きます。
挫折、悔恨、あきらめ、喜び、感謝、反省、有頂天、友情、愛情、孤独……まるでパレットの上にチューブから絵の具が出されるように様々な色彩が増えていきます。
成長というものは、この色彩が増えていく感覚を言うのではないかと、最近私は思い始めています。
感情を織りなす絵の具の色が増えていく。
それで、人の気持ちがわかるようになる。
自分に湧き上がった感情を、過去の色と比べることができる。
こんなふうに、人と自分を理解するための色彩が増えることを「成長」と言いたいものです。
どんなに向上心が高くても、それが赤一色にしか染まったものでしかなければ、あまりに単純です。
相手の心情など理解できないでしょう。
私は、この手の輩こそ、無価値だと思うのです。
ただのわがままですから。
ぬるま湯さんにも、「成長」とは、心の色数を増やすことだと考えてもらえると嬉しいです。
そうすれば、美しい海を見ることも、ハラハラドキドキする映画を見ることもみんな「成長」につながる。
それでいいのではないでしょうか。
一生、ジタバタでいい
最後に、向上心について書きます。
先に学生が書いたように、この時代は、色々な問題が絶えず降ってきます。
パンデミック、戦争、大災害、経済危機……そんなことが日常茶飯で起き、誰も彼もがアップアップなのが現状ではないでしょうか。
降ってきた問題に、答えを出す。
これはもう立派な向上心です。
答えを出さなくてもいい、ジタバタしているだけで、ぬるま湯さんは、立派にこの理不尽な世界と戦い、価値ある人間になっているのですから。
私は、向上心という言葉が嫌いです。
一生、ジタバタ。これでいいと思っています。
ぬるま湯さんの心のパレットがきれいな色でいっぱいになりますように。
応援しています。
ありがとうございました。
ひきたよしあき
(イラスト 江夏潤一)
連載一覧
- 第1回 あなたを全力で肯定する理由
- 第2回 私は自己肯定感が低いです。
- 第3回 コミュ障です。
- 第4回 コスパの悪い人間です。
- 第5回 ダメ上司です。
- 第6回 本気で人を好きになれません。
- 第7回 夢がありません。
- 第8回 若い子には勝てません。
- 第9回 社畜です。
- 第10回 不寛容な人間です。
- 第11回 老害でしょうか。
- 第12回 母親失格です。
- 第13回 モテない男です。
- 第14回 口下手です。
- 第15回 都合の良い女です。
- 第16回 ネガティブ思考です。
- 第17回 アピールポイントがありません。
- 第18回 妻に怒られてばかりです。
- 第19回 親を大切にできません。
- 第20回 自分、性格悪すぎです。
- 第21回 問題意識が強すぎて疲れます。
- 第22回 向上心がありません。
- 第23回 私は変わるべきなんでしょうか。