普段着としての名著【第10回】失敗した焼き芋屋の屋台と『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』|室越龍之介
【第10回】失敗した焼き芋屋の屋台と『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 「売買の身体感覚」 文化人類学を勉強するために大学院へ進学した時のことである。指導教員から海外で調査地を決めるよう勧められ、僕はキューバを選んだ。先生は「キューバを選んだのならば、日本語で書かれた論文や本は全部読むように」と言った。「キューバを選んだのならば」というのは、中国や韓国やタイといった日本人の研究者が多い地域を選んだのならば、日本語文献も膨大になって読み切ることはできないだろうが、キューバぐらい日本人研究者の少な ...
普段着としての名著【第9回】『ヨブ記』とその昔赤ちゃんだった人々|室越龍之介
【第9回】『ヨブ記』とその昔赤ちゃんだった人々 僕たちは世界に遅れてやってくる 「10ヶ月もお腹の中にいたくせによくそんな生意気な口をきける」と母に言われたことがある。 10ヶ月もお腹の中にいるのは、すべての人類にとって避け難い事態である。母親の腹を借りずに、この世に生まれ出たものはいない。 卵生の生き物だって、卵の時分は母胎の力を借りねばいけない。 思えば、単細胞生物だって、自分のコピー元となった分裂前の個体がいた訳だ。本当の始原に生まれた生き物以外は、大抵母のしがらみの中で生まれざるをえない。 これが ...
普段着としての名著【第8回】「人間」であることと『女らしさの神話』|室越龍之介
【第8回】「人間」であることと『女らしさの神話』 河の1kgカレーと「男らしさ」 最近めっきり食べられなくなった。 25歳の時に最初の衰えを感じてから干支が一回りしたが、食べられる量はどんどん減っている。 ラーメンの替え玉ができなくなった。一杯食べれば満腹になってしまう。 牛丼を大盛りにすることも減ってきた。それどころか、以前は存在理由が理解できなかった小盛りを注文することもある。 替え玉用に多めに残したスープの入ったどんぶりを見て、なんだかもの寂しい気持ちになる。 物悲しい気持ちになるのも奇妙だ。なぜな ...
普段着としての名著【第7回】AIに生成された僕と『ソクラテスの弁明』|室越龍之介
【第7回】AIに生成された僕と『ソクラテスの弁明』 僕と僕のようなもの 少し前に同人誌を出した。 2024年の文学フリマ福岡という同人誌のイベントで頒布するためだ。企画、編集、装丁など全てを友人のデザイナーが請け負ってくれた。僕の担当パートは彼女の指示に通りに小さなエッセイを数編書くだけだった。 出版に関わるほとんど全ての工程を友人が受け持ってくれていたにも関わらず、僕は締切りをしばらく過ぎてエッセイを送付した。エッセイのテーマは特にない。自由に書いて良いというので、却って書くことに困ったのである。テーマ ...
普段着としての名著【第6回】凶のおみくじと『自省録』|室越龍之介
【第6回】凶のおみくじと『自省録』 七文字にていう 東京に越してきてからというもの、時々栃木県に行く。 用事はバラバラなのだが、東京駅から栃木県の宇都宮駅まで新幹線で45分とかなり近いことがわかったのが大きな理由だ。 僕にとって宇都宮は食い道楽の街だ。美味しいレストランがたくさんある不可思議な都市である。 元々宇都宮にはほとんど何の縁もなかったが、市内でイチゴを生産している高橋農園という農家さんとネット上のふとしたきっかけで知り合った。彼らが経営するパフェ屋さんがよく行列ができるほどの評判だというので、食 ...