K-BOOK フェスティバル 2022 にて、書籍『それぞれのうしろ姿』著者・現代美術家のアン・ギュチョルさんと、評論家・京都芸術大学教授の浅田彰さんのトークショーが開催されました。ファシリテーターは『それぞれのうしろ姿』の翻訳を手がけた桑畑優香さん。「韓国のナポリ」とも称される海辺の街・統営からアンさん、京都から浅田さん、東京から桑畑さんがオンラインで集結。「対談はシナリオなし・予定調和なしが面白い」というお二人が「モダンアートと BTS・RM の美術眼」について熱いトークを繰り広げました。
<実際の対談の様子はこちらから>
https://www.youtube.com/watch?v=aad5Rwd_koc&feature=youtu.be
アンさんと浅田さん、お二人の BTS の縁
桑畑優香さん(以下桑畑):アン先生は作家であり現代美術の作り手。浅田先生は評論家でありながら、韓国生まれのアーティスト、ナム・ジュン・パイクと親交があり、実は韓国の現代美術と深い関わりをお持ちです。そしてもう一つの共通点がなんと、BTS なんですよね。アン先生の著書『それぞれのうしろ姿』のページを RM が Weverse(会員制 SNS)に投稿し大反響となり、その噂が日本にも届き日本語翻訳版が出版されるに至りました。アン先生、その時のことを覚えていらっしゃいますか?
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アン・ギュチョルさん(以下アン):昨年(2021年) 5 月、韓国で本が出版されたタイミングに釜山で個展を開催したのですが、そのオープニングに RMさんがいらして。BTS の存在は知っていましたが、メンバー構成や楽曲等について当時はまだよく知らなかったんです。T シャツ姿で野球帽を被った若者が「サインを下さい」と声をかけてくれたので、何気なく「お名前は何と言いますか?」と聞いたところ、RM ではなく「ナムジュン(RM の本名)と書いてください」と。帰宅後家内からは「RMさんのサインを貰わずに、あなたがしてあげてどうするの!」と小言を言われ怒られました。約 2 週間後に出版社から RMさんの一件で大騒ぎになっていて、急遽重版することになった、と話を聞きました。
桑畑:一方、浅田先生は昨年 11 月に病気療養中の音楽家・坂本龍一さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『RADIO SAKAMOTO』(J-WAVE)に、坂本さんからの依頼でピンチヒッターを務められ、BTS についての素晴らしい講義をされ大きな反響を呼びました。朝日新聞のオピニオン欄でも BTS についてお話しされていましたね。
浅田彰さん(以下浅田): BTS が出てきたときは「元気が良くて戦闘的なやつらが出てきたな」と思ったし、その後もある程度フォローはしたけれど、アイドル路線になってからは、ポップ・ミュージックだから売らなきゃいけないし、それにしてはなかなかいい曲もある、という程度で遠くから眺めてたんですね。興味が再燃したのは『ON』を聴いたとき。最初期の曲で「大人の社会からの抑圧と戦おう、君たちも社会にNOと言え」と呼びかける『N.O』をひっくり返すと『ON』になるわけですが、「苦痛を持って来い、オレたちはそれを血肉として戦う」と歌うこの曲は、アイドル路線で成功し世界的大スターになったBTSの初心に帰っての戦闘宣言という感じで、「こいつら根性あるな」と感心したんです。その直後にパンデミックになり、世界中の人々を元気づけるようなポップ・ソングを出して次々にヒットさせた。それはそれで素晴らしいけれど、そういうポップ・ソングではすまない何かが彼らにはあると思いますね。
「直角」と「ゆとり」の問題点①
アン:私は 1970 年代半ばにソウル大学美術学部で美術教育を受け、卒業後は中央日報社という新聞社で美術雑誌『季刊美術』の編集部に配属され、記者として 7 年間働きました。1984 年の日本出張の際に東京でナム・ジュン・パイクの回顧展とヨーゼフ・ボイスの個展を見て「美術家として再び美術の仕事をしたい」と決心し退社、1987 年にドイツのシュツットガルトに留学し、遅ればせながら美術家としてのキャリアをスタートさせました。ある種必然的に文章を書き、同時に美術の創作をする、という独自のスタイルを確立しました。
文章と美術、二つの異なるジャンルですが、私にとってはまるで左手と右手が交互に共同作業をしているような関係なんです。椅子、扉、外套、靴、トンカチ、といった日常のささやかな物たちを変形させたり、異なる要素のものを結合させたりすることで、物語を一つずつ作っていく。そのような作業を経て作品を創り上げています。
初期の作品では、不条理な物たちの形態を通じて、この世の不条理について再考し、振り返りながら作業していました。若い頃に経験した韓国の軍事独裁時代に対する自分の内側からの根本的な反応として、このようなテーマに関心が向いたのではと考えています。近年は公共の美術館で大規模なインスタレーションを発表することが増えています。『それぞれのうしろ姿』にも掲載されているようなドローイング作品は「文章と美術の共同作業」の結果、形になったものです。
浅田先生には『それぞれのうしろ姿』に掲載した「直角の問題」に興味を持っていただいたと伺ったので、そのことについて少し。先日のハロウィーンにソウルの梨泰院でとても痛ましい惨事が起きました。私がドイツから帰国した 1995 年の 6 月にはデパートが崩壊し、その前年には漢江にかけられた橋が崩落、大惨事が立て続けに起こりました。
当時の私は「我々にこのような惨事が立て続けに起こるのは、私たちに『直角』がないからだ。(正確には)様々な角度のものが『直角』として捉えられていることが問題だ」と書いたことがあります。89 度でも 91 度でも「直角」になりうる、過去の名残で韓国でも使われている日本の言葉「ゆとり」が美徳のように通用してしまっている社会が続く限り、引き続き惨事が起こらざるを得ないだろう、と。この文章の発表後、私は融通の利かない、機械のような、ドイツ軍将校のような、「直角」のような人間と捉えられるようになったんです。当時の韓国社会は人々の間、そして人々と物事の間で緩い誤差が許容され、通用していました。が、パソコンや自動車を売って利益を得るには「直角」がない状態を放置したままでは大変なことになる、と指摘したわけです。2020年になって改めてそのことを振り返り、記したのが「直角の問題」です。芸術家は社会の規範やルールを乗り越えていく存在だと思いますが、私自身はむしろ「直角」を通じて社会規範を強調してきたのではないか……と自省の思いを込め書きました。
【「直角の問題」を通してアン先生のアートの出発点に迫る<中編>に続きます】
(ライター・露木桃子)