『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』 奥野克巳×国分拓 特別対談 「ボルネオとアマゾン、森の民の生き方に学ぶ」第4回

私たちの当たり前をひっくり返し、新しいものの見方と考え方を示してくれる文化人類学。長年、文化人類学者として、ボルネオの森に生きる狩猟民プナンの人々とともに暮らし、研究してきた奥野克巳さんが、これまでの人類学の知見に基づいて昨年6月に上梓した『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』は、現在3刷となっています。

昨年11月には、ジュンク堂書店池袋本店にて、NHKのディレクターで、ヤノマミをはじめとする南米アマゾンの先住民を長らく取材し番組制作を手がけた国分拓さんをゲストに迎えたトークイベントが行われました。今回は、その模様を「コレカラ」にて特別公開いたします。

第4回は、南米の先住民、そしてプナンがいかに文明と付き合っているのかのお話です。

【第4回】文明化することの悲劇

文明を知った先住民は自殺率が高い

奥野:国分さんは、イゾラド以外の先住民、マチゲンガやグアラニーなど他の先住民たちについても、ドキュメンタリーの中で描いています。バルガス=リョサの『密林の語り部』でも描かれていますが、彼らは文明側の人間になっているわけですね。町に捨てられたゴミを採りにいくとか。

国分:今や、完全にそうですね。グアラニーの保護区は、割と大都市に近いところにあって、文明からの影響は大きく、それは悲惨とも言えます。道路ができれば、車さえあれば保護区から行き来ができますから、近代医療も当然、入ってくる。伝統的なシャーマンが治療するよりも、治った気にさせるわけですよね。すぐに頭痛が治まったり、熱が下がったりする。それによってシャーマニズムが廃れていく。そうすると変化はもう一直線で、都市に近いということもあって、その結果、日雇いや物乞い、売春などをするようになります。

また、自殺者も多い。プナンでは自殺者はいないとおっしゃっていたと思いますが、ヤノマミでも自殺なんて聞いたことがありません。しかし、グアラニーなど都市部に近い先住民の保護区では、若年層の自殺率が非常に高いのです。

奥野:そのことについても、国分さんは描いていますね。容易に先住民の人たちが、文明のありがたさみたいなものに囚われてしまう、と。そこで自分たちの価値観とのギャップによって、ついていけなくなり、貧困に陥ったり、将来が見えなくなったりしてしまう。

国分:ええ。刹那的に生きるというか。アルコールとドラッグを常習して、刹那的になり、やがて死んでしまう。

狩猟民として文明社会を生きる

奥野:プナンの場合、東プナンと西プナンに大きく分かれますが、私が調査したのは結果的に西プナンのほうでした。当初は東プナンにいきたいと思っていたのです。そちらのほうがノマドの人々がいるところに近かった。

東プナンは、かつてブルーノ・マンサーというスイス人がプナンと共に暮らし、プナンの森が伐採されることに反対して、国際的なキャンペーンを80年代に張っていました。その後、NGOなどの協力を得て、林道封鎖などを行うわけですが、東プナンの人々は、自分たちの権利を主張するために教育にも力を入れていきます。つまり、自分たちをエンパワーしていったわけです。識字率を上げ、教育水準を上げ、大学を卒業したプナンなんかも出てきました。私は、彼らのことを「闘うプナン」とか「闘う先住民」と呼んでいるのですが、教育水準が上がるとともに、水道や電気といったインフラの整備など要求水準も上がっていき、より文明に近づいていくことを目指すようになりました。

私はそうした東プナンには入ることができず、西プナンの側でフィールドワークを行いましたが、西プナンはけっこうダラダラと過ごしている(笑)。ですから逆によかった(笑)。
彼らは狩猟民のエートスと言いますか、ノマディックな人たちのエートスを持っていると言えます。マレーシアの選挙があるのですが、候補者がお金をばら撒きに来て、プナンはたくさんばら撒いた人に投票しています。彼らにとって、持ち物を惜しみなく分け与えてくれる人が、いい人とされます。文明の側からすれば、たとえば日本の選挙でそんなことをしたら非常にまずいわけですが、プナンはプナンのロジックに従って、文明的な制度である選挙と投票を行っているわけですね。つまり、外側から入ってきたものを自分たちの理屈でひっくり返してしまったり、粉々にしてしまったりする。これは面白いなと思いました。

文明が先住民社会にもたらしたもの

奥野:コロナ禍もあって、3年ほどフィールドワークに行けなかったのですが、先日、久しぶりに訪ねたところ、電気が通っていて、Wi-Fiが使えるようになっていました。若者はスマホを持っていて、WhatsAppで連絡を取り合い、情報交換しています。彼らは文字が読めないため、ボイスメッセージを使用するだけですが。

また、プナンの森ではブタ熱が流行っていて、イノシシが全く取れなくなってしまっていました。そのような状況で、新型コロナウイルスの流行があったわけですが、彼らの語りでは「コロナはプナンを一人しか殺さなかったが、イノシシを全滅させてしまった」と言われます。
つまり、プナンの人々は、ブタ熱のことをコロナだと考えている。スマホを駆使すれば、ブタ熱とコロナの違いはわかるはずなのですが、彼らは自分達の理屈で考え、スマホなどの道具を使うわけです。考えてみると、これはまさにレヴィ=ストロースがいうところの「野生の思考」なんですよね。自分の都合のよいように組み合わせることで、新たなものを作り出していく。

いずれにしろ、プナンはプナンの理屈で、文明の利器も含めて世界を解体し、再構成しているのではないかと思っているのですが、その辺りはイゾラドと大きく違うところかもしれません。単に文明化の道を歩む人とは、プナンは違って見えるわけですね。

国分:文明化したことで幸せそうにしている先住民を、僕はほとんど見たことがありません。基本的に不幸になっているように見えます。南米の先住民も、しばしば「昔のほうがよかった」と言いますね。もちろん、「テレビがほしい」という先住民もいっぱいいますから、もう後戻りはできないのだろうとも思います。プナンのように文明を取り入れてなお、自分たちの価値観でそれをさらに利用していくというような、ある種の思想があればよいのかもしれませんが、当然ながら全部が全部、そういう先住民ばかりではないということですね。

(構成◉大野真)

本連載は毎週火曜日更新の全五回となります。

プロフィール

奥野克巳(おくの・かつみ)
立教大学異文化コミュニケーション学部教授。1962年生まれ。20歳でメキシコ・シエラマドレ山脈先住民テペワノの村に滞在し、バングラデシュで上座部仏教の僧となり、トルコのクルディスタンを旅し、インドネシアを一年間経巡った後に文化人類学を専攻。1994~95年に東南アジア・ボルネオ島焼畑民カリスのシャーマニズムと呪術の調査研究、2006年以降、同島の狩猟民プナンとともに学んでいる。単著に『一億年の森の思考法』『絡まり合う生命』『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』、共著・共編著に『今日のアニミズム』『モア・ザン・ヒューマン』『マンガ人類学講義』『たぐい』Vol.1~4.など。共訳書にコーン著『森は考える』ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ』インゴルド著『人類学とは何か』など。

国分拓(こくぶん・ひろむ)
1965年宮城県古川市(現大崎市)生まれ。1988年早稲田大学法学部卒、NHK入局。NHKディレクター。手がけた番組に『ヤノマミ』(ニューヨークフィルムフェスティバル銀賞ほか)『ファベーラの十字架 2010夏』『マジカルミステリー“工場”ツアー』『あの日から1年 南相馬 原発最前線の街に生きる』『ガリンペイロ 黄金を求める男たち』(ギャラクシー賞月間賞)『最後のイゾラド 森の果て 未知の人々』(モンテカルロテレビ祭入賞ほか)『ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉』『北の万葉集 2020』ほか。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフクション賞受賞。他の著作に『ノモレ』『ガリンペイロ』がある。

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