本屋はいつでも僕を笑顔にする!
「本屋大賞」の立ち上げに関わり、実際に下北沢で「本屋B&B」を
開業した嶋浩一郎による体験的「本屋」幸福論。
【第7回】完全に振り切れた大阪の本屋、波屋書房のすごさとは?
文楽の本を作る仕事を長年しているので大阪に行く機会がしばしばあります。文楽は江戸時代の大阪を代表する芸能ですからね。そして、時間に余裕がある日は国立文楽劇場で太夫と打ち合わせや取材をする前後に、劇場近くの黒門市場や千日前あたりをぶらぶらと散策しています。
大阪の街のイメージは、なんだか、やたらと、活気がある感じでしょうか。どこからやってきたんだろうと思うくらい人がいるときもあって、おっちゃんとおばちゃんがフリースタイルで往来を行き来していて。お店の看板はこれでもかというくらいド派手な文字で、電飾も多かったり、まるでアジアのマーケットのような雰囲気だと感じるときもあります。東京とまったくちがう独自のストリートのバイブスを感じます。
これが大阪だ!と感じた千日前の垂幕
そういえば、2011年の7月に地上波のアナログ放送が終了しデジタル放送になる日がありましたよね。10数年ちょっと前ですが、当時は今よりもっとテレビの影響力がありました。持っているテレビが映らなくなるのか? なんてことが話題になったときでした。
それよりさらに数年前いつものように千日前を歩いていたんです。そしたら、商店街のアーケードに大阪のテレビ局が作った巨大な懸垂幕がかかっていて、ちょっと記憶が定かじゃないんですけど、「地上波デジタル放送開始までちょうど千日前」みたいなキャッチコピーがデカデカと書いてあったんです。びっくりしましたよ。地上波デジタル開始のちょうど千日前に、まさにここ千日前商店街にいるなんて! いや、そんなことじゃありません。東京出身の僕には、この懸垂幕のセンスに度肝を抜かれたんです。これが、大阪だ! 太くて、強くて、ちょっと抜けてて。そんな印象が心に深く刻まれました。
料理関連の書籍で埋め尽くされた商店街の中の本屋
そんな僕にとってザ・大阪エリアのど真ん中、ミナミのなんば駅からすぐ近くのアーケード街にとんでもない街の本屋があるんです。この本屋さん完全に振り切っています。それが波屋書房。買い物客が行き交う賑やかな商店街にある一見普通の本屋さんですが、中に入るとその凄さがすぐにわかります。入口からかなりのスペースが料理本に埋め尽くされているんです。平積み本はもちろん、天井近くまで。
「鮓」とか、「蕎麦」とか、かなり大きな筆文字で、これまたちょっと大きなサイズの白い厚紙に書かれた見出し板が書棚から主張を持って突き出ています。店頭にも大きな白紙に同じような筆文字で「dancyu2月号 発売中 ラーメン」なんて書かれただけの手製のポスターが貼られていいます。あらゆる色が混在する本と雑誌の海の中で、この白と黒のコントラストがアクセントになって、店内に独特の美的感覚をもたらしています。
そして、主役の料理本ですが、柴田書店が刊行する飲食のプロフェッショナル向けの本から食育の絵本まで、こんな本があったのかと驚愕するほどの品揃え。鮨、蕎麦、天ぷら、フレンチ、イタリアン、中華、パン、ごはん、漬物……あらゆるレシピ本が並びます。もちろん、ワイン、ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、コーヒー、紅茶、お茶……あらゆる酒や飲料の本も。包丁の研ぎ方、バーテンダーの接客法などプロ向けの本も気になります。
いわゆるレシピ本だけでなく、池波正太郎など著名人の通った飲食店ガイド、平松洋子や玉村豊男の食のエッセイ、サイゼリヤの創業者の経営哲学本や、発酵や加熱など科学的な研究書、織田作之助や小川糸のおいしそうな料理が出てくる小説まで。この振れ幅が波屋書房を食の宇宙にしているんです。あ、ちなみにオダサクこと織田作之助はこの書店の常連だったんだとか。そう、この店は年創業の100年以上続く街の本屋なんです。
印象的な小説やマンガの食事シーン
ところで小説などのフィクションに出てくる料理を作ったり食べたりするシーンってすごく印象的じゃないですか? やはり食べる行為は人間の性格というか、性癖というか、そういうものが滲み出るんでしょうね。
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中にはスパゲティを茹でるときに、ロッシーニのオペラ「泥棒かささぎ」をかけるシーンがあります。なんだかパスタが茹で上がるまで期待感がじわじわ高まりそうです。パスタも美味しくなりそうじゃないですか。そんなわけで自分もパスタを茹でる時間にキッチンにオペラを流したりしていました。
『風の歌を聴け』では主人公とバーのマスターの言葉すくない会話がなんだかカッコ良くて、自分もバーにいったら彼らと同じようにコンビーフのサンドイッチとビールを頼もうなんて思ったりね。
決定版は岡崎京子さんの漫画『pink』。マクビティ・ダイジェスティブ・ビスケットにピーナッツバターを塗って輪切りにしたバナナを載せて食べるシーンが出てくるんですけど、これは速攻でレシピを再現してみましたね。90年代のことですかね、もう。
その書店の本棚は、食べ物を中心に世界と繋がっている
話がそれましたが、本屋としてこの品揃えすごくないですか? この料理への振り切り方。
波屋書房さんは元々は一般的な品揃えの本屋さんだったそうなんです。千日前商店街に東京の合羽橋道具街みたいなプロの料理人がやってくる道具街があって、そういうお客さんもいらっしゃることがあって、料理人向けの本をじわじわ増やしていったら今の形になったとお店の方に聞いたことがあります。
食というテーマは、世界を構成するあらゆる事象と繋がりますよね。それは本屋自身と似ています。僕は、本屋は小さな世界だと思っています。本は歴史や経済、宇宙や科学、恋愛からビジネスまでありとあらゆる事象を取り上げています。だから、本屋は世界と人生を構成する全ての要素がコンパクトに詰まった場所なんだ、という話をよくしています。10分で世界旅行が可能な空間だって。
食もそういう側面があると思うんです。例えば、チーズ。チーズを題材に発酵という微生物がおりなす神秘の世界について話をすることができます。そして、チーズは昔日本では「醍醐」と呼ばれていた貴重品。だからその味は「醍醐味」っていわれて珍重された。そんな日本の歴史と言語の話もすることができます。植物性のチーズはサステナブルな人類の未来の話にまで広がっていきますよね。
波屋書房の本棚は食べ物を中心に世界と繋がる場所だっていくたびに感じます。
それは、やたらとお腹がすく本棚だし、自分も料理を作ってみようとクリエイティビティを刺激される本棚でもあるし、食材やワインについて詳しくなろうと探究心、好奇心をくすぐられる本棚でもあるんですよね。そして、夕方ぶらりと立ち寄ると、なんだかお酒も飲みたくなる。そんなわけで、波屋書房で買った本を手にして大阪にきたら必ずでかけるワインビストロ〈サボラミ〉へ。それが、僕の大阪の一日の〆になっています。
嶋 浩一郎
クリエイティブ・ディレクター。編集者。書店経営者。1968年生まれ。1993年博報堂入社。2001年、朝日新聞社に出向し若者向け新聞「SEVEN」の編集ディレクターを務める。2004年、本屋大賞の立ち上げに参画。現本屋大賞実行委員会理事。2012年にブックディレクター内沼晋太郎と東京下北沢にビールが飲める書店「本屋B&B」を開業。著書に『欲望する「ことば」「社会記号」とマーケティング』(松井剛と共著)、『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。ラジオNIKKEIで音楽家渋谷慶一郎と「ラジオ第二外国語 今すぐには役には立たない知識」を放送中。
連載一覧
- 第1回 本を「地産地消」で楽しむ
- 第2回 書店における魔の空間
- 第3回 待ち合わせは本屋さんで
- 第4回 絶滅危惧種、24時間営業書店を応援したい!
- 第5回 本屋の後はカレーかサンドイッチか それが問題だ!
- 第6回 あの書店のあのフェアがすごかった!
- 第7回 完全に振り切れた大阪の本屋、 波屋書房のすごさとは?
- 第8回 地野菜と外国文学の未知との遭遇
- 第9回 無人店舗で本を買う
- 第10回 「この本、読み忘れていませんか?」痒いところに手が届く盛岡の本屋さん
- 第11回 出張帰りにゴルゴに感情移入を
- 第12回 本は見るもの触るもの
- 第13回 座って本を売ってもいいですか?
- 第14回 本を読みながら飲む最高のビールに出会ってしまった話