2022年10月1日、〝燃える闘魂″アントニオ猪木が心不全により亡くなった。享年79。その猪木の姿を半世紀撮り続けた写真家がいる。原悦生氏は国内に留まらず、イタリア、中国、ソ連、ブラジル、キューバ、イラク、北朝鮮など海外を飛び回るプロレスラー・猪木、政治家・猪木に密着。それらの貴重な写真とともに、数々の取材秘話を綴った書籍『猪木』を今年3月に小社より上梓した。猪木に哀悼の意を込め、本文の一部を抜粋してここに掲載する。(写真・原 悦生)
猪木と馬場は月曜夜8時に同じテレビ番組を見ていたのか?
「まだ時間あるかな? ちょっと声を出す練習をしようかと思って。
最近は練習しないと、大きな声が出ないんだよ」
行きつけの焼き鳥店で食事が終わった後、猪木が突然言った。
「元気を売り物にしてきたのに、声が出なくちゃね」
猪木の「練習場」は、カラオケ店だった。猪木とはいろいろな場所に行ったが、カラオケ店はこの時が初めてだった。
猪木がカラオケで歌っているという話は聞いたことがあったが、昔は「歌は苦手だよ」、「カラオケは嫌いだ」と言っていた。
かつてテレビの人気歌番組に倍賞美津子さんと出演した時も、猪木はまったくと言っていいほど歌えなかった。
しかし、それがいつの間にか「自分のペースで歌えばいいんだよ」に変わっていた。
歌にまつわるエピソードは、猪木が通っていた横浜の東台小学校時代まで遡る。
体が大きく、すでに声変わりしていた猪木は合唱の時に担任の先生に言われて、みんなとのコーラスに入れてもらえなかった。
猪木は仲間はずれにされたような寂しさと劣等感を覚えたという。
その先生は、橋田トキという小柄ながらも情熱あふれる若い女性だった。
「だらしないのはダメ」と遅刻してきた猪木は他の級友10人くらいと廊下に立たされて、先生からビンタをされていたと本人から聞いたことがある。
闘魂ビンタの原点も、そこにあったのかもしれない。
猪木は、テレビドラマ『水戸黄門』の主題歌から歌い始めた。
このドラマについては、改めて説明するまでもないだろう。
プロレスファンの間では、ジャイアント馬場が愛したテレビ番組としても知られている。
主題歌の正式な曲名は、「あゝ人生に涙あり」。
TBSの『水戸黄門』は人気番組だったから、あの頃は誰もがこの歌も知っていた。
「人生楽ありゃ、苦もあるさ…」
猪木はこの4番まである歌に、自分の人生を重ねながら声を出していた。
猪木と馬場は、月曜の夜8時に別の場所で同じテレビ番組を見ていたのか。
さらに何曲か歌った後、猪木は炭酸水で口を潤すと、今度は三波春夫の「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」をチョイスした。
題名の通り、セリフ入りの長い曲である。
猪木は、そのセリフを噛みしめるように吟じた。
墨田区の史跡案内板によると、「槍の名手、俵星玄蕃は忠臣蔵に登場する架空の人物、その道場は本所横網町のあったとされている。
屋台の夜鳴きそば屋『当たり屋十助』に姿を変えて吉良邸を探っていた赤穂浪士・杉野十平次の前で『のう、そば屋、お前には用のないことじゃが、まさかの時に役に立つかも知れぬぞ、見ておけ』と、槍の技を披露した」と書かれている。
吉良邸討ち入りの日、玄蕃は大石良雄(内蔵助)に同道の助太刀は断られたが、赤穂浪士たちが吉良上野介を討ち取るまでの間、誰にも邪魔をさせないために両国橋の上で仁王立ちしていたという講談がある。
「槍は錆びても 此の名は錆びぬ 男玄蕃の心意気…」
猪木は、そんな槍の名手の心意気が気に入っていたのだろうか。
「俺の死に際を撮ってもらいたい。別に自殺するわけじゃないんだ」
十数年以上前だが、「話がある」と呼び出されて猪木に会うために虎ノ門の旧ホテルオークラへ向かった。
あそこにはバーがあり、猪木が座る場所は決まっていた。
入口から入っても、猪木がいるのがわからない位置である。
私がイスに座ると、いきなり猪木は言った。
「俺の死に際を撮ってもらいたい」
「死に際…ですか?」
「別に自殺するわけじゃないんだ」
いきなり難問をぶつけられた。
猪木が言いたかったのはそれだけで、具体的な話は何もなかった。
その後、2時間ほどいつものように取り留めのない話をして、その日は終わった。
猪木は日頃から、「足跡を消したい」と言っていた。
「砂漠が風で地形を変えるように、スーッと風が吹いてきて俺の足跡も消える」
猪木は、自分の終焉として〝砂漠の中に消えていくアントニオ猪木〟を思い描いてきた。
「最初に見た砂漠が忘れられない」とも言っていた。
砂漠は時間とともにその色と形を変えて、新しい地形を作り出す。
猪木は、そんな美しく神秘的な世界に魅せられていた。
「死に際とは何だろう?」
猪木と別れた後に私は考えたが、解答は得られなかった。
私は、かつて猪木にこんなことを提案したことがある。
「エジプトのギザやメキシコのテオティワカンのピラミッドの前にリングを組んで、試合をしてはどうですか?」
ピラミッドでは、夜になると観光客向けにサウンド&ライト・ショーという音と光による神秘的な演出がされる。
そんなライティングされた幻想的なピラミッドをバックに、アントニオ猪木が戦う。写真的には、絵になると私は思った。
だが、猪木はこの話には乗らなかった。
「でも、ピラミッドって、お墓でしょう」
猪木は2017年10月21日、両国国技館でイベントとして『生前葬』を開催したが、私はそれ以前に猪木の生前葬のプランを持っていた。
場所は横浜アリーナ。
観客が入場してくると、青白くライティングされたリングにすでに猪木が横たわっている。
弱いライトが照らす中、ピクリとも動かない猪木。
スクリーンには猪木のデスマスクが大写しになっている。
猪木は当然、死から蘇るのだが、この先は読者のみなさんにそれぞれ想像していただきたい。
私は30年以上前に、「闘魂シルクロード」という闘いのロマンも思い描いていた。
ある日、バスの中で猪木にこんな話をした。
リュックサック一つを背負った猪木が戦いの旅に出る。
猪木は、その旅路で出会った腕自慢の強者と戦う。
戦いの場所は草原の時もあれば、小さい集落の地べたの時もあった。
ルールなどなかった。互いのプライドだけで戦う。
太陽が照りつける暑い日もあれば、月夜のこともあった。
青白い月光の中でうごめく戦い模様は、神秘的でさえあった。
汗が光っていた。猪木は相手を締め落とすと、ゆっくりと立ち上がった。
そのまま相手が息を吹き返すのを待つ。
それを確認すると、猪木はまたリュックを背負って歩き始めた。
旅に出た猪木が何を求めていたのかはわからない。
そんな戦いを続けることで、自分の「死に場所」を探していたのかもしれない。
そして、猪木の戦い模様も、人生の足跡も、砂漠の砂の中にスーッと消えてしまう。
それが猪木の言う「死に際」なのかもしれなかった。
「猪木の死に際って何なんだろうか?」
私は、その正解をいまだに見出していない。
どうせ猪木に問いかけたところで、「フフフッ」と笑うだけだろう。
“闘魂"を50年撮り続けた写真家の記憶と記録
『猪木』
原 悦生・著
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