新聞記者として働き、違和感を覚えながらも男社会に溶け込もうと努力してきた日々。でも、それは本当に正しいことだったのだろうか?
現場取材やこれまでの体験などで感じたことを、「ジェンダー」というフィルターを通して綴っていく本連載。読むことで、皆さんの心の中にもある“モヤモヤ”が少しでも晴れていってくれることを願っています。
【第3回】家父長制クソ食らえ
何気ない日常に、「家父長制」がひょっこり顔を出す。
つい最近、母方の祖母が亡くなったとき、おや?と思う体験がいくつかあった。
祖母を自宅で看取ることに
誤嚥性肺炎で入院し、あっという間に飲まず食わずになってしまった祖母。
点滴で命をつないでいたが、最大3カ月までという急性期病棟の入院期限が迫っていた。
次にどこへ行くか。今まで入っていた有料老人ホームは、痰(たん)の吸引や点滴ができないから無理。医療措置のできる施設に新しく入居することも検討した。だが、医師には「余命わずか」と言われている。1カ月持つかどうかというときに、数百万円の初期費用を払うのはどうなのか……。
残るは療養型病院への転院だが、コロナ対策で面会は月1回だという。となると、次に会えるのは死んだときだ。
「家に戻すしかない」。家族会議を開き、そう決めた。
引き取るとしたら、候補となる家族は3人だった。70代の叔父(長男)、70代の私の母(長女)、そして40代の私(孫)である。だが叔父はマンション住まいで病気がちな妻の世話がある。私の母の家はかなり遠い。それならば祖母も長年住み慣れた自分の家が良かろうと、孫の私が自宅(祖母宅)に引き取るという結論になった。
叔父のまさかのちゃぶ台返し
仕事のかたわら、焦って準備を始めた。在宅介護の3本柱は、訪問による医療・看護・介護。何が何でも必要なのが、訪問看護師とケアマネージャーの確保だ。
大学時代の恩師のつてをたどり、近所でオープンしたばかりの訪問看護ステーションにつないでもらった。「まだ利用者が少ないから大丈夫」と聞いて、安堵のあまり脱力した。ケアマネさんもその事業所でお願いできることが分かった。やった! 奇跡だ(涙)。
何とかメドが立ったところで、さっそく入院先の医療ソーシャルワーカーとの打ち合わせである。叔父と母と私の3人で病院へ向かった。
ところが…。
その場で叔父が突然、重々しい口調で、衝撃的な発言をした。
「やっぱり私はね、家じゃなくて病院でみてもらった方がいいと思うんですよ」
目を丸くするソーシャルワーカー。自宅で看取る前提での話し合いなんだから、当然だ。
あわてて間に入った。「えーと、私が仕事を休んで介護するので! 叔父が引き取るわけじゃないので」。すると叔父はこちらを向いて、「でもね、目の前で死んでいくのを見るのはとてもつらいと思うよ」としみじみと言い始めた。そりゃ怖いけど覚悟したんだよ……。
病院側とて、「長男」である叔父の言葉は無視できない。ソーシャルワーカーには「ちゃんとご家族で合意してください」と苦言を呈された。
このときだけではない。いろいろな場面で、病院の関係者が常に叔父の顔を見て話をするなあ、と感じていた。年配男性が決定権を持つと思ってるんじゃ……とうっすら思った。
とはいえ、どうにかその場を収拾し、無事に退院の日を迎えた。バンザイ。自宅でドキドキしながら祖母を乗せた介護タクシーを待っていたのだが、なかなか到着しない。
聞けば、病院の院長を待っていたからだという。どうやら院長(高齢男性)は患者の退院時、必ず厳かに立ち会うらしい。院長が病院のスタッフ、患者や家族に権威を示すためだろうと推測する。そんな儀式、こっちには何の意味もない。
こちらの質問に答えてくれない男性ヘルパー
やっとのことで看取り介護がスタート。泊まり込みで来てくれた名古屋在住の妹と、片道1時間半かけて通ってくる母との女3人で介護を担った。とはいえ、頼りになるのは自宅に来てくれるヘルパーさんである。ベテランと新人の差はあれ、素晴らしい介護をしてくれて目頭が熱くなった。
その中に、1人の中年男性がいた。
訪問介護は複数で担当するので、最初は2人1組でやってきて、次々と引き継ぎをしていく。その男性ヘルパーが来たとき、たまたま家にいたのは私だけだった。あいさつすると、「あー1人ですか、そりゃよかった。ご家族が何人もいて、こっちをじっと見ていられると緊張しちゃってね~」。えーと、「口出しをするな」と言いたいのかしら……。マウントを取ろうとするような口ぶりに、女だからなめてんのか、と感じてしまった。
介護のコツを知りたかったのでこの男性に何度も話しかけたが、答えてくれない。それどころか顔も向けてくれず、びっくりした。ひたすら後輩の若い女性ヘルパーに「ここはこうして、ああして」と指示を出し続けている。なんでこんなにえらそうなんだろう……。
性別だけではないと思うけれど、何人もいた中でコミュニケーションをとれないのはこの人だけだった。
やっかいな「威厳ある家父長」しぐさ
なんだかなあと思っている中で、今度は叔父の「安楽死」騒動が起きた。
たまにやってきてはベッドのまわりをウロウロする叔父。祖母は当初、血圧も安定して小康状態だったので「こんなに目を開けてくれるなんて、もう死ぬんじゃないか。ネットで調べたらそう書いてあった」と嘆いた。
かと思えば、逆に振れた。
医師が来たとき、帰り際に叔父が追いかけていった。聞き耳を立てていると、「点滴でどのくらい持ちますか」と質問している。祖母は95歳で、1日おきの点滴は栄養なしの水分だけ。日々やせ細り、もう時間の問題だった。しかし医師は一般論で叔父に答えた。「まれだけど3カ月持った人もいるよ」。
その言葉を聞くなり、叔父は沈痛な表情と厳かな口調で「ちょっとこっちの部屋に来て」と私と母と妹を呼んだ。ソファにどっかと座り、こう宣言した。
「点滴を止めるかどうか、決めようと思う」
ちょっと待って、止めても数日の差だろうに。介護している人間が疲労困憊して「もうこれ以上無理」と点滴の中止をお願いするなら分かる。介護をしてない人がなんで勝手に決めちゃうの。
私と妹は言葉を失ったが、母が「そんなにあせって決めなくたって、様子見しましょうよ」と言ってその場を収めた。
祖母は翌日亡くなった。
優しく親思いな叔父は、つらかったと思う。目前に迫る祖母の死に、混乱を極めていたのだろうと想像する。ただ、やっかいだったのは「威厳ある家父長」らしいしぐさだった。自分は長男で、すべての決定権がある、といわんばかりの言動だ。
祖母のベッドのそばにしばらく座っていたかと思うと、「のどが渇いた」と言い出す。こっちは介護で疲れてるんだから、お茶ぐらい自分でいれんかい!(と心の中で言った)
祖母を引き取る前日に「エアコンの掃除くらいしとかなきゃダメだよ」と言われ、「はい」と答えながら、そんな暇はどこにもなかったよ……と思った。
叔父はある宗教の信者である。人の上に立つポジションについており、信者の人々にしばしば神の教えについて講演をしている。厳かな口調はお手の物なのだ。その宗教のサイトをネット検索してがく然とした。上位ポジションになれる条件に「男子」と書いてあった。つまり、女は絶対にえらくなれない。
とはいえ、その宗教だけが特別なわけではない。キリスト教だろうがイスラム教だろうが、「神の教え」には男尊女卑がしっかり根付いている。さらに言えば世界中どこでも、社会には家父長制がはびこっている。
葬儀の準備を叔父に丸投げした結果…
そして祖母の葬儀で、私たちはぼったくり葬儀社に引っかかった。
葬儀の準備は叔父に丸投げした。「生協なら安心だろう」とスマホで検索した叔父は、あるサイトにたどり着いた。
でかでかと赤字で「生協」と書いてある。スクロールすると「生協と提携したサービスはおこなっておりません」と小さな注意書きがあるが、老眼では見えにくい。叔父は生協のサイトだと信じた。
さらにスクロールすると、下は7万9千円から上は59万9千円まで、目立つ数字で各種プランが並んでいる。それほど高くない。
叔父が電話すると大阪のコールセンターにつながった。「首都圏の葬儀社を紹介します」と言われ、やってきたのが川崎市内の業者だった。祖母宅は東京都区内の東部。ドライアイスを運ぶにも高速道路を使い片道数時間かかる。その時点でおかしさ満点だったのだが……。
営業担当の若い男性が自宅に来て、パッケージ料金がお得だとしきりに勧めてきた。最低価格が120万円で、「それだと祭壇を花で飾れない」という。叔父は「220万円」のプランを選ばされた。お供え花に至っては一対26万円で、どう考えてもケタがひとつ違う。なによりもネット広告と全く額面が異なる。参列者は家族10人で、僧侶も呼ばないのに。
私は当初、「口出ししちゃいけない。叔父のメンツを立てなくては」と思っていた。
だが、祖母の亡骸を運ぶ際、担架にグルグル巻きにして白の軽ワゴンに荷物のように積み込み、葬儀社のスタッフが吹き出し笑いをするのを目撃するに至り、臨界点に達した。
ぼったくり業者に何度も電話してギャーギャー交渉し、キャンセルした(ちなみに名刺にある会社の番号にいくら電話してもコールセンターの女性しか出なかった)。本契約前とはいえドライアイス代などの実費を請求されると思ったが、苦情を言いまくったせいか「支払いはしなくていいです」と言われた。
地元の友人に紹介してもらった別の葬儀社と契約しなおし、祖母の亡骸を取り戻した。再契約した業者は同じ火葬場・斎場を使って豪華に祭壇に花を飾ってくれて、70万円台。前の業者の220万とはえらい違いだ。
「偉い人=シニアの男性」というルールを疑う
怒り狂いながら、自分も悪かった、と思った。
長男のメンツを保ってもらうことが、叔父の心の平安につながると勝手に決めつけていた。
悲しみに暮れる叔父の心身の負担を考えれば、意地悪く丸投げすべきじゃなかった。家族みんなで協力して、対等に意見を言い合って葬儀社を選べばよかったのに。
そして、祖母の看取りで起きたモヤモヤを振り返ると、必ず年配の男性がからんでいたことに気づく。自分も「偉い人=シニアの男性」というのが社会のルールであり、それを守らなければいけないと無意識に思っていた。でも、うまく物事を運ぶには、性別・年齢問わず対等の立場で話し合い、最善の結論を出すべく努力することが必要だ。つまりそれが民主主義ってやつじゃないか。家父長制、クソ食らえ、だ。「権威」と呼ばれるもののアホらしさを痛感しつつ、そんな思いが今も頭の中に渦巻いている。
出田阿生(いでた・あお)
新聞記者(1997年入社)。東京生まれ。小学校時代は長崎の漁村でも暮らす。愛知、埼玉県の地方支局を経て、東京で司法担当、多様なニュースを特集する「こちら特報部」という面や文化面を担当し、現在は再び埼玉で勤務中。「立派なおじさん記者」を目指した己の愚行に気づき、ここ10年はジェンダー問題が日々の関心事に。「不惑」を超えて惑いつつ(おそらく死ぬまで)、いっそ面白がるしかないと開き直りました。
連載一覧
- 第1回 立派な「男」になろうとしていた私
- 第2回 被害者の声を聞く…それはフラワーデモから始まった
- 第3回 家父長制クソ食らえ
- 第4回 祖母の死とケア労働
- 第5回 「水着撮影会」問題を自分事として考える
- 第6回 ”何かになること”を押しつけられない社会へ
- 第7回 日本社会が認めたがらない言葉「フェミサイド」
- 第8回 アフターピルの市販化を阻むものは何か?
- 第9回 日本人女性の7割がその存在を知らない「中絶薬」
- 第10回 「社会はそんなに不公正ではない」と思いたい人たち
- 第11回 司法の世界にもはびこるジェンダーに対する歪んだ価値観
(イラスト 安里貴志)