新聞記者として働き、違和感を覚えながらも男社会に溶け込もうと努力してきた日々。でも、それは本当に正しいことだったのだろうか?
現場取材やこれまでの体験などで感じたことを、「ジェンダー」というフィルターを通して綴っていく本連載。読むことで、皆さんの心の中にもある“モヤモヤ”が少しでも晴れていってくれることを願っています。
【第1回】立派な「男」になろうとしていた私
女としての人生を、モヤモヤしながら生きてきた。でもなんでモヤつくのか、長いこと分からなかった。それがこの5年ほどで事態は急変した。ほとんど「ない」ことにされていた女性への差別が、声を上げる人が増えることで「ある」と認識され始めた。その理不尽さに怒る空気が社会に広がった。大げさでなく「生きててよかった」と喜びをかみしめている。
私は一般紙で新聞記者をしている。おじさんと間違われがちな名前だが、女性だ。現在、働き始めて25年が過ぎたところだ。
ジェンダーをめぐる社会の価値観が変わるさまを目にしながら、自分の目からもウロコがどんどん落ちた。過去に起きたあれもこれも、ジェンダーに関係していたんだ! 男社会の「常識」にとらわれていたアホな私。たとえるなら、眼鏡を変えた途端に、目の前に別世界が広がった感じだ。あまりにも面白いので、読者の皆さまと少しでも分かち合えたらと思っている。
この5年で女性の声が可視化されてきた
たった5年ほどで何が変わったのか――。2017年、伊藤詩織さんが元TBS記者からのレイプ被害を公表した。19年、相次ぐ無罪判決を機に性暴力に抗議するフラワーデモが始まった。自治体や企業の広告が性差別的だと「炎上」することも増えた。女性に権力はなくても、数自体はマイノリティーじゃない。SNSの普及は、女性の声を可視化する追い風になった。17年と今年の二度にわたって刑法が改正され、実態からかけ離れた性犯罪の規定が改善されつつある。
その中でも18年の財務事務次官によるセクハラが報じられたときは、「うわあ……」と思わず声が出た。「胸、触っていい?」「手、縛っていい?」というSMまがいの言葉への嘆息ではない。メディアで働く女性の状況を、お天道様の下にさらしてくれたからだ。ああ、なんてありがたい……。勇気ある告発をしたテレビ局の女性記者を、拝むような気持ちになった。
財務次官の問題を受けて女性記者を対象に実施された民間のアンケートで、セクハラ加害者の一位は「警察官」だった。当時、議員会館で開かれた集会でアンケートが紹介されたときのことを覚えている。「警察関係者からのセクハラが一番多かった」という結果に、多くの参加者が驚いていた。え、そんなに驚くことなの?と逆に驚いた。あまりにも当たり前すぎたから。
夜回りという「仕事」
時計を巻き戻す。2000年も間近となった夏、新人の私が配属されたのは、愛知県の地方支局。名古屋駅から電車で15分ほどの地方都市だ。
そして間もなく「警察官に襲われる」事態が起きた。地方支局に赴任した新人が必ずやるのが「サツ回り」と呼ばれる警察担当。いまどき「夜討ち・朝駆け」という言葉は昭和の響きだが、簡単に言うと、警察官の勤務時間外に自宅や家の近くに赴き、捜査情報を聞き出すべく努力する。作家横山秀夫さんの警察小説で描かれる世界を思い浮かべていただけるといいかも。ちなみに、あんなに格好良くはない。
新人の私も、地元の警察署を担当することになった。当時、高校生が集団リンチによって亡くなる事件が起きていた。友人のトラブルにたまたま巻き込まれただけという、無念としかいいようがない死だった。被害者の自宅に花を持って行くと、お母さんが「警察の捜査がどうなっているのか知りたい」と涙を流した。だからこそ捜査の指揮を執る刑事課長の話が聞きたかった。
夜回り先は官舎。三階建てのコンクリート住宅で、一階に署長、二階に副署長が家族で住んでいた。三階が、単身赴任の刑事課長の部屋だった。22歳の女が夜、一人暮らしの男性の部屋に行く。普通だったらやらない。でもこれは「夜回りしてこい」と命じられた「仕事」だった。
いきなり抱きついてきた刑事
刑事課長は部屋に招き入れてくれた。エリック・クラプトンが好きだと言って、ギターをかき鳴らし始めた。下手だった。「いいですね」と、お追従(ついしょう)をした記憶がある。無駄話の合間に捜査の話を聞こうと必死だった。「ではそろそろ……」と帰ろうとした官舎の玄関先で、突然課長が「どうなってもいい!」と叫びながら、抱きついてきた。ロマンチックな響きになるのが嫌なので「キス」と形容したくないが、唇に生暖かい感触があった。そのまま押し倒されそうになり、「わたしはどうなってもよくないので」と意味不明の言葉を発しながら、押しのけてドアを開け、逃げた。
泣きながら帰った。同じ建物に署のトップとナンバー2がいる官舎で、こんな目にあうとは思わなかった。男性経験も豊富ではなく「これって、人生で何人目とのチューなんだろう」とぼんやり考えた。ハンカチがなくて、公園のツツジの葉をちぎって唇をゴシゴシ拭いた。葉っぱの産毛(うぶげ)が、街灯にキラキラ光っていたのを覚えている。
「だから女は使えない」と言われるのが怖かった
性犯罪を取り締まるはずの警察官が加害者なので、地元署に被害届を出すなんてありえない。当時、愛知県警を担当していた先輩記者に連絡すると「(警察内部の不祥事を調べる)監察官に言ってやろうか」と言われた。でも「嘘つきだと非難されて、報復されたらどうしよう」と思った。「だから女は使えない」と職場で言われるのも怖かった。「いいです」と断った。
後日談もある。なぜか翌日、「名古屋から女房が来るから一緒にランチしよう」と言われて、その刑事課長と妻と昼を食べることになった。妻は終始けげんな表情をしていた。まさかそれが「手打ち」だったんだろうか……。ナゾすぎる。
その後、埼玉県に転勤してからも何度か電話がかかってきた。「今度家族がディズニーランドに行くから東京で会おう」などと言うのでウンザリした。断ると「僕たちは“友達”なのに冷たいな」と不機嫌になる。この期に及んで相手の機嫌を損ねないよう気遣っていた己の愚かさがつらい。ついに「婚約者が隣で嫌な顔をしているので」と、いもしない「エアー婚約者」まで動員するとやっと連絡が止まった。
支局には女性用のトイレがなかった
なんでこんなに「嫌だ」と相手に言えなかったんだろう。そう思うと、当時は自分が「一日も早く、立派な男にならなきゃ」と考えていたことに思い当たる。職場の上司や先輩は全員年上の男性。おじさんばかり。何より衝撃だったのは、女性用トイレがないことだった。女性記者の配属は初めてで、会社側は人間の重要な営み(排せつ)に思いが至らなかったらしい。
でもだがしかし、出さないと生きていけないよ!というわけで男性用トイレで上司がジョボジョボ……と用を足す背後を、「すみません」と通り抜け、個室を使った。お互いものすごく気まずかった。使用済みの生理用ナプキンは当初ポケットに入れて持ち帰っていた。やれやれだ。
この話をするとたいがい笑われるが、たかがトイレ、されどトイレ。「女性」という属性で仕事場にいてはいけない。そんな、無言の強烈なメッセージに思えた。「男のふりをする」ことに懸命になっていたので、自尊心は二の次だった。
「やっていい相手」と「そうでない相手」
男性記者なら恐らく遭遇しないであろう体験は数え切れない。当時は朝、警察署で広報担当の副署長に挨拶する習わしだった。すると「君の住んでるアパートの近くを散歩したんだけどさ、ベランダに下着を干してたよね。ピンクのパンティーだったかな」と副署長がニヤニヤ→またかよ、と苦笑いでやり過ごす。警察官数人とカラオケに行くと、気付けば尻をなで回されている→驚きの余り、よけたり抗議したりできない。これは刑法の性犯罪規定の改正をめぐる論議で、加害者は「不意打ち」で被害者の抵抗力を奪うという話が出てきて、同じじゃん、と腑(ふ)に落ちた。臨床心理士や医師が普遍的な反応だと言ってくれることで、自分のせいではない、と救われた。
知り合いの女性弁護士は「被疑者との接見なんかで警察署に行って、深夜に警察官と部屋で二人きりになっても絶対にそんなことは起きない」と話す。つまり「やっていい相手」と「そうではない相手」を選んでいる。こちらが情報を「もらう」側で、相手(警察)が「与える」側という力関係があるから起きるのだ。これも刑法改正の論議で、社会的立場が弱い側が抵抗できずに性暴力被害が起きやすい「地位関係性」という言葉が出てきて、これだったのか!と納得した。
市職員からのセクハラ体験
山のようなセクハラ体験の中には、市職員も登場する。地元の伝統的な祭の取材で、市役所が出す公務用のテントに取材に行った。真っ昼間に、なぜか担当課長は酒盛り中。「地方のお祭とはこんなものか……」と思いつつ、担当課長は「お酌をしないと話さない」とごねる。酒をつぐと、今度は手をつかまれ、「レイプしよう、レイプ」と叫び始めた。「セックスしよう」と言いたかったのだろうが、言葉を間違えている。部下の市職員が何人もその場にいたが目を背け、誰も止めなかった。それが一番怖いんですけど。
さすがに悔しく、地方版にコラム記事を書いた。事の顚末(てんまつ)を記して「公務中はちゃんと仕事しようよ、おじさん」と締めた。一方で日和(ひよ)った私は、課長の個人名どころか市役所も祭りの名称も伏せた。だが、部下への度重なるセクハラで名をはせていたらしく、市長にバレて本人が認め、異動となった。降格人事ではなかったが、彼の同僚の市職員数人が職場に抗議に押しかけてきた。取材から戻ってご一行が帰るところに出くわしたので、何事かと上司に聞いた。上司は「記事のせいで課長が飛ばされたって怒っててさ。みんな僕の昔の知り合いだし、何とかいなして、君を守ってあげたよ」とほほ笑んだ。守る……?誰も頼んでない。抗議するなら直接言ってくれ。公務中に不適切な行為をする方がおかしいだろ。仲間が抗議するくらいだから、人望があった課長なんだろう。「男限定」で。
現実は甘くない
……と思い出し始めると止めどもないのでこのへんで。そしてこういうことは、珍しくもなんともないのだった。セクハラ財務次官のおかげで、社内外の女性記者と体験を分かち合う機会が生まれた。みんな似たり寄ったりの、もしくはもっと壮絶な体験をしていた。お互いに黙ってただけだったのか!と目頭が熱くなった。
だが現実は甘くない。その後、初めて地方支局に出る後輩の女性記者に真顔で聞かれた。「警察官に情報をやるから胸を触らせろと言われたら、言うことを聞いた方がいいでしょうか……」四半世紀たっても構造は同じだと呆然とした。でも、彼女は相談してくれた。「絶対に触らせなくていい。そもそもセクハラしていい相手だとこちらを軽んじているから、重要な情報なんかくれない」と話した。自分の尊厳と釣り合うネタなど存在しない。どこまで伝わったかは分からないけれど、頭の隅にとどめてくれたらいいな、と思った。自分の若い時にはなかった連帯。孤独だった「昔の自分」もちょっぴり慰められた気がした。
出田阿生(いでた・あお)
新聞記者。1974年東京生まれ。小学校時代は長崎の漁村でも暮らす。愛知、埼玉県の地方支局を経て、東京で司法担当、多様なニュースを特集する「こちら特報部」という面や文化面を担当し、現在は再び埼玉で勤務中。「立派なおじさん記者」を目指した己の愚行に気づき、ここ10年はジェンダー問題が日々の関心事に。「不惑」の年代で惑いまくりつつ(おそらく死ぬまで)、いっそ面白がるしかないと開き直りました。
連載一覧
- 第1回 立派な「男」になろうとしていた私
- 第2回 被害者の声を聞く…それはフラワーデモから始まった
- 第3回 家父長制クソ食らえ
- 第4回 祖母の死とケア労働
- 第5回 「水着撮影会」問題を自分事として考える
- 第6回 ”何かになること”を押しつけられない社会へ
- 第7回 日本社会が認めたがらない言葉「フェミサイド」
- 第8回 アフターピルの市販化を阻むものは何か?
- 第9回 日本人女性の7割がその存在を知らない「中絶薬」
- 第10回 「社会はそんなに不公正ではない」と思いたい人たち
(イラスト 安里貴志)