本屋はいつでも僕を笑顔にする!
「本屋大賞」の立ち上げに関わり、実際に下北沢で「本屋B&B」を
開業した嶋浩一郎による体験的「本屋」幸福論。
【第12回】本は見るもの触るもの
まずは、“匂い”から本を考えてみる
本の愛で方は人それぞれです。よく言われるのが本の匂いを愛でる人々の存在。自分も本の匂い、嫌いじゃありません。本好きならきっと本を開いて鼻を押し付け深呼吸してみたことあるはずです。地味な匂いですが、心を鎮めてくれるような気分になりませんか? 図書館や古書店に入ったときのウイスキーのピート臭にも歴史を感じてしまいます。
本の匂いは紙とインク水性エマルジョンなど製本の過程で使われる接着剤などの匂いがミックスされたもので、保管場所のコンディションや印刷されてからの年数などによっても変化します。まあ、そう考えると一冊一冊の本がそれぞれ違う匂いを持っているんですよね。
マニアの皆さんはまるでワインやウイスキーのアロマを評するように、「チョコレートのようだ」だの、「枯葉のような香り」だのと本の匂いを愛でています。自分もかつてドイツの出版社がプロデュースした本の匂いがする香水を誕生日プレゼントにもらったことがあります。まあ、ヒノキの香水とか人気がありますからね。紙ももともと木の繊維ですから、紙の匂いも人間を惹きつけるのかも知れません。
昔から本屋に行くとトイレに行きたくなるのは何故なんだという論争があります。1980年代に青木まりこさんという方が「本の雑誌」にこの問題を投稿したことから、本屋で便意をもよおす現象は「青木まりこ現象」と呼ばれています。この現象については吉行淳之介さんが早くも50年代に言及するなど長年にわたって人々にあーでもない、こーでもないと議論されてきたようです。しかし、いまだその原因は学術的に解明できていないそうです。
それより、青木さん、こんな現象に自分の名前が付けられちゃってよかったんでしょうかね。結論が出ないことよりそっちの方が気になってしまいます。ちなみに跳び箱の手前に置かれる跳躍台はロイター板といいますが、あれもロイターさんという人の名前からとったそうで、自分の名前が踏み台の名前になっちゃうのもどうなんだろうと思います。
青木まりこ現象について、ある人は紙の原料のパルプは森を想像させる、森に守られた人間は安全を感じるので、敵に脅かされることなく排便をすることができる。だから本屋に行くと便意をもよおすのであると説明しています。この仮説が真実かどうかはわかりませんが、とにかく、本の匂いはいろいろと人間に影響を与えるようです。
ここ最近、話題の「鈍器本」とはなにか?
そんなわけで、本の愛で方は人それぞれで、本屋もそんな多様性の時代のニーズに応えるために、本の魅力は読むだけじゃないとアピールする売り場をつくっているんです。今回はそんな本屋さんを紹介してみたいと思います。
世の中には本を読むとき、「今、俺は読書している」っていう実感を体で感じたい人が多いみたいですね。ここ数年人気なのが「鈍器本」です。「鈍器」を辞書で引いてみると、「刃はないが重くて硬い道具」「多くは凶器として使われる」と書いてあります。そう、人を殴打したら殺人事件が起きてしまうような分厚い、重量のある本が「鈍器本」と言われています。
鈍器本、確かに手にしたときにズッシリくるわけです。鈍器本を読んでいると、なんか読書に取り組んでいる感、知を征服しようとしている感じがじわじわ湧いてきます。デジタルで手軽に本を読もうという時代に逆行する意固地さを感じないこともありませんが、重さは読書に対する気持ちを前向きにしてくれるものだとポジティブにとらえていいのではないでしょうか。ちなみに、自分はカバンの重量もいつも重めになってしまいます。それは、余計なものをついつい入れてしまうからなんですが。
鈍器本は日経新聞の「令和なコトバ」という連載で紹介されるくらい市民権を得ているのですが、自分が鈍器本というものに初めて出会ったのはブックファースト新宿店でした。エスカレーターを降りたところに鈍器本フェアのコーナーが開催されていたんです。その重量感をともなう陳列に圧倒されたことを覚えています。普通は推しの本を大量に並べるのがフェアなのに、本がデカすぎて一冊しか置いてなかったりしたのも笑えました。しかし同時に、なんか一冊でもいいから制覇してみたいなという気持ちも沸々と。なんなんでしょう、なにか挑戦状を突きつけられた感じとでもいえばいいんでしょうか。その時は、いそがしくて鈍器本の読破は断念したのですが、その後、紀伊国屋書店新宿本店で開催された文庫の鈍器本フェアで「大江健三郎自選短篇」を購入しました。短篇も集めれば鈍器本です! 紀伊国屋書店では、重量とページ数を記したエクセル表がPOPに使われていました。まさか、本を買うのにエクセルにお世話になる日がくるとは……。もちろん、スペックだけでなく、大江健三郎、内容もズシリと重かったです。
鈍器文庫を読んで感心したことは、どんなに厚くてもバラバラにならずに本としてしっかりページがめくれるようになっている製本技術。一度、製本工場の見学にうかがったことがあるのですが、鈍器本をめくりながら職人さんたちの技術も感じることができました。
本は手触りも大事…「触感フェア」
そんな製本や印刷の技術が生み出す手触りを売りにしたマニアックなフェアを開催した本屋もあります。「感触フェア」を開催したジュンク堂書店池袋本店です。
最近、マルチモーダルって概念が話題になっていますね。マルチモーダルとは、感覚というのは視覚、聴覚、味覚、触覚など複数のチャネルの情報が総合的に作り出すものだという考え方。たとえば、味は舌にある味蕾という部分で感じるだけでなくて、食べるものの色や形からも感じるそうです。かき氷のシロップは苺味もメロン味も実は同じ味。赤色と緑色が付いているだけで人は違う味を感じるそうなんです。そう考えると本を持ったときの手触りや感触も本を面白く感じることに影響を与えているかもしれませんね。
紙の種類でページをめくる触感は俄然変わってきますよね。僕はちょっと摩擦がある紙質の方が好きです。専門的になりますが、エンボス印刷やバーコ印刷はインキ部分が盛り上がって独特の見た目や触感を生み出します。そんな、本の手触りを愛でるフェアが開催されたんです。しかも人文書がメインで。売り場にはみんなが手触りを楽しめるようにウエットティッシュまで置かれていましたよ。
本の見た目を全面に押し出した、壮観なフェア
まさに、本は読むだけでなくて持って重さを感じたり、手触りを感じたり、いろんなアプローチができるわけです。表紙の色だけでフェアをする本屋も最近増えてきました。まさに、見た目で勝負といったところでしょうか。インスタグラムで映える写真を本屋も投稿し始めた影響もあるんでしょうかね。でも、同じ色がずらっと揃うと壮観なんですよね。本の見た目、つまりデザインや色にこだわるのはとても大事なことだと思うんです。日常の風景の中に置いてある本の佇まいって大事ですからね。
SNSでいろんな本屋をフォローしていますが、赤い本と青い本を集める本屋さんが多いみたいですね。面白いのはやっぱり色の持つ世界観なのか赤はサスペンス系の本が多くて、青は理知的な本が多いこと。文楽の太夫・竹本織太夫さんの本の編集をしているのですが、青い表紙の「文楽のすゝめ」という本をつくったことがあります。有隣堂の町田モディ店の青い本フェアでその本も並べてもらったのですが、ジャック・アタリの「海の歴史」や、歴史の教科書で知られる山川出版の「世界史」から「おしりたんてい」まで、全く脈絡のない本が青の表紙という共通点だけで集められ、売り場が謎の異種格闘技状態になっていたのが印象に残りました。これは、買うつもりのなかった本に手を伸ばすきっかけになるかも。
ちなみに文庫本の背表紙の色も印象的ですよね。三島由紀夫といえば赤、太宰治といえば黒、星新一といえばライム色が頭に浮かんできます。どれも新潮文庫の背表紙の色なのですが、新潮文庫の背表紙は作家自身が自身のイメージから決めているそうです。作家が新潮文庫で初めて本を出すときは白の背表紙なんだそうです。まだ何色にも染まってないってことなんでしょうか。そして、2冊目から色を指定するそうです。ちなみに講談社文庫もオリジナルの10種類の色の中から著者が選ぶそうです。そう考えると新人作家がどんな背表紙の色を選ぶのかなんてことも気になるようになりますね。
書店に現れた謎のPOP「冷えた本、あります。」
変わり種として最後におつたえしたいのが、第10回に続いてまたまた登場、面白い本の売り方といえば盛岡のさわや書店の取り組みなんですが、なんと本をクーラーバッグにいれて冷やして売ったことがあるんです。冷えてますっていえば本来はビール。夏になると「ビール冷えてます」って書いてある店に引き寄せられてしまいますよね。東海林さだおさんがエッセイで暑い日に何人かで店に入ったら、小とか大とか細かいことを言っているべきではなく、店にはいったら大至急、生中を人数分頼むのが常識だと書いていました。暑い日の冷えたビールほどありがたいものはありません。生きててよかったと実感する瞬間です。果たして、本もビールと同じように冷やすとありがたいのでしょうか?
さわや書店では「冷えた本、あります。」というPOPを掲出し、クーラーボックスに保冷剤をいれキンキンに冷やした本(濡れないように袋にいれてある)を販売したそうです。昨年23年の夏に実施したそうなんだけですが、確かに昨年は連日真夏日が続いて、国連事務総長が「地球沸騰化」なんて言葉を使って温暖化に警鐘を鳴らすくらいの酷暑でした。暑くて読書なんてやってられねぇぜって思った人もたくさんいたはずです。すぐに常温にもどっちゃいそうだけど、最初、本を手にしたときだけでもひんやりしていたら、まあ、だったら手に取ってみるかと店頭で思った人もいたかもしれませんね。これも、触感で本を愛でる取り組みのひとつですね。
僕は本との付き合いはカジュアルに気楽にした方がいいと思っていて、あさっての方向から本を手にするきっかけがやってくるのも大歓迎です。
嶋 浩一郎
クリエイティブ・ディレクター。編集者。書店経営者。1968年生まれ。1993年博報堂入社。2001年、朝日新聞社に出向し若者向け新聞「SEVEN」の編集ディレクターを務める。2004年、本屋大賞の立ち上げに参画。現本屋大賞実行委員会理事。2012年にブックディレクター内沼晋太郎と東京下北沢にビールが飲める書店「本屋B&B」を開業。著書に『欲望する「ことば」「社会記号」とマーケティング』(松井剛と共著)、『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。ラジオNIKKEIで音楽家渋谷慶一郎と「ラジオ第二外国語 今すぐには役には立たない知識」を放送中。
連載一覧
- 第1回 本を「地産地消」で楽しむ
- 第2回 書店における魔の空間
- 第3回 待ち合わせは本屋さんで
- 第4回 絶滅危惧種、24時間営業書店を応援したい!
- 第5回 本屋の後はカレーかサンドイッチか それが問題だ!
- 第6回 あの書店のあのフェアがすごかった!
- 第7回 完全に振り切れた大阪の本屋、 波屋書房のすごさとは?
- 第8回 地野菜と外国文学の未知との遭遇
- 第9回 無人店舗で本を買う
- 第10回 「この本、読み忘れていませんか?」痒いところに手が届く盛岡の本屋さん
- 第11回 出張帰りにゴルゴに感情移入を
- 第12回 本は見るもの触るもの
- 第13回 座って本を売ってもいいですか?
- 第14回 本を読みながら飲む最高のビールに出会ってしまった話
イラスト◎みずの紘