「事故なのか? 虐待なのか?」――不審死を遂げた動物の遺体を解剖し、動物虐待の実態を明らかにする「法獣医学」。日本ではまだ知られていない法獣医学の専門家による奮闘記。
初めての多頭飼育崩壊
シェルターメディスンを学ぶ日々
アメリカのカリフォルニア大学デービス校において、念願のシェルターメディスン(動物保護施設における獣医療)の勉強を始めた私は、大学院の授業も、出会う人達も、校内で交わす会話も何もかもが新鮮で楽しく、真新しい経験の連続でした。デービスの大学の空気を吸っているだけで嬉しくて、感動したものです。授業のない時は、大学近辺のアニマルシェルターに通い、シェルターの専属獣医師について回ってシェルターメディスンの実践を一から学びました。
また、大学のシェルターメディスンのディレクター(指導教官)の出張先には、可能な限りどこにでも同行し、何でも吸収しようと、ディレクターの発する言葉や一挙手一投足の全てを目に焼き付けていました。シェルターメディスンは、日本でもまだ新しい獣医学的分野ですが、当時のアメリカでも新しい分野で、まだまだ現場に浸透していませんでした。当時の初代ディレクターは若き女性ということもあり、新しい分野の開拓者としての苦労も多く、そばで目の当たりにしていましたが、それも勉強でした。
シェルターメディスンの第一人者であったディレクターは、私の最も尊敬する人でしたが、シェルターの現場にシェルターメディスンという科学が浸透しておらず、「大学の先生達が研究だのなんだか小難しいこと言っているけれど、こっちは経験あるんだし、余計なお世話なんだよ」と相手にされないことも多々ありました。「Power(力/権力)が欲しい」とよく悔しそうに呟く指導教官の言葉が印象的で、そして今、日本に帰ってきて、私は彼女の心情が理解できる場面によく遭遇します。
動物虐待が当たり前の世界
デービスでの大学院2年生の時、論文の研究対象を、「動物シェルターにいる猫のストレスと病気の因果関係」と決めた私は、サクラメント市内にある行政の動物シェルターに週末も関係なく毎日通い、シェルターに来る猫の鼻水や唾を集める日々を送っていました。
サクラメント市はカリフォルニアの州都ですが、全米でも犯罪率の高い都市です。地域の動物シェルターには、それぞれ地域特有の特徴があり、地域性があります。犯罪の多い地域にある動物シェルターには、犯罪に関与した動物が収容されることが多く、動物に関わる犯罪と言えば「動物虐待」です。
サクラメント市の行政動物シェルターでは、犬や猫、ウサギ、鶏、ヤギなど日々たくさんの動物が収容されますが(ビーバーが来たこともあります)、その中でも動物虐待の被害にあった動物が収容される頻度も高く、少なくとも週に1回は動物虐待に遭遇するくらい動物虐待が身近過ぎて、当たり前の世界にいました。
ネグレクトされて首輪が埋まった犬も頻繁に来ましたし、闘犬に使われて、片方の眼玉が飛び出てボロボロになったピットブル(闘犬に使われる犬種)が来ることもしょっちゅうでした。犬をまるでバスケットボールのように地面にばんばん叩きつけながら歩いている動画が警察から送られてきたこともあり、様々な動物虐待の事例に日々遭遇していました。シェルターメディスンは、そのような動物達をいかに心身ともに健康に管理をして、次の幸せにつなげるかということを科学的に考える新しい獣医学です。
3つの冷凍庫の中は全て死体
2008年のある夏、試験期間中だったため、しばらく動物シェルターにいかない週があったのですが、シェルターから大学に動物虐待対応の応援要請が来ました。普段お世話になっている馴染みのシェルターだったため、その一報を受けるとすぐに着替えて、車に飛び乗りシェルターに駆け付けました。
シェルターに着くと、多くの警察官が、アメリカンサイズの大きな冷凍庫を3つ、トラックから運び出しているところでした。
事件の発端は、中高年齢の女性の住むある一軒家から「ひどい悪臭がする」との近所の苦情があり、警察が現場に立ち入ったところ、極めて不衛生な環境で猫が20頭程走り回っていて、なおかつ怪しい冷凍庫が3つあったので、生きた猫もろともそのまま冷凍庫も押収してきたとのこと。「中には、どうやら動物の死体が入っているらしいが、動物虐待の疑いがあるかどうか検証してほしい」というのが警察からの依頼でした。
恐る恐る一つ目の巨大な冷凍庫を開けると、きれいに個別に梱包された大小様々な物体がびっちりと一杯一杯入っていました。二つ目の冷凍庫を開けてみると、綺麗に個別包装された物体がびっちり。三つ目の冷凍庫にも満杯に入っていました。その物体は、全て凍った動物の死体でした。この途方もない数の凍った死体を解剖検査することが、私達獣医師の任務だったのですが、これが私の虐待対応の初の解剖検査でした。
冷凍庫の凍った死体を警察官が一つずつ番号を振りながら全部外に出して、シェルターの従業員用駐車場一面にずらっと並べていきます。幸か不幸か炎天下だったので、どんどん解凍されていく中、シェルターの獣医師と大学からの応援の私と二人で手分けして、私は見よう見まねで解剖をしていきました。
ジップロップに生まれたばかりの猫の胎児のような死体が入っていたり、きれいなスカーフに大人の猫が包まれていたり、たまに中型の犬が出てきたり……。どの死体にもウジ虫がついていて、その時にForensic entomology(法医昆虫学)ということも学びました。ウジ虫の大きさや死体に付着する昆虫によって、死体がどの程度放置されていたのかを推定する等、その日だけでも物凄い数の解剖をこなし、物凄い数の動物の死体を目にし、物凄い数と大きさのウジ虫を触ることとなりました。
1日で300頭を解剖
あれ以来、1日で300頭以上も解剖したという経験は15年経った今でもありません。警察からの依頼で特に見て欲しい所見は、「共食い」でした。つまり、「胃の中に何が入っていたか」を中心的に見ること、死体に「食害(食べられた)」の形跡があるかを獣医師の観点から実証することです。「共食い」は、「他に何も食べるものがなかった」という証拠でもあり、適切な給餌を怠るというネグレクトの虐待を示し、多頭飼育崩壊ではよく見られる所見です。
今回は、所謂「共食い」の所見はありませんでしたが、胃の中は空っぽで、肛門にいたるまでの腸の中にもほとんど内容物がなかったため、食べ物が十分になかったこと、また、どの個体も脂肪がほとんどついていなかったことなどから、やはりネグレクトが強く疑われるということで「動物虐待」と判断されました。また、色んな大きさのウジ虫やカツオブシムシが付いていたことから、死体が一定期間以上放置されていたことも示されました。
実は、私はその時、第2子妊娠8か月の大きなお腹だったのですが、自分が妊娠していたことも忘れるくらい夢中で解剖をしました。「多頭飼育崩壊」の悲惨さをはじめて目の当たりにしながら、「これだけの死体と同居している状態とはどういうこと?」という疑問と、いくらやっても終わらない徒労感とともに、ひたすら機械的に死体の検証をし、殴られた跡など他に動物虐待の所見がないかどうかを確認していきました。
動物虐待と人への虐待の関連性
日本では「多頭飼育崩壊」という言葉で表現されることが多いですが、欧米では、「アニマルホーダー」と言われ、ちゃんとした世話が出来ないくらいたくさんの動物を飼って、動物が病気になったり、ゴミ屋敷のような環境になったりして、動物に対して苦痛があるにも関わらず、その現実を受け入れられず、それでもなお動物を増やし続ける動物虐待の一つの類型と考えられています。
動物に対してネグレクトの状態を指しますが、自己ネグレクトや、高齢者や子供へのネグレクトも同時に発生するとも言われており、動物虐待と人への虐待の関連性は多頭飼育崩壊の現場でもよく見られます。たくさんの動物を集めるだけでなく、死体も集める傾向にあり、死んだ動物と特別なつながりがあると信じたり、今回の事例も、「死んだ子達と魂がつながっている」といった理由で全部冷凍庫に保管していたようでした。
一人暮らしの女性とのことでしたが、途中で警察官が、「ご主人が失踪しているらしい」と言ったので、「まさかこの冷凍庫のどこかに入ってる……?」なんてみんなびっくりして真っ青になりました(結果的には人の死体は出てこず、動物の死体しかありませんでした)。
ですが、一つの冷凍庫に100頭以上の死体が入っており、合計300頭以上の解剖検査を二人でこなし、へとへとになって大学に戻ったら、研究室の同期が、「Aki、どうだった~?」と呑気に聞いてきて怒りがこみあげてきました。「応援要請あったのに、何で来なかったの? 待ってたんだよ……大変だったんだよ!」と、何で妊婦の私しか来なかったのか、同期の理不尽さを恨みましたが、今では笑い話です。
多頭飼育崩壊という病理
アニマルホーダーは、色々な類型があり、今回は、一般の飼い主の事例で中高年齢の独身女性という典型的なパターンのようにも思えるのですが、実際には医者も獣医師も弁護士も大学の先生等のような社会的立場の高い業種の人でもなる可能性があり、年齢も多様で、20代からと若い事例も多いです。
動物種は猫が圧倒的に多いですが、犬が次に多く、ウサギも多いですし、その他、カメやトカゲ、日本ではフクロウの一般飼い主の多頭飼育崩壊事例に対応したこともあり、多種多様です。なぜ、飼いきれないくらい動物を飼ってしまって、死んでいるのにも関わらず、まだ動物を集めようとし、また、死体さえも集めようとするのか。その精神病態についてはまだ不明な点が多く、精神医学的にも解明されていない部分が多い精神疾患でもあるようです。
ですが、どの多頭飼育崩壊の事例でも、動物に苦痛があり、動物虐待の状態であるということについては、アメリカの事例も日本の事例も同じです。そして、私達獣医師は残念ながら多頭飼育崩壊に陥る人を救うことは専門外となりますが、虐待の被害にあっている動物を見過ごすことなく検知し、動物を救うことが役割であり、動物虐待を通して、地域の安全に貢献することも重要な役割だと考えています。
動物が不幸な状態を放置することは、人の安全や幸せにとっても決して良いことではなく、地域の不安にもつながります。我々獣医師が動物虐待に対応するのは、動物が「かわいそう」なのは当然のことながら、動物を通して、人や地域を守る役目も担っていると考えているからです。
本連載の中では、様々な動物虐待の事例をご紹介していきたいと思っていますが、動物虐待の中でも最も発生頻度の高いのが多頭飼育崩壊です。多頭飼育崩壊は、やはり、一度にあまりにも多くの動物が被害を受けるという点で、他の虐待とは性質が異なり、また、やっている本人も虐待している認識がない場合が多いことも特徴の一つです。
今回は、3つの冷凍庫に300頭以上の死体とともに生活をしていたアニマルホーダーでしたが、自分が虐待しているなんて毛頭考えてはいなかったようです。ただ、本人は動物虐待の容疑で逮捕され、生きていた20頭は全頭保護し、新しい家族のもとで幸せになったのがせめてもの救いです。
(第4回に続く)
田中亜紀
獣医師。日本獣医生命科学大学特任教授。1974年、東京生まれ。1998年、日本獣医生命科学大学卒業。動物病院勤務を経て2001年に渡米。カルフォルニア大学デービス校(UCD)獣医学部でシェルターメディスンと災害獣医学の研究をテーマに博士課程終了。博士(疫学)。「シェルターメディスン」とは保護施設(シェルター)における動物の健康管理についての研究。2020年2月に「日本法獣医学会」を立ち上げる。
イラスト 白尾可奈子/写真 安海関二
連載一覧
- 第1回 法獣医学にたどり着くまで ―私の原点―
- 第2回 法獣医学にたどり着くまで ―シェルターメディスンとの出会い―
- 第3回 初めての多頭飼育崩壊
- 第4回 初めての現場