新聞記者として働き、違和感を覚えながらも男社会に溶け込もうと努力してきた日々。でも、それは本当に正しいことだったのだろうか?
現場取材やこれまでの体験などで感じたことを、「ジェンダー」というフィルターを通して綴っていく本連載。読むことで、皆さんの心の中にもある“モヤモヤ”が少しでも晴れていってくれることを願っています。
【第8回】アフターピルの市販化を阻むものは何か?
生理が来ない。予定日をだいぶ過ぎたのに。今日は来るだろうか、明日は……。
トイレでしゃがむたび、心臓が縮みそうになる。
20代から30代にかけて、何度かそんな経験をした。
お先真っ暗な気持ちで悩むのは、もし本当に妊娠していたら人生が激変してしまうからだ。中絶したほうがいいのか。産むとしたら、結婚は、家族への説明はどうしよう。もし障害がある子が生まれたら……。こういうとき、男性は「じゃあ堕ろせば」などと簡単に言って、相手を絶望させる。女性が抱える悩みが通じないのは、自分の心身に直接の変化が起きないからだと思う。
でも当時、緊急避妊薬(アフターピル)があったら、ここまで悩まなかったかもしれない。
アフターピル後進国・日本
かくいうわたしも、アフターピルについて理解したのは最近のこと。なぜ性行為の直後に服用すると妊娠を避けられるのか、仕組みさえ知らなかった。自分を含む、40代以上の世代が受けた性教育の乏しさを恨みつつ、ここ数年で初めて学んだことを記してみる。
まず、とにかくスピードが命。リミットは性交から72時間以内だ。妊娠の阻止率は、時間がたつと急降下する。95%(24時間以内)→85.5%(48時間以内)→58%(72時間以内)……って、6割弱まで落ちちゃうのか。だからこそ、海外では手軽に手に入りやすい。欧米やアジアなど、世界の90カ国以上では薬局で売っている。WHO(世界保健機関)も安全性が高いので積極的に使うよう推奨。わたしは「レイプ被害後の緊急薬」だと思っていたが、避妊に失敗したとき、誰もが気軽に使える薬だという。そうだったの!
ところが、日本で手に入れるのは至難の業だ。まず医師の診療と処方箋が必要。ここで時間をだいぶロスする。夜間や土日、年末年始で病院や薬局が閉まっていたら、確実に手遅れになる。値段も日本だけ高い。海外では数百円~5千円くらいで、一部の国では無料で提供されているのに、日本は6千円~2万円もかかる。
まさに「アフターピル後進国・日本」である。
たまに中絶薬と勘違いされることがあるが、アフターピルは妊娠する「前」に用いる薬。ホルモンを調整するだけなので、体への負担は当然少ない。主成分は女性ホルモンの一つである黄体ホルモン。飲むと排卵を遅らせたり抑えたりすることができる。たとえ精子が体内に入っても、卵子と出会わないようにして受精しにくくする仕組みだ。
6年ごしで薬局での「販売」までこぎ着けるも…
ここで当然の疑問がわく。なぜ、日本では簡単に買えないのか。
市民も黙っていたわけじゃない。「医師の処方箋なしに薬局で市販してほしい」という要望は以前から強かったが、国がなかなか動かなかったのだ。
この遅さ、実はピル(低用量経口避妊薬)のときと同じ。日本でピルが解禁されたのは1999年のこと。米国に遅れること40年近く、国連加盟国の中でダントツのビリだった。議論自体は44年前から始まっていたというのに。
ここで思い出してほしいのが、男性用勃起不全治療薬のバイアグラだ。1998年の申請から承認までわずか6カ月だった。危険性はピルよりもかなり高く、国内で死亡例も報告されていたのに、この差はなんなのだろう。
アフターピルに話を戻す。やっとこさ厚生労働省の検討会で議題に上がったのは2017年。だが、この時は「時期尚早」として見送られた。なにが時期尚早だ。
あまりの遅れに、20年の第5次男女共同参画基本計画には、「処方箋なしに緊急避妊薬を適切に利用できるよう」検討することが明記された。
そして翌21年、再び検討会の議題に上がる。22年末から実施した、市販薬にすることへのパブリックコメントには異例ともいえる約4万6千件の意見が寄せられた。そのうち、賛成の意見が約98%と世論は盛り上がった。そして23年、6年ごしで薬局での「販売」までこぎ着けた。
カギカッコをつけたのは、ふつうの販売とは違う「試験販売」だからだ。
何が違うかというと、まずは販売薬局の少なさ。この時に試験販売に協力したのは145カ所で、約6万あるといわれる日本の薬局の0.2%だ。
たとえばわたしが住む東京。人口1413万人に対してたった5カ所である。地域をみてみると荒川区(2カ所)、台東区、東大和市、立川市で、だいぶ偏っている。
そうはいっても東京は交通網が発達している。地方はもっと深刻だ。市民団体「#なんでないのプロジェクト」とNPO法人「ピルコン」が実施したアンケート(※1)では、実際に利用した人から「近隣には薬局がなかった。(片道約2時間かかった)」(沖縄・23歳)という回答もあった。間に合わないよ……。
販売薬局を見つけるまでの多大な労力
それ以前に、どこで売っているのか割り出すのも簡単じゃない。わたしも販売薬局を検索してみたが、たどりつくまでにものすごく時間がかかった。
ネットで「避妊薬 薬局 どこ」と検索すると、表示されるのはニュース記事ばかり。気を取り直して「厚生労働省」を検索ワードに加える。ようやく「健康・医療緊急避妊に係る取組について」という文字が目に入るが、まだ薬局名は出てこない。このページには都道府県別のPDFファイルがあり、「これかもしれない」と期待を膨らませてクリック……したけど、違った。診療可能な産婦人科の「医療機関一覧」だった。
もう、どうしたらいいの。
イラつきながら「緊急避妊薬 薬局 試験販売」と入れてみた。やっと「緊急避妊薬に係る環境整備のための調査事業」というページが出てきた。「これだ……」。ため息がでた。
薬局名を探してスクロールすると、「上記内容をお読みの上、理解した場合のみご購入・服用ください」とあり、チェックボックスが並んでいる。
「未成年(18歳未満)は、保護者等の同意がない場合は販売できない」などの確認項目にいちいちチェックを入れ、ボタンを押すと、ようやく「取り扱い薬局リストをご覧いただけます」と表示された。
環境整備とか調査事業とか、小難しい言葉が検索を阻む。実際に必要としている人、72時間のタイムリミットで検索している人は、どれほど焦ることだろう。
薬局名が判明しても、まだまだ面倒は続く。まずは薬局に電話して予約を入れ、「事前質問票」に記入した上で薬剤師と面談しなくちゃいけない。
この質問票には、はっきり言ってプライバシーを侵害しまくりの質問が並んでいる。
「妊娠が心配な性交(セックス)の日時」「その際の避妊の状況」「最終の生理開始日」「ふだんの避妊方法」……。恥ずかしい思いをこらえて薬を出してもらったら、すぐに薬剤師の目の前で飲まないといけない。これではまるで「避妊に失敗した人なんですね」と責められ、さらし者にされているようだ。これは何かの罰ですか。
もし性暴力の被害者だったとしたら、もっといたたまれないだろう。
さらに、16歳以上という年齢条件も。で、16~17歳の場合は保護者の「同意と同伴」も必要になる。親に言い出せる子が、どれだけいるんだろうか。
市販化への懸念の多くが、科学的根拠のない不安である
どうやらこの「試験販売」は他の薬ではやらず、アフターピルに限って実施しているらしい。NHKのニュースで「処方薬から市販薬への移行で、調査研究のための試験販売をするのは初めて」と流れるのを聞いて、頭の中が「?」だらけになった。
ともあれ、今年3月に試験販売は終了。さあ、ついに市販化だ!と喜んでいると、衝撃のニュースが飛び込んだ。なんと厚労省は「今後、薬局を約200カ所増やして、さらに調査研究を続ける」という。どれだけ引き延ばす気なのか……。
さすがにこれには「市民感覚とのズレを感じる」「市販化に反対する人々に対するガス抜きのようだ」という声が厚労省に相次いだが、またゴールが遠のいた。
とにかく現状が知りたくて、今年6月上旬、「緊急避妊薬の薬局試験販売の課題と展望を考える」という勉強会に参加した。会場は、衆議院議員会館のホールだ。
登壇者の話はどれも興味深かったが、特に「目からウロコ」だったのが、明治大の平山満紀教授(社会学)による発表。緊急避妊薬について、最新の科学的情報(※2)を教えてくれた。
かいつまんでいうと、こんな感じだ。
▽どんな年齢の女性も使える。判断力が未熟な思春期の女性こそ使えるようにするべきだし、保護者の付き添いは無意味である
▽副作用が少なく安全。一般のピルが使えない高血圧などの女性でも使える
▽中絶を引き起こす薬ではないので「犯罪目的に使われるのでは」という懸念は見当違い
▽妊娠していたとしても胎児に影響はなく、不妊にもならない
▽危険な性行動を増加させない(アフターピルを使った女性が、使わない女性に比べて避妊しない率は高くないとの調査がある)
すなわち、世界のスタンダードでは「すべての女性に安全で適しており、常備薬にしておくのがよい」というのである。
これらの情報は、平山さんとゼミの学生が英語から日本語に翻訳中の、「家族計画に関するハンドブック」がもとになっている。最新の科学情報に基づいて、WHOと米国のジョンズ・ホプキンス大学が刊行したものだ。翻訳の医学的監修を担当する岡野浩哉医師いわく、「アフターピルは自動販売機で売ってもいい」くらいだという。そういえばコンドームの自販機って昔よくあったな……わかりやすい!
平山さんはこう語った。「翻訳しながら私も学生も本当に驚いた。日本での市販化への懸念は、多くが科学的根拠のない不安なのだと思わされます」
抵抗する人々とその理由
それでも遅々として進まないのは、抵抗する人々がいるからだ。17年の検討会で、「待った」をかけた勢力のひとつが、日本産婦人科医会だ。反対理由は大きく3つ。「悪用や乱用の懸念がある」「薬剤師に専門的知識が必要」「欧米と比べて性教育が遅れている」。
「悪用や乱用」という言葉がすごい。「アフターピルがあるからOK」と避妊せずにセックスをするようになる、とでもいうのだろうか。その懸念はデータ上も否定されているが、一人の女性としていわせてもらえば、現実離れしている。あんな不安で頭をかきむしるような恐ろしい状態に、誰が好んでなりたいものかね。
避妊法や性教育が圧倒的に不足する日本の状況を変えようと「#なんでないのプロジェクト」を始めた福田和子さんは「風邪薬を常備しているからといって、わざわざ寒い中で薄着をして風邪を引こうとする人がいるでしょうか」と話したが、その通りだ。
「薬剤師に専門的知識が必要」などと、やたらに薬局側の負担を重くすることにも疑問を感じる。薬剤師をしているわたしの友人は「夜間や休日に時間外対応をしろとか、プライバシー確保のスペースを設けろとか、販売の条件が多すぎる」と話す。時間外対応が難しい薬局は昼間に売ればいいだけでは。やたら厳しい条件をつけるのは、やっぱりハードルを上げたいだけにみえる。
「性教育の遅れ」を理由にするに至っては、なにを言ってるんだとしか思えない。
性を人権として教える「包括的性教育」を求める声は高まっているのだから、さっさとやってくれ。なぜ日本の性教育が遅れているのかといえば、心ある教員が性教育の授業をするたび、「保守系」の議員が「不適切だ!」と叫んで議会でやり玉にあげ、糾弾するからだ。
明治時代から時が止まったかのような、こうした「保守系」議員とは対照的に、世界では女性が避妊したいときにできるようにすることは基本的な人権であるという考え方が広がっている。SRHR(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、性と生殖に関する健康と権利)という言葉もよく聞くようになった。
そういう考え方に逆行しまくっているのが「オッサンの壁」だ。
アフターピルを身近な薬として使えないように市販化を阻み、「とにかく結婚するまで性交については教えない」ことを是とする「保守勢力」の存在である。そういうと熱狂的に性教育に反対する女性国会議員の顔も浮かぶが、あえて「オッサンの壁」と呼ぶのは、それが女性の「性と生殖」を支配することで、家父長制を維持しようとしている勢力だからである。女性自身が妊娠や出産をコントロールしはじめたら、物理的に妊娠も出産も不可能な男性は権力を失う。家父長制が成り立たなくなる。そこに、診察料や中絶手術代の既得権益を失いたくない「お医者さんたちの抵抗」が加わっているようにしか見えない。
わたしの中のオッサン…それが問題だ。
そして……。
なんと、その時代錯誤な「オッサン」は、わたしの中にも静かにのさばっていた。
自覚したのは、前出の勉強会で、女子大学生のリレートークを聞いているときだった。
「毎月生理が来るかこないか、いつも不安に感じてしまったり、1日でも遅れると夜も眠れなくなったりする。もし避妊に失敗したら朝イチで婦人科を探すのか、旅行先だったらどうするのかと不安です」
これって、まさに昔のわたしと同じだ。
彼女はこう続けた。「ヨーロッパに留学したときは、近くの薬局で安く買えるので安心感があった。日本に緊急避妊薬があれば、もっと豊かな人生が送れるようになる」
必死に訴える彼女を見ながら、わたしは自分が「ふーん。若い女の子が、こんなことを議員会館で言うんだ」とうっすら思っていることに気づいた。「それって、わたしはセックスしてますと公言してるのと同じだよね……」と。
がく然とした。「若い女がセックスをおおっぴらに語るなんて」と眉をひそめ、思い切り女性を差別してるのは、わたし自身だった。
さらに勉強会の後、別の20代女性から当惑気味にこう言われた。
「40~50代の人って、セックスは早くするべきだと思ってた人が多い気がします」
思い返せば、たしかに「いつまでも童貞や処女なのはダサい」という風潮がかつてあった。小学3年のとき、セーラー服で踊るアイドル集団が大流行した。デートに誘われたら処女でいるのはつまらない、と歌っていた。性教育をきちんと受けた若者は性交開始年齢が遅くなる、という複数のデータがある。結婚や出産をいつするか。つまり、人生計画を真剣に考えているから、避妊をきちんとするのだ。不真面目なのはどっちか、胸に手を当てた。
でも、わたしの中には、いつの間にか「常識」として、社会にはびこる偏見が刷り込まれていた。性に関する話は、いやらしいこと。人に言ってはダメ。性教育はハレンチだから学校で教えなくていい。特に若い女は性について知らなくていいし、語るべきではない……。
20~30代のころ、あんなにも妊娠したかもしれないとおびえて不安でいっぱいだった自分がいたのに。
子どもを産む適齢期についてもほとんど知識がなく、仕事にかまけてぼんやりしているうちに妊娠や出産のチャンスを逃してしまった。身もだえしながら後悔したこともあったのに。
えらそうに「女性に権利を」と叫んでいる自分がこの始末だ。
恥ずかしさのあまり、穴を掘りまくって地球の裏側に行きたくなった。
わたしの中のオッサン。それこそが、アフターピルの市販化を阻む社会の壁をつくっているんだ。でも、「常識」は変えられる。一人一人の心の中にいるこの「オッサン」を自覚して、退治していくことでしか、道は開けない。そんな気がした。
※1・「緊急避妊薬・薬局試験販売で購入された方・試みたができなかった方へのアンケート調査」#なんでないのプロジェクト調べ
https://kinkyuhinin.jp/wp-content/uploads/2024/06/ilovepdf_merged.pdf
※2・明治大・平山ゼミが和訳した緊急避妊薬に関するサイト
https://sites.google.com/view/emergencycontraception/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E9%81%BF%E5%A6%8A%E8%96%ACwhojohns-hopkins%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89?authuser=0
出田阿生(いでた・あお)
新聞記者。1974年東京生まれ。小学校時代は長崎の漁村でも暮らす。愛知、埼玉県の地方支局を経て、東京で司法担当、多様なニュースを特集する「こちら特報部」という面や文化面を担当し、現在は再び埼玉で勤務中。「立派なおじさん記者」を目指した己の愚行に気づき、ここ10年はジェンダー問題が日々の関心事に。「不惑」の年代で惑いまくりつつ(おそらく死ぬまで)、いっそ面白がるしかないと開き直りました。
連載一覧
- 第1回 立派な「男」になろうとしていた私
- 第2回 被害者の声を聞く…それはフラワーデモから始まった
- 第3回 家父長制クソ食らえ
- 第4回 祖母の死とケア労働
- 第5回 「水着撮影会」問題を自分事として考える
- 第6回 ”何かになること”を押しつけられない社会へ
- 第7回 日本社会が認めたがらない言葉「フェミサイド」
- 第8回 アフターピルの市販化を阻むものは何か?
- 第9回 日本人女性の7割がその存在を知らない「中絶薬」
- 第10回 「社会はそんなに不公正ではない」と思いたい人たち