事故物件の日本史【第7回】凶宅が「福」に転じる場合とは?|大塚ひかり

「事故物件」と聞いて、まずイメージする時代は、“現代”という方がほとんどではないでしょうか。
しかし、古典文学や歴史書のなかにも「事故物件」は、数多く存在するのです。
本連載では、主として平安以降のワケあり住宅や土地を取り上げ、その裏に見え隠れする当時の人たちの思いや願いに迫っていきます。

第七章 人を滅亡させる凶宅、人に福をもたらす凶宅

凶と福は紙一重

第五章(池袋の女)では、家に憑いて、その家を富ませる一方、いったん貧しくなり始めると、滅亡させるお崎狐という憑き物が信じられていたことについて触れた。
家の吉凶には、人間以外の何ものかが絡んでいるという考え方は古代中国にもあり、干宝<かんぽう>(四世紀半ばころ)による志怪小説集(志怪は怪を志<しる>すの意。奇談集)『捜神記』にはこんな話が語られている。以下、竹田晃による訳を引用すると、
「臨川(江西省)の陳臣は大金持ちであった。永初元年(107年)のある日のこと、臣は書斎に坐っていた。邸内には筋竹<きんちく>がひとむら生えていたが、真っ昼間だというのに、とつぜん、身の丈<たけ>一丈あまり、方相のように恐ろしい顔をした男が竹のなかから出て来た。そしてずかずかと近寄ると、陳臣に話しかけた。
『わしは長年この家に住んでおったのだが、お前は気がつかなかった。いまお前と別れることになったので、知らせてやるぞ』
男がいなくなってから一月ほどのあいだに、家から大火事が出る、下男や下女がぽっくり死ぬ、という不幸が続き、一年のあいだにすっかり貧乏になってしまった」(『捜神記』408「竹の中の福の神」)
筋竹は長さ六メートル以上になる中国南方に産する竹のこと。方相は方相氏の略で、追儺<ついな>という儀式で疫病神を退治する役を負い、四つ目で矛と盾を持つ異形の者だ。
要は、陳臣の邸内の竹の中には恐ろしい形相をした大男が住んでいて、彼のおかげで大金持ちになっていたのだが、この男が去ると貧乏になった、というわけだ。
竹の中の恐ろしい大男とは、竹の中の小さく美しいかぐや姫の対極にあって、もしや『竹取物語』の作者はこの『捜神記』の話をヒントに、竹から生まれたかぐや姫が翁の家を富ますという着想を得たのではという気もするのだが(詳細については拙著『ひかりナビで読む竹取物語』にすでに書いた)……。
ここで私が言いたいのは、凶と福は紙一重であり、福は簡単に凶に変わりうる、その逆もあるということだ。
そう考えた時、真っ先に頭に浮かぶのが、「断捨離」の提唱者として名高いやましたひでこのことなのである。

事故物件に住んで人生が好転したやましたひでこ

やましたひでこのスタンスは、あふれるモノを身の丈に合った量に減らすことで、モノを蘇らせ、人間中心の生活を取り戻すというものだ。
その考え方が好きで、彼女の出ているテレビ番組はもちろん、本や雑誌もずいぶん読んだ。
それで知ったのだが、やました氏が断捨離を始めたきっかけは、石川県小松市の事故物件なのである。
その家は、長男が自殺、悲嘆した母は病死、父も一年後に死んでしまうという悲劇があったため、七年間放置され、買い手のつかなかった築八十年以上の古民家であった。
「誰も気持ち悪がって近づかなかった家」(クロワッサン特別編集『あなたの「片づけられない」をすべて断捨離! 自宅の片づけ、実家の片づけ、夫婦関係』)
を、やました氏は、立地の良さと造りの良さから買い取った。が、新建材で塞がれた吹き抜けには、埃とカビにまみれたふとんが百枚近くもあって、
「空間という空間はモノで埋め尽くされ、埃とカビの温床となり果てて」いた(同前)。
「モノに埋もれた家」を目の当たりにした氏は「言いようのない憤り」を感じる。
「モノを優先させて、この家をゴミ溜めにしたおかげで、不幸が起こっている」と。
それで、誰もが壊して更地にしろと勧めた「いわくつきの家」(同前)を、毎朝九時から夕方四時までかけて、たった一人で片づけだす。
その古民家の長男の部屋からは趣味のレコードや絵に混じり、「半分遺書のような体調日記」も出てきたものの、やました氏の連絡を受けた元の持ち主は、「その処分代も含めて安く売ったんだ」と取り付く島もない。
そのことばでやました氏は気づいたという。
「私は何だか知らないけど、これを引き受けたんだ。縁もゆかりもないけれど、モノで窒息したこの家を再生することが私の役目なんだって」(同前)
こうして片づけを続行し、お祓いも済ませ、基礎部分からやり直し、梁に漆を塗り直したり和室だったところを土間にして皆が集まれる空間にしたりして、住みやすい家に再生。これをきっかけに「こまつ町家」を保存しようという動きも広まって、やました家はそのゼロ号に。
事故物件を「断捨離ハウス」として蘇らせたことが、やました氏のその後の活躍のきっかけとなったわけである。
事故物件が「福」をもたらしたのだ。

凶宅で母を養う孝行息子

なんだか第四章で紹介した、知恵ある学者の三善清行に似ていませんか?
曰く付きと知っている家に、たった一人で乗り込んで、そこを清め浄めてお祓いを済ませ、住める家に再生する……。
誰も住まない凶宅に、一人で乗り込み、物の怪と対話し、そこを改築させて、周囲を納得させて、移り住んだ三善清行とそっくり。
そこからやました氏の快進撃が始まって、たくさんの人が救われた……いわば「凶」が「福」に転じたことを思うと、やました氏は、清行のさらに一歩先を行っている……とも言える。

このやました氏の経験は、調べれば調べるほど、凶宅的にも実に興味深いものがある。
というのも、凶宅について調べているうち、凶宅にも「福」をもたらすタイプがあることに気づいたからである。
以下の話を知ったのは、漢籍リポジトリで「凶宅」を検索していた時のことなのだが、そこに唐代の百科事典的な仏教典籍『法苑珠林』(668年)があって、見ると、有名な「郭巨」の話があった。
「郭巨」とは先の『捜神記』にも登場する有名な孝子の名で、日本にもこの話は伝来し、南北朝時代から江戸初期にかけて作られた御伽草子の『二十四孝』にも収められている。老母を養う貧しい男に男子が生まれるものの、老母が孫可愛さに自分の食べ物を分けてしまうので、母をよく養いたいと考えた郭巨は、
「子はまた生まれる。しかし母は二人といない」(“子二度あるべし、母は二度あるべからず”)
と妻に相談。まだ三歳の可愛い盛りの息子を連れて、生き埋めにするため出かける。それで穴を掘るうちに、黄金の釜を発見。その釜には、
「天が孝行息子の郭巨に授ける。奪ってはいけない。民は取ってはいけない」(“天賜孝子郭巨、不得奪、民不得取”)
と書いてあったため、それを持ち帰り、子を殺さずに済み、また老母にますます孝行を尽くしたという話である。
今見ると、犯罪以外の何物でもない、とんでもない話ではある。
けれど古代中国では、可愛く大事な男子より、母を大切に思う、究極の孝子と考えられていたのである。
ただ、『捜神記』にも日本の『二十四孝』にも、子を埋めようとして穴を掘った際に黄金を見つけたとあるだけで、凶宅のことは一切出てこない。
ところが、凶宅を検索していて、たまたま出てきた『法苑珠林』巻第四十九と『太平御覧』(977~983)の「郭巨」の話は、紛れもない“凶宅”絡みなのだ(漢籍リポジトリ)。
『太平御覧』の話によると、郭巨はもともと“甚富”(大金持ち)の家の息子であった。ところが父が死に、財産を分けることになって、二千万両を弟二人に与え、郭巨は母を養うことにする。介護だけ引き受けて、財産はもらわないというのだから孝子ここに極まれりだが、こんな分の悪い話もない。しかるに隣に“凶宅”があって、“無人居者”つまり住む人がいなかった。それで財産のない郭巨はその他人の家に寄宿して住居としていたが、“無禍患”、何の支障もなかった。凶宅に住んでいても不吉なことは何も起きなかったのだ。そのうち妻が男子を生み、これが老母を養う邪魔になった。それで郭巨は妻に子を抱かせ、土中に埋めようとした。すると、金の釜が出てきて、その上に“鉄券”まであって、そこに“賜孝子郭巨”とあった。郭巨は、家の主に金の釜を渡すものの、家の主は受け取らず、お上も鉄券があるため、金の釜は郭巨のものと認めた。
こうして郭巨は金の釜を得て、子を養うこともできた、というわけだ。
郭巨の説話と凶宅を結びつけた研究や文章は探してもなかった。そこに注目したのはこのエッセイが初めてのはずだ。
また、郭巨絡みで“凶宅”が出てくるのは『法苑珠林』と同文の『太平御覧』四一一だけで、先に触れたように「郭巨」の話のある『捜神記』にもなかった。『捜神記』では、弟二人に財産を譲った郭巨は、母と共に「小作人の小屋に住んで、夫婦で傭われ奉公をしながら母を養った」(竹田晃訳)とあるだけだ。まして『二十四孝』や『今昔物語集』(巻第九第一)など、日本に伝わった類話には凶宅のことはまったく出てこない。郭巨と凶宅の関係性に関する研究がないのはそのせいであろうが、実はこの話、凶宅的には物凄く大事なポイントを含んでいるんじゃないかと思うのだ。

福をもたらした凶宅

『法苑珠林』や『太平御覧』の伝える「郭巨」の話では、財産相続をせず、貧しくなった主人公は凶宅に住んで、男子が生まれるという幸運に見舞われながら、母を養うために子を殺そうとするというこの上もない不幸な状態に陥った。ここで終われば、やはり凶宅はやばいな……ということになるだろう。
ところが、そこまで追いつめられた郭巨は金の釜を掘り出し、我が物にするという幸運を得た。
不吉なはずの凶宅……家主も住もうとしなかった凶宅が、孝行者の郭巨に、結果的には福をもたらしたのだ。
郭巨のしようとしたこと……我が子を殺そうとしたこと……は今なら紛れもない犯罪だが、凶宅から福を得たという点で、やました氏のエピソードと似ていると思う。
不幸が続いたからというので、誰も気味悪がって住まない事故物件……不吉な凶宅には、次もまた不幸が起きるという「負の連鎖」を恐れるあまり、通常、人は近寄らない。中には藤原兼家(→第三章)や平賀源内(今後紹介する予定)のように好奇心や合理的精神によって凶宅に住まう人もいるが、不幸な結果が待っているというのが常套だ。
が、一方で、三善清行のように無事だった例もある(→第四章)。
清行が両者と異なる点は、怪奇現象にはいちいち反応せず、それを起こしているおおもとの存在に加え、周囲の人間を納得させることができたことである。やました氏や郭巨は、さらに一歩進んで、凶宅から大きな福を得ることができた。
つまり、今まで見てきた例だと、凶宅に住まう人の行く末は、
1 不幸になる
2 事無きを得る
の二つだったのが、
3 福を得る
という第三の結果もあるわけだ。
この第三の結果を招く要因、秘訣とは一体何なのか。

凶宅を福と転じるには

まず郭巨の例で考えると、とくに秘訣らしい秘訣はないように見える。
郭巨は財産を弟たちに譲り、母を抱えて貧しかったため、やむなく隣の凶宅に住む。ただ、その土地で、金の釜を見つけた時、家の持ち主にそれを渡すという行動を含め、郭巨がきわめて正直で、不器用なまでにまっすぐな人柄であることが分かる。そうした純粋な性格が神の目に叶ったと、説話成立当時の人が考えていた可能性は高い。
一方、やました氏はどうか。
彼女が小松市に物件を買ったのは、偶然にも郭巨と同じく、母のためであった。
母を東京から呼び寄せて共に住むために家を探していたのである(クロワッサン特別編集前掲書)。
やました氏は母親との確執を別の本やテレビで語っている。にもかかわらず母の面倒を見たというのは、私などから見ると聖人のようにしか感じられない。
さらに彼女は「事故物件」視されていたその家を、徹底的に蘇らせた。
やました氏曰く「気候風土に合った機能と意匠を併せ持ち、採光と風通しのためにある吹き抜け」が布団部屋と化していた。それを、「本来の形」に戻しつつ、「今の時代に即した住みやすい家」として生き返らせた。そこに至るには、事故物件という偏見抜きで、その物件そのものの持つ良さを見抜く「目」が必要だった。
「この家に初めて入った時、私、天井に惚れたんです。1階の天井と2階の床板が、一枚板なの」
「格子の美しい外観も東京から嫁いできた、よそ者の私にはとても魅力的でした」(前掲書)
とやました氏は言う。
彼女は、その土地の人が見逃していたその物件の価値を見抜く目があった。それで、
「もともとの町家が持つ美観や機能」を取り戻したわけだ。

やました氏の断捨離のテレビ番組を見ていると、断捨離とは、家や物の持つ価値を見出し、蘇らせることなのだなぁと痛感する。
やました氏の古民家はともかく、金の釜があった郭巨の家を見ても分かるように、凶宅は一度は栄えた豪邸であることが多い。つまり、冒頭で紹介した『捜神記』の話のように、もとは大金持ちの屋敷だったのが、不幸が重なるなどして、さびれてしまったわけである。これだけなら事故物件だが、「凶宅」と呼ばれるからには、そこに入居すると不幸が繰り返されるという「負の連鎖」があったとは言うまでもない。やました氏の家はそういう意味では、凶宅未満の事故物件であったと言える。
こうした家は安価もしくは、郭巨のケースのように無料で手に入る上、うまく住まえば、見違えるように蘇る。
凶宅は文字通り「宝の山」なのである。
価値さえ分かれば凶宅に住むほうが合理的とも言えるのだ。

やました氏の家作りをきっかけに、小松市で町家を見直し、美しい町並みを維持保存する動きが生まれたことも興味深い。
「町家再生は現在では市からも補助金の出るプロジェクト」となり、
「この運動が広がって、いまでは新築でも町家に見えるように建てるひとも増えた」(前掲書)。
一軒の事故物件が、その本来の価値を見抜くやました氏の登場によって蘇った。それによって町全体が生き返ったとも言えるわけだ。
このように、「凶宅」的な事故物件は、地域全体を変えるきっかけとなることがある。
その究極の形が原爆ドームだと私は考えている。
と、その話をする前に、もう少し凶宅……曰く付きの物件について紹介していきたい。

大塚ひかり(おおつか・ひかり)

1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻、『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』『ジェンダーレスの日本史』『ヤバいBL日本史』『嫉妬と階級の『源氏物語』』『やばい源氏物語』『傷だらけの光源氏』『ひとりみの日本史』など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。4月1日に『悪意の日本史』(祥伝社新書)が刊行予定。

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