血統書がなくても、ブランド犬種ではなくても、こんなにも魅力的で、愛あふれる犬たちがいます。
み~んな、花まる。佐竹茉莉子さんが出会った、犬と人の物語。
保護犬たちの物語【第9話】がくこさんちの「こてつ」と「なむ」

半分食べられているシュールな光景(由華さん提供)
茶色い犬が、同じく茶色い犬の顔半分をぱっくり飲み込んでいる。
食べられている若い方の犬は観念しているのか喜んでいるのか、その表情は見えない。
写真には、「ほぼ食べられてます」のコメントがついている。

転げる2匹(由華さん提供)
またあるときは、若い犬が年長犬の耳を舐め続けて、ギブアップさせている。
写真についているコメントは「イヤーーッ」。

ペロと歯茎(由華さん提供)
若い犬の技は「ペロ」、年長犬の技は「歯茎」である。
こんな2匹の連日の烈しいせめぎ合いがツイッターで発信され始めると、そのあまりのインパクトに、たちまちフォロワー数はうなぎのぼりとなった。
発信者は「がくこ」。かじっている犬は当時11歳の「こてつ」、かじられているのは4歳の「なむ」である。
まるでヤクザの抗争のような形相や「こてつとなむ」という名前からオス犬同士と思われがちだが、2匹共にレデイーである。

なむ「皆様お元気でしょうか?私は食べられています」(由華さん提供)
「最初は、『大丈夫ですか』といったコメントも多かったですが、これが2匹の毎日のじゃれ合い風景と分かると、『可愛いですね』という声が増えて、私が付けるコメント以上におもしろいコメントを皆さんがつけてくださる大喜利状態になりました」と、がくこさんこと由華さんは笑う。
由華さんは、岡山県玉野市の山麓にある、創設500年の禅宗寺の三女として生まれた。当時の山麓には野犬が棲みついていた。猫たちも境内に自由出入りする寺で、由華さんが小学校2年生の時には犬がやってきた。その犬「ゴロー」は、あたりをうろつく野犬の雌犬「エルメス」に恋心をいだいているらしく、自分のごはんを残して彼女に食べさせてやっていた。
エルメスはとても用心深く捕獲できない犬だったが、イノシシ用のくくり罠にかかって使える足が3本となった。その体で出産し、気丈に子育てした。育たなかったり、保健所に捕まったり、保護されてどこかの家犬になったりと、子どもたちの運命はさまざまだった。
運よくもらわれた子犬の1匹が「こてつ」である。高校2年だった由華さんのおうちの寺犬になったのだ。

こてつの子犬時代(由華さん提供)
凛々しい顔立ちから、オスと思い込まれて「こてつ」という名になったが、メスと判明後も名はそのままとなった。
ゴローはこてつを受け入れた。こてつは、時折訪ねてくる母親のために、ごはんを残していた。
ゴローのエルメスへの恋はプラトニックで、こてつはゴローの子ではなかったが、3匹揃っている図は、仲の良い家族のようにも見えた。
だが、ゴローはこてつの遊び相手としてはオトナすぎたようだ。こてつは猫のぬいぐるみを、散歩にも咥えて連れ歩くほどかわいがっていた。ある日、由華さんがぬいぐるみを点検してみると、とても大事にしたようでどこも破れてはおらず、耳の中は舐めてやった痕があった。
エルメスは、その後、野犬の抗争に巻き込まれ、命を落とした。住職は敷地内に彼女のお墓を作ってやった。その後亡くなったゴローは、エルメスの隣に眠る。
遊び相手がなくさびしそうなこてつのためにもう1匹と思っていた住職一家は、ゴローが亡くなる前年に、獣医師経由で保護された野犬の子を迎える。それが、「なむ」だ。こてつ7歳のときだった。

やって来たばかりのなむ。最初は穏やかだった2匹だが……(由華さん提供)

なむのしつこさに、次第にこてつの表情が……(由華さん提供)
遊び盛りのなむは、最初からグイグイこてつに迫り、ペロペロ舐める。こてつは、まんざらでもない風だが、あまりにしつこいと歯茎をむき出す。
なむは大きくなっても変わらず「遊んで」と飛びかかり、ペロペロを繰り出す。こてつは本気で対応しないと負けるので、白目をむき、顔は歪み、じゃれ合いはどんどん劇画チックになっていった。
いつしかそれが、毎日の2匹の「じゃれ合い真剣勝負」の風景となり、元気の証となった。
「最初のうちは、ええっと思ってましたよ。でも、血が出たこともないし、咬まれても咬まれても、なむは大喜びで舐めにいく。咬むのは、ちゃんと手加減を心得た動物本来の愛情表現とわかりました」と、由華さん。

もちろん愛情表現です(由華さん提供)

そうです、愛情表現です(由華さん提供)
住職がお寺のホームページで綴っていた犬たちの日常報告にならって、自分もツイッターをはじめたところ、大いにバズったのだった。
「はじめは『がくこ』というヤバい犬たちがいる、と思われていたみたい。芸をするわけでもない、ふつうの雑種犬がただ咬み合ってるだけなのに、これほど注目を浴びたとは」と、これには由華さんもびっくり。
とはいえ、写真に添えた言葉にも、ご住職譲りの達観したユーモアがあふれ、見るものを元気にしてくれたのは間違いない。

こてつの頭をポンと叩くなむ(由華さん提供)
この写真に由華さんが付けたコメントはこうだ。
「仲良くない人から頭ポンポンされたときの女子」
「これぞ犬!」といった、犬の本質丸出しのじゃれ合いが編集者の目にとまり、2019年には、「がくこ」というハンドルネームをタイトルにした前代未聞の歯茎とペロの写真集が出版された。

前代未聞の「魔除け札」つきの特典版も販売された
あとがきに、由華さんはこう書いた。
「気がついたら、歯茎やペロの写真ばかり撮っていました。犬の寝ている姿も、ごはんを食べる姿も、トイレをする姿もみんな可愛いですよね。歯茎とペロも同様にすごく可愛い」
さて、本の出版から5年。こてつは15歳、なむは8歳半となった。じゃれ合う年齢はいつしか過ぎた。こてつには体調の崩れた時期もあったが、今は、2匹で朝夕の散歩を欠かさない日々を送る。
「先日、久しぶりにこてつの歯茎を見たときは、うれしかったですね」

暖かい日、寺の門前で(右がこてつ)
写真集の中の1ページ。歯茎をむき出し、顔を歪めるこてつの写真に、由華さんはこんな言葉を添えている。
「狗子仏性(くすぶっしょう)」「否!!」と。
禅問答で、「犬たちに仏性(仏の心)はあるのだろうか」「いや、ない」という意味である。
だが、若い頃は竹藪から出てきたマムシを襲ったり、ミミズを食べたりの殺生をしてきたこてつが、今はスズメに餌を取られても仏の顔つきで見逃すのを見ると、こう思わずにいられない。
「犬にも、仏性があるのかもしれない」

由華さんと散歩に出かける2匹(左がこてつ)
そして、縁あって寺の子にしたからには、この先老いても病んでも、最後の日まで穏やかな日々を送らせてやりたいと心から願っている。自身の子育てをする日々、犬たちが見せてくれたさまざまな愛の原型は、心に刻み込まれている。
佐竹茉莉子
フリーランスのライター。路地や漁村歩きが好き。おもに町々で出会った猫たちと寄り添う人たちとの物語を文と写真で発信している。写真は自己流。保護猫の取材を通して出会った保護犬たちも多い。著書に『猫との約束』『寄りそう猫』『里山の子、さっちゃん』(すべて辰巳出版)など。朝日新聞WEBサイトsippo「猫のいる風景」、フェリシモ猫部「道ばた猫日記」の連載のほか、猫専門誌『猫びより』(辰巳出版)などで執筆多数。
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