事故物件の日本史【第13回】「凶宅」の被害を受ける者、受けない者の違いとは|大塚ひかり

「事故物件」と聞いて、まずイメージする時代は、“現代”という方がほとんどではないでしょうか。
しかし、古典文学や歴史書のなかにも「事故物件」は、数多く存在するのです。
本連載では、主として平安以降のワケあり住宅や土地を取り上げ、その裏に見え隠れする当時の人たちの思いや願いに迫っていきます。

第十三章 凶宅はなぜできるのか?

人を蝕むモンスター物件とは

引っ越す時、家を買う時、前にどんな人が住んでいたのか、なぜその家を手放すことにしたのか、気になることはないだろうか。
結婚や転勤といった理由であれば安心だが、家族に立て続けに不幸があった等の理由だと、そこに不吉なものを感じて、「縁起でもない」という気持ちになったりする。
まして近隣トラブルがあったことが分かった場合には、自分も同じような目にあう可能性もあるし、殺傷事件などがあった日には、犯人が現場に戻って来る可能性もあることを思えば(松原タニシの本を読むと、実際そうしたこともあるから怖い)、その不安感は根拠がないものとは言えまい。
ここまで目立ったことはなくとも、先住者が不幸続きだった家より、平穏無事に暮らしていた家に、できることなら住みたいと思うのが人情だ。
それは、家が人に及ぼす影響力の強さと共に、家には住んでいる人の「念」のようなものが宿ることを無意識に信じているからかもしれない。
「念」というと大げさだが、家というのは良くも悪くも住んでいる人の心模様……心の内を反映する。
「断捨離」の提唱者であるやましたひでこは、「家は人なり」といった趣旨のことを常々言っていて、実際、家を見れば、その人の性格はもとより暮らしぶりが分かるものだ。
乱雑な家には、乱雑な暮らしをしている人が住んでいる。乱雑な暮らしをしていると、家はますます乱雑になって……というループにはまる。その逆もあって、家を整えると、しばしばその人の暮らしそのものが整ってくることは、やました氏の番組『ウチ、“断捨離”しました!』を見ていると分かる。家は、人間の皮膚か内臓のように、その人を形作るのだ。
そうした先住者の「記憶」が、家にはしみついているのだと、心のどこかで感じているから、人はそこに住まう時、先住者がそこを引き渡すに至った「事情」が気になるのだろう。
とはいえ、先住者がいくら乱雑な暮らしをしていても、次に住む人がすっきり綺麗な暮らしをすれば、家はおのずと整っていく。先住者がどんな暮らしをしていようとも、よほどの事件性がない限り、その「記憶」は受け継がれないはずだ。
それが普通なのだが、中には、ちょっとやそっとのことでは浄化されない、不吉なことが繰り返される手ごわい家というのもあって、理由としては風の通りが悪いとか、地形的に問題があるといった要素もあるのだろうが、何の理由も思い当たらず、それはもう先住者たちの「念」がしみついて「家」自体が人を蝕むモンスターのようになってしまったとしか思えないような、そんなオカルトめいた物件も、大島てる(彼については「はじめに」で詳述した)の事故物件サイトを見ていると、存在するように思う。

映画『シャイニング』のホテルの場合

その伝でいうと、映画『シャイニング』の舞台となったホテルは、まさに人を蝕むモンスターとしか言いようのない物件だ。
ここで『シャイニング』のあらすじを説明すると……。
アルコール依存症を患う小説家志望の主人公ジャックが、冬のあいだだけ閉鎖して営業停止している山頂のホテルの管理人をつとめることになる。そのホテルというのが、過去に管理人が妻子を殺したという曰く付きの物件。それと知りながら、ジャックは妻子と共に住み込んだあげく、自分も悲惨な事件を起こしてしまう。
そうなのだ。
このホテルは、住む人を不幸にする「凶宅」なのである。
不幸を呼ぶ家という概念は、洋の東西を問わないんですね……。
作品の中で「呪われたホテル」(スティーヴン・キング、深町眞理子訳『シャイニング』下 文春文庫)と呼ばれているこのホテルが、なぜ凶宅になったのかというと……このホテルで起きたスキャンダルや事故で死んだ人間の「念」が、ホテル自体に力を持たせ、生きている者(主人公のジャック)に取り憑いて家族を殺すように命じ、その霊力をいっそう強化しようとしている、という設定だ。つまりは過去のたび重なる悲劇が、今の悲劇を呼んでいる。
加えて、凶宅の餌食にされる者は、ジャックのように、アル中で暴力的な父と、「意気地のないめそめそ女」(前掲書)の母のもとで育ち、自身もアルコール依存症で暴力的という心の闇と心の隙、弱さと不満を持つ人間であることが浮き彫りになる。
凶宅もといモンスター物件も、相手を選んで襲っているわけだ。
もしもジャックが、やましたひでこのような、あるいは三善清行のような人であったら、そこは浄化されていたのではないか(→第四章、第七章)。この発想は、私の考える事故物件的に大事なポイントとなってくるのだが……今回は、そもそもなぜ凶宅というものができるのかについて、思いを馳せてみたい。

事故物件のでき方

なぜそこまで家土地が崩壊していくのか。
そのヒントとなるのが、平安後期の『今昔物語集』の巻第二十七第一の話ではないか。
曰く、三条大路の北、東洞院大路の東の角には“鬼殿”と呼ばれる霊の住む場所があった。そこが鬼殿になったのは、まだ京に遷都されていなかったころというから、794年より以前のこと。今の鬼殿のある場所に大きな松の木があった。その脇を一人の男が馬に乗り、やなぐい(矢を入れて背負う武具)を負って通りかかると、にわかに雷鳴がとどろき大雨となったので、男が馬から降りて木のもとに座ったところ、落雷に遭い、馬共々死んでしまった。そしてそのまま男は霊になった。やがて遷都があり、そこに家が建って人が住むようになったものの、霊は失せず、たびたび“不吉<よから>ぬ事”があったという(巻第二十七第一)。
男が霊になったのは思いがけず死が降りかかり、その死に納得できなかったから、であろう。
ここが一つ、ポイントとなる。
初めに存在するのは、「納得できない霊」、いわゆる成仏できない霊なのだ。
そんな男の霊によって凶事があっても人が住み続けたのは一等地だったからである。が、結局、凶事がたび重なって、凶宅と化してしまった。
天皇になりたかったのになれぬまま死んだ、嵯峨天皇の皇子の源融が住んでいた河原院が、宇多法皇の御所となったあと、融の霊の出現する幽霊屋敷になって、寺になったことは第一章で触れた。これも、同じ源氏に下った皇子ながら、宇多は即位したのに、自分はできなかったという恨みと納得できぬ気持ちと、その邸宅が陸奥の塩竃<しおがま>を模した豪壮なものだったため、一つには場所への執着もあって、霊の住む曰く付きの邸宅となったのである。
このように、曰く付きの物件となるのは、その物件で事故や事件があったり、恨みをのんで納得できぬまま死んでいった(であろうと人々に信じられている)人が過去に住んでいたりといった原因がまずある。
陽成院の住んでいた二条院がお化け屋敷となったのも、殺人を犯して退位したとされる陽成院が、その屋敷でも数々の陰惨な事件を起こしていたため(→第一章)、殺された人々の怨念が憑いていたと考えられていたのではないか。

もちろん原因が分からぬまま物の怪が住みだすようになったお化け屋敷もある。その手の屋敷に住んだ藤原兼家は病を得てまもなく死んでしまい、そこは寺になったものだ(→第二章)。
古典文学に描かれる凶宅は、むしろ原因不明のまま凶宅となった所が多く、藤原兼家と同時代に生きた源高明(藤原道長の妻・源明子の父である)の住んでいた桃園邸もその一つだろう(→第十一章)。
第十一章と一部重複するが、さらに詳しく説明すると……当時、桃園邸の寝殿の東南の母屋の柱には、節穴が空いていた。その節穴から、夜になると小児の手が出てきて手招きするという怪異があった。高明が穴の上にお経を結びつけても、仏の絵をかけても、怪異はやまない。ところがある人が戦に用いる“征箭<そや>”(征矢)を一本穴に差し込んだところ、矢のある時は怪異がなかったので、矢の柄部分を抜き、矢の身の部分(鏃<やじり>)を深く穴に打ち込んだところ、怪異は止まったのだった(『今昔物語集』巻第二十七第三)。
が、源高明という人は、左大臣の位にまでのぼりながら、讒言<ざんげん>によって大宰府に左遷されてしまい、のちに帰京するものの、政界に復帰することはなかった。
左遷されるという災難があったからこんな話が後付けで作られたという可能性もないではないが、もともと物の怪の出る屋敷であった上、その物の怪に敬意を表すどころか、矢を打ち込むようなことをしたために(正月に飾る「破魔矢」のような魔よけ的な意味があったにしても)、家の主人である高明が災いに遭った……そんなふうにも解釈できるのではないか。
第十一章でも触れたように、この桃園邸ものちに世尊寺という寺になっている。寺にすることは、凶宅の行方としてはポピュラーなもので、事故物件の有効活用と言える。

事故物件と植物は似ている?

さて、このように古今東西のフィクションを含めた曰く付きの物件を見ていくと、あることに気づく。
そこに取り憑いている霊なり物の怪は、その物件にじっと棲んでいるだけで、ほかの場所にさまよい出ることがない。
動かないのである。
誰かに対して恨みがあるなら、恨みのある人やその子孫のもとへ出向いて復讐すればいいのに、たまたまその場所(家)にやって来た、見ず知らずの無関係な罪もない人に悪さをする。それはつまり、植物と同じでその場を動けないからなのだ。
事故物件を形作る怪異というのは、通常、その場に行きさえしなければ何事も起きない。
「シャイニング」に出てきた男も、そのホテルの冬の管理人になりさえしなければ悲劇は起きなかったわけで、事故物件とは、そこに赴いた者にのみ牙をむく、受け身の存在なのである。
こうした現象を、地縛霊よろしくその場に取り憑いた「もの」(そうしたものがあるとすれば、の話であるが)の立場で考えてみるに、一つには、そいつは、その「場」に対して深い執着があるから、そこを動かないわけである。もちろん、植物よろしく物理的に「動けない」ということもあるのだろう。
逆に言うと、その物件を離れさえすれば、たいていの不幸は避けられるし、悪いことは「場所」のせいだという発想にもつながるわけだ。
それで思い出すのは鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』の醜い博打打ちの息子の話で、彼の将来を案じた両親と博打打ちの仲間は一計を案じ、天下のイケメンを婿に求めている大金持ちのもとに息子を婿入りさせる。当時の結婚は、男が女の家に三日通って成立する。通うのは夜なので、そのあいだは、うまくすると顔を見せずに済むのである。ところがいよいよ昼に相手の娘に会わねばならぬ時がきた。そこで婿側は思案して、鬼に扮した博打打ちの仲間が天井裏にのぼり、
「その娘は私が自分のものにしてから三年経つのに、どうしてくれる。顔か命かどっちか寄越せ」
と迫った。婿が「どうしよう」と迷うふりをすると、舅姑は「命さえご無事であれば。顔を選びなさい」と勧め、鬼に扮した仲間は婿の顔を吸ったふりをする。と、婿は不細工になったと。もともと不細工だったのだが、鬼に吸われて不細工になったというストーリーを作ったわけだ。何も知らない大金持ちの舅は婿を気の毒がって財産を譲り、
“所の悪しきか”
と言って、別の場所に良い家まで造って住まわせてくれたのだった(一一三話)。
悪いことは「場所」のせい、だからその場所から離れさえすれば運命が好転するという考え方がここにはある。
場所についた“鬼”(この話では人間が化けた偽物なのであるが)は、その場を去れば、追いかけて来ないと考えられていたわけだ。
とまぁ、このように、事故物件というのは基本的に植物的な存在なのである。
適切な水やりと日光などのケアがあれば、枯れ木も復活することがあるように、場合によっては、見違えるように生まれ変わることもある。しかも、ことばも通じないような違う文化圏から来た、違う価値観を持つ人間、はたまた強靭なパワーを持った人間に対しては手を出さない、内気で内弁慶なところもあるのだ。

「事故物件」吉良邸跡を蘇らせたのは

見てきたように、同じ「凶宅」と呼ばれる屋敷でも、被害を受ける者と受けない者がいる。そのカギは、過去の悲劇への理解と敬意、そして周囲(家族)を納得させる説得力であった(→第四章、第七章)。
もう一つ、全く異なる文化圏からやって来た、違う価値観をもつ「異人」とも言うべき者は、被害を受けないことがある。
その名も「事故物件」と題するマンガには、怪奇現象が起きても全く気にせず、事無きを得た、勉学にいそしむ外国人留学生のエピソードがあって、もとよりフィクションであるとしても、人の心理と物事の道理をよく取材した作品であると感じた(小林薫/著、斎/監修『強制除霊師・斎 自殺女房』 所収「事故物件」)。
また、事故物件に住んでブレイクした「事故物件芸人」松原タニシの著書には、事故物件を買いたたく中国人が登場し、これまた、さもありなんと思ったことだ(松原タニシ『恐い間取り3』)。
不退転の覚悟で勉学に励む外国人留学生や、五千年の歴史と筋金入りの合理主義で鍛え上げられた中国人商人にとっては、たかだか近代以降にできた物件で多少の怪異があっても、意にも介さぬということかもしれない。

その伝で言うと、吉良邸のあった土地が蘇ることができたのも、武士とは違う価値観をもつ町人の存在が大きいのではないか。
江戸中期、浅野内匠頭が、江戸城の殿中で吉良上野介に斬りつけた。理由については、朝廷の饗応役を命じられた内匠頭が、礼法指導者である上野介に十分な付け届けをしなかったため、パワハラにあい、たまりかねた内匠頭が斬りつけたとされるが、真相は諸説あって明らかではない。
内匠頭は即日切腹を命じられ、お家は取り潰しとなり、一方の上野介にはお咎めなしであった。そのため翌年、主君の仇を討つために、四十七名の赤穂浪士が吉良邸に討ち入って(実際に討ち入ったのは四十六名)、上野介の首級をとり、さらにその翌年、浪士たちも切腹した。
この事件は平和な世間を騒がし、『太平記』(室町時代)の世界に仮託した(江戸時代には武家の出来事を文芸にするのは禁じられていたため)『仮名手本忠臣蔵』として文楽や歌舞伎の人気演目となり、今も時代劇のネタとして名高い。
問題は、事件の起きた吉良邸である。
吉良邸は二千五百坪を越す豪邸であったが、上野介のほか、家老小林平八郎はじめ、吉良家のスタッフ十六人が殺されている(山本博文『赤穂浪士と四十六士』など)。
要は事故物件となってしまった。
そのため跡地には武家が入るのを嫌がり、「町人地となった」というのだ(栗原亮『忠臣蔵の真実』)。
武家の刃傷沙汰による怨念など気にしない町人、武士にとってはまさしく「異人」が事故物件の住人となったのである。
外国人が事故物件を安く買いたたくのにも似た、頓着のなさを感じる。

ブレイクスルーを起こすのは別の価値観をもつよそ者

このように、事故物件を蘇らせるのが、時に「異人」であること、誤解を恐れずに言えば「よそ者」であることは興味深い。
石川県の古民家を再生させたやましたひでこも、その土地にとってはもともとよそ者であった(→第七章)。
よそ者は、時として、停滞した現状をブレイクスルーする「救世主」ともなることは、『今昔物語集』巻第二十六第七・第八などに見える、生贄<いけにえ>の話を見ても分かる。古くは、地上に降りたスサノヲが、ヤマタノヲロチを退治して、生贄となるはずだったクシナダヒメと結ばれた『古事記』の話も然りである。
これらの説話では、生贄を止めるのは必ず「よそ者」なのである。よそ者が、生贄という制度のばかばかしさに気づいて、本来、生贄となるはずだった娘に代わって生贄となり、土地の人たちに畏れられ崇められていた猿神などのアニミズム的な神を退治して、その土地の有力者になるというパターンだ。
同じように、よそ者の視点で見ると、事故物件だからといって、一等地を敬遠する態度はばかばかしく思えるからこそ、買いたたいたり、「安く住めてラッキー」となったりもするのだろう。
あえて建設しにくい形の土地を買い、ホテルを造る業者もある(そういう土地は相場の二割くらい安い上、駅近であることも多いから一石二鳥なのだという)とNHKでやっていたが、これは事故物件ではないものの、「知恵」ある者の土地利用という点で、事故物件に住んでも事無きを得る人々に一脈通じるような気がする。

話を浅野内匠頭の事件に戻すと、事件の起きた元禄期というのは、西鶴に代表される町人文化が花開いた時期に重なる。
武士が金銭を卑しみながら、その実、賄賂政治を横行させていた傍ら、西鶴はこう主張したものだ。
“金銀を溜むべし、これ二親の外に命の親なり”(『日本永代蔵』巻一)
“俗姓<ぞくしやう>・筋目<すぢめ>にもかまはず、ただ金銀が町人の氏系図<うぢけいづ>になるぞかし”(同巻六)
金銀こそは、両親を除けば、唯一とも言える命の親である。
家柄や血筋に関係なく、ただ金銀が町人の氏系図になるのだ。金銀こそ、町人にとってのステイタス、命の親というわけだ。
極論すれば、こうした精神のもとに成長してきた町人にとっては、武士の体面からくる事件などは、娯楽として楽しむ対象でありこそすれ、避ける事故物件ではなかったのである。

大塚ひかり(おおつか・ひかり)

1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻、『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』『ジェンダーレスの日本史』『ヤバいBL日本史』『嫉妬と階級の『源氏物語』』『やばい源氏物語』『傷だらけの光源氏』『ひとりみの日本史』など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。4月1日に『悪意の日本史』(祥伝社新書)が刊行予定。

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