『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』 奥野克巳×国分拓 特別対談 「ボルネオとアマゾン、森の民の生き方に学ぶ」第3回

私たちの当たり前をひっくり返し、新しいものの見方と考え方を示してくれる文化人類学。長年、文化人類学者として、ボルネオの森に生きる狩猟民プナンの人々とともに暮らし、研究してきた奥野克巳さんが、これまでの人類学の知見に基づいて昨年6月に上梓した『これからの時代を生き抜くための文化人類学入門』は、現在3刷となっています。

昨年11月には、ジュンク堂書店池袋本店にて、NHKのディレクターで、ヤノマミをはじめとする南米アマゾンの先住民を長らく取材し番組制作を手がけた国分拓さんをゲストに迎えたトークイベントが行われました。今回は、その模様を「コレカラ」にて特別公開いたします。

第3回は、国分さんが撮影に成功した、文明社会に接触したことがない先住民「イゾラド」のお話です。

【第3回】文明に触れたことがない人々「イゾラド」

文明を知らない先住民との接触

奥野:「ヤノマミ」も大変面白かったですが、文明社会とは一度も接触したことない人々であるイゾラドを追ったドキュメンタリーも、凄いなとしか言いようのない作品でした。最初に川の向こう側に弓矢を持つイゾラドたちが現れたのを写した映像は、現地の人が撮影したものですか。

国分:番組も初めの方に出てくるものは集落の人が撮影しましたが、最後に出てくるシーンはNHKのカメラマンが撮りました。イゾラドと接触を続けている基地での撮影許可はたった3日間しか降りなかったのですが、そういう引きの強さはあるんですよね(笑)。

奥野:イゾラドとの接触のための前線基地で、イゾラドの家族と接触した経験のあるロメウさんに「1人だけ入っていい」と言われ、接触できたわけですね。

国分:ええ。カメラマンが近くで撮影することができました。カメラマン1人だけが異物なわけですから、言ってみればカメラマン本人にとっては残酷なものです。小さなデジタルカメラで撮影していましたが、普通なら顔の位置まで上げて撮るところを危険だと感じて、腰だめの位置で持って撮影していました。その場で、カメラを介してではなく、人間対人間で相対しないと失礼だと考えたようです。

奥野:「ノモレ、ノモレ(友、仲間の意)」と言っていましたね。

国分:「ノモレ」しか言葉は分かりませんし、それを言っていれば大丈夫だからとも聞いていました。あの部族にとっては非常に大切な言葉だと。

奥野:ドキュメンタリーでは、マシュコ・ピーロと呼ばれたイゾラドをはじめ、文明人との接触が描かれていますが、今でも接触していないイゾラド――そもそもイゾラドとは未接触の先住民の総称ですね――が、21世紀のこの時代、アマゾンの奥地にまだいるわけですね。これは凄いことです。

国分:僕の感覚では、ブラジル政府が公式に発表している数よりも、もっと実数は少ないだろうと思います。ブラジル政府はこのところ、イゾラドの数を増やしているようです。政府のHPを見ると、イゾラドの数は何万人とされていますが、それは純粋なイゾラドではなく、すでに接触がある先住民も含まれていて、端的に政府の管理下にいない人々も含まれていると思われます。管理できないから、イゾラドとしてカウントしているところがあるのではないでしょうか。本当の意味でのイゾラドは、もっと少ないと思います。僕の感覚では、200〜300人ほどといったところです。

奥野:イゾラドがかつていた森に作られたモンテ・サルバードという集落は、戻ってきたイゾラドによって襲撃され、人々は逃げ、家畜は殺されてしまったことが描かれていますね。

国分:あのときは、たまたま集落には3、4人くらいしかおらず、そのときにイゾラドの襲撃があったそうです。

奥野:略奪はされていなかったものの、犬や鶏といった家畜が殺されていた。

国分:そうですね。あとは衣服を切り裂いている。自分たちが知らないものに対する憎悪があったのではないか。ペルーの人類学者はそう解釈していました。私も、そう思いました。

奥野:その襲撃の前には、バナナを交換するなど、仲良くしていたわけですよね。

国分:ええ。でも、どういう「仲が良い」かによると思います。彼らからすれば、モンテ・サルバードの集落が作られた辺りは、もともと、自分たちがいた場所なんですね。だから、「ここは自分たちの土地なんだから食い物をよこせよ」となるのかもしれません。

イゾラドを啓蒙しようとするキリスト教徒

国分:ペルーにイゾラドが出現したのは2010年くらいからのことで、私たちが取材したのは2014年のことでした。イゾラドが現れたという情報が流れると、さまざまな人がイゾラドに接触しようとやってくるわけですよね。学者はあまり来ませんが、圧倒的に多いのが宗教家たちです。彼らを最初にキリスト教徒にしようと熱意に燃えた人たちがいるわけです。
しかし、そういうことは、これまでの人類史の中でも何度もあったことですよね。それが今も繰り返されていている。基本的にはプロテスタントの原理主義者ですね。彼らはイゾラドを教化しに行きたいというわけです。彼らを取材したら面白いのではないかとも思いましたが、彼らは政府の許可を取らずに入っていってしまう。そのため、政府は彼らの立ち入りを禁止しています。そんな人たちの後をNHKの人間がついていくのはどうだろうかということもあり、なんて会社に嘘をつこうかなとも思ったのですが、嘘が思い浮かばなかった(笑)。
ブラジルでもペルーでも、宗教活動のために保護区に入ることは当然ながらできません。だから彼らは許可も取らずにイゾラドのところへと入っていき、Tシャツなどのお土産を持参して、アコースティック・ギターを弾きながら讃美歌を歌うわけです。『ミッション』という南米の先住民に布教活動にきた宣教師を描いた映画がありましたが、彼らは恐れないわけですよね。宗教家にとって、殉死することは美しいですから、恐れない。

奥野:神のご加護があると考えるわけですね。恐れがないのは強い。

国分:もちろん、それは極端な例ではありますが、恐れがないことの暴力というものもありますよね。

 

文明の側による暴力

奥野:私が調査しているボルネオにも、ノマドの人たちはかつて、たくさんいました。しかし、イゾラドの場合とは接触の仕方が違ったのだろうと思います。ボルネオそのものが日本の1.5倍ほどですから、ボルネオの森自体は大きいと言っても限られています。その中でどのようにして接触が起きたかというと、交易をしていたのです。狩猟民と焼畑民の交易の関係があって、それを通じて定住するように促して行ったのが、1950〜60年代のことでした。80年代に入ると、ほぼすべての狩猟民が定住村にきたという事実があります。しかし、いまだに200人ほどが森に住み、森のノマドとして暮らしています。南米のイゾラドの場合と、かなり事情が違いますね。
そういう意味では、いまだに文明と接触しないイゾラドがいるというのは衝撃的な事実であり、同じノマドであっても、プナンはすでに文明の側にかなり入り込んでいるということだと思います。イゾラドは、文明人にとってかなり外部の存在ですよね。

国分:そうですね。ちゃんとした接触はないわけですが、それでもナイフを持っているイゾラドなんかもいるわけですよね。すでに文明の側と接触している他の先住民を介して、何代か前に交換されたものだと思います。そのことを考えると、純粋なイゾラドというものはもはや存在しないかもしれません。

奥野:いずれにしろ、何らかの形で接触があり、文明側の道具を取ってきたり、使ったりしていることもあるかもしれないけれども、それでもこちら側からすると、非常に扱いにくい「他者」なわけですよね。

国分:そうですね。また接触というのも、必ずしも友好的な接触であるはずがなく、たとえばブラジルの場合、「殺す/殺される」の関係だったのではないかと思います。多くのイゾラドの人たちは、よそ者が入ってくると300kmくらい、かなり遠くへ逃げてしまう。「殺す/殺される」の関係がなければ、そこまで必死に逃げたりはしないのではないでしょうか。やはり、何かあったとしか、僕には思えない。
例えば、アマゾンには合法・非合法含めて、多くの伐採業者があります。そこに雇われた伐採人のひとりが、私たちのインタビューで「森に素っ裸の連中がいる。邪魔だし盗みも働くので殺してもいいか」と雇い主に許可を求めたと証言したのです。でも、それを伐採業者にあてると、「そんな問い合わせはなかったし、仮にあっても、やめろ、殺してはいけないと答えるに決まっている」と言うんですね。
アマゾン奥地を取材していると、現在進行中の話として、そんな証言とたくさん出合うんです。イゾラドらしい水死体を警察が引き上げて解剖したら、胸部に撃たれた跡があったとか。政府がイゾラドの集団と接触してみたら、19人中3人から銃で撃たれた傷が見つかったとか。

奥野:文明側の暴力というものがまずあり、それに対してイゾラドたちは恐れているというわけですね。

国分:そういうふうに僕は思わざるを得ないんですけれども。

(構成◉大野真)

本連載は毎週火曜日更新の全五回となります。

プロフィール

奥野克巳(おくの・かつみ)
立教大学異文化コミュニケーション学部教授。1962年生まれ。20歳でメキシコ・シエラマドレ山脈先住民テペワノの村に滞在し、バングラデシュで上座部仏教の僧となり、トルコのクルディスタンを旅し、インドネシアを一年間経巡った後に文化人類学を専攻。1994~95年に東南アジア・ボルネオ島焼畑民カリスのシャーマニズムと呪術の調査研究、2006年以降、同島の狩猟民プナンとともに学んでいる。単著に『一億年の森の思考法』『絡まり合う生命』『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』、共著・共編著に『今日のアニミズム』『モア・ザン・ヒューマン』『マンガ人類学講義』『たぐい』Vol.1~4.など。共訳書にコーン著『森は考える』ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ』インゴルド著『人類学とは何か』など。

国分拓(こくぶん・ひろむ)
1965年宮城県古川市(現大崎市)生まれ。1988年早稲田大学法学部卒、NHK入局。NHKディレクター。手がけた番組に『ヤノマミ』(ニューヨークフィルムフェスティバル銀賞ほか)『ファベーラの十字架 2010夏』『マジカルミステリー“工場”ツアー』『あの日から1年 南相馬 原発最前線の街に生きる』『ガリンペイロ 黄金を求める男たち』(ギャラクシー賞月間賞)『最後のイゾラド 森の果て 未知の人々』(モンテカルロテレビ祭入賞ほか)『ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉』『北の万葉集 2020』ほか。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフクション賞受賞。他の著作に『ノモレ』『ガリンペイロ』がある。

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