本屋さんの話をしよう【第2回】書店における魔の空間│嶋 浩一郎

本屋はいつでも僕を笑顔にする!

「本屋大賞」の立ち上げに関わり、実際に下北沢で「本屋B&B」を

開業した嶋浩一郎による体験的「本屋」幸福論。

【第2回】書店における魔の空間

お店には「魔のバーミューダトライアングル」的な人の心を惑わす恐ろしい場所があるのをご存知でしょうか? それは、レジ横。お買い上げアイテムを選び終わりぼんやりとレジに並んでいるタイミング、あるいはレジで支払いを済まし満足感に満たされる、その時間に魔の手が忍び寄るのです。

スーパーマーケットやコンビニエンスストアでもレジ横はマーケティングの実験場になっているという話をよく聞きます。スマホでキャッシュレス決済をする人が多くなった今でも、レジはお財布を手にする場所。それはまさに財布の紐が緩むというか、実際に財布を開けちゃっている場所に他なりません。そこで、ちょっとした「ついで買い」をしちゃうんですよね。

自分もコンビニのレジでついついチロルチョコを買ってしまいます。お釣りでもらった小銭をちょうど使い切ることができる!という謎の達成感があるのかもしれません。レジの横のチロルチョコのボックスに、「北海道ミルク クッキー&クリーム味出ました!」とか、「新作!シャインマスカット」なんてコピーの書かれたPOPが付いていると、なんだか得した気分になってついつい手を出してしまうわけです。

そう、店内をいろいろと物色し、掘り出しものを見つけた気分にもなって、さあ支払いという余裕が滲み出る瞬間にタイミングよく何かをすすめられると、ついつい手にとってしまうのが人間の悲しい性なんです。

本屋さんの腕が試される「レジ横」

本屋さんも例外ではありません。いや、レジ横におかれる本の人に与える魔力と言ったらコンビニの比ではありません。「レジ横消費」という消費形態はまさに本屋さんのために作られたのではないかとさえ思ってしまうのです。

もはや、これ以上持ちきれないほど本を抱えてレジに並んでいたのに、あら不思議、レジ横に置いてあった本をついつい手に取って購入してしまう。そんな、ロスタイム中にゴールをきめられてしまうような悪魔のような本屋さんは少なくありません。

あれほど店内を歩き回って、さんざん時間をかけて購入する本を吟味したのにかかわらず、最後の瞬間で買うつもりのなかった本を手に取ってレジに差し出してしまう……。オススメ上手の本屋さんには、自分の意志がこんなにも弱いのかということをいつも気づかされます。

「混沌」という言葉が似合う書店

そんな、自分の意思の弱さとの戦いを毎度繰り広げていた本屋さんがかつて阿佐ヶ谷にあった書原です。阿佐ヶ谷駅を降りて中杉通りを南に歩いていくと青梅街道に突き当たるのですが、その青梅街道に「靴」という大きな赤い看板の付いたビルがあり、その中二階のフロアにその心の戦場はありました。

書原は阿佐ヶ谷の地に1967年(昭和42年)に開業し、惜しまれながら2017年2月19日に閉店しましたが系列店のつつじヶ丘店がお店を引き継いでいます。

このお店を一言で表すのなら「混沌」という言葉が似合うのではないでしょうか。書原のホームページを見てみると「売り場面積は決して広いとは言えませんが、面積における書籍の在庫量は多く、各ジャンルの入門書から専門書まで取り揃えてあります。」と書いてあります。しかし、これはちょっと謙虚すぎますよ!

書原阿佐ヶ谷店は本が棚からあふれんばかりに陳列されていました。ちょっとした隙間があればすかさずオススメの文庫を置いてみたり、足下まで面陳された本が並べてありました。書原の店内を歩くのは本の海を泳ぐ感覚でした。もう、何時間あっても足りないくらい。

特定のジャンルを見てみると、もちろんベーシックにおさえるべき本がしっかり揃っていることは言うまでもなく、「こんな本があったんだ!」というような見たこともないような本が置かれていました。ホームページに「意外な書籍との出会いがあるかもしれません。」なんて、これまたシレっと書いてあるんですが、書原をたずねるたびに、そんな出会いをこれでもかというくらい体験できました。いやはや、このお店、謙遜がすぎます。

レジ横に置かれた変化球な本たち

書原にいくのには本と格闘する、心の準備というか、ある種の覚悟を必要としていました。店内を見るだけでかなりの満足度が得られるため、レジに並ぶときの気分は「ああ、一仕事終えた」くらいの感じなわけです。その油断した心に、レジ横からの悪魔のささやきが。今から思えば、そんな心の隙間をつく、高度なレジ横戦略が書原にはあったのかもしれません。

さて、そんな書原でレジ横にどんな本が置かれていたかというと、それが、売り場に出されたにもかかわらず、なんだか本当に売れるのか心配になってしまうような本たちだったんです。レジ横本の定番といえば、サイン会で来店した作家の本、地元の作家の本、ワイドショーやニュースで話題になった時事問題に関する本だったりすることが多いのですが、書原のレジ横に置かれた本はかなりの変化球でした。

自分が書原のレジ横で購入してしまった本を思い出してみると、「校正記号の使い方」とか、「メダカの飼い方」とか。JR中央線の電車の運転マニュアルみたいな本も買った記憶があります。この本は誰が買っていくのだろう?という疑問がふつふつと浮かぶ、そんな本たちが買い物の最後に登場するのでした。

仕事にもプライベートにも役に立たないことなのに…

しかし、これは本好きを相手にする商売としては、ある意味、非常に正しい作戦かもしれません。本好きは書原のレジ横の本を見ると、自分がこの本を買わなかったらいったい誰がこの本を買っていくのだろう? このかわいい仔犬を見捨てることなんてできない!と思ってしまうのです。

自分だけがこの本の魅力を感じ取るセンサーを持っているかもしれないという気持ちをくすぐられちゃうんですよね。かくして、あれだけ吟味しまくって厳選してレジに持ちこんだ本にプラスしてレジ横本も買われていくのでした。仔犬が無事、新しい飼い主を見つけられたように。

そして、不思議なことに店内で吟味して選んだ本より、最後にレジ横で買った本を読んでみるとそちらの方が面白かったり、印象に残ったりするものです。今の仕事にもプライベートにもまったくもって何の役にも立たないんですが、何年も前に読んだ本にもかかわらずメダカの飼い方、覚えてますよ。

不思議ですよね。いったいなんでなんだろう?と思うのですが、人はドラマチックに出会った思い出をひきずる生き物なんでしょうかねえ? 書店のレジにはドラマがあります。

嶋 浩一郎

クリエイティブ・ディレクター。編集者。書店経営者。1968年生まれ。1993年博報堂入社。2001年、朝日新聞社に出向し若者向け新聞「SEVEN」の編集ディレクターを務める。2004年、本屋大賞の立ち上げに参画。現本屋大賞実行委員会理事。2012年にブックディレクター内沼晋太郎と東京下北沢にビールが飲める書店「本屋B&B」を開業。著書に『欲望する「ことば」「社会記号」とマーケティング』(松井剛と共著)、『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。ラジオNIKKEIで音楽家渋谷慶一郎と「ラジオ第二外国語 今すぐには役には立たない知識」を放送中。

連載一覧

 

 

(イラスト みずの紘)

 

 

-本屋さんの話をしよう, 連載