『傷だらけの光源氏』大塚ひかり×辛酸なめ子 特別対談「リアルとスピリチュアルで語る源氏物語」第3回

輝くような美貌の持ち主・光源氏と女性たちが織りなす恋愛絵巻――「源氏物語」を読んだことがない人でも、そんな雅やかで華麗なイメージは持っているでしょう。しかし、実は病気、死、暴力、抑圧、貧困といった、現代にも通じるリアリティが詰まった物語である、と古典エッセイストの大塚ひかりさんは解き明かします。

大塚さんの新刊『傷だらけの光源氏』は、そんな独自の視点から「源氏物語」をとらえ直した一冊。浮かび上がってくるのは、キラキラと浮世離れした王侯貴族としてではなく、生身の人間としての光源氏。

同書の刊行を記念して、2024年4月にジュンク堂書店池袋本店でトークイベントが開催されました。ゲストは、コラムニストの辛酸なめ子さん。皇室マニア、心霊好き……アンテナの範囲がハンパない辛酸さんにとっての、「源氏物語」とは。

「源氏物語」の五感をめぐる描写に注目した大塚さん。第3回目は、辛酸さんが気になった“味覚”からはじまり、嗅覚、身体表現、最後にはエロスの話へと広がります。

第3回 紫式部が極めた、直接的でないからこそのエロス

辛酸:『傷だらけの光源氏』の第3章は「五感で感じる『源氏物語』」でした。意外だったのが、当時の文化では食にまつわることがすべて「いやしい」とされていた、ということ。男性たちが食事中にある女性を話題に出したら、それは彼らがその女性を低く見ていることになる、というのも、現代にはない感覚ですね。

大塚:現代だと、最初のデートはどこか食事にでも、ってなりますよね。ところが平安時代は、枕草子にも「男が来たときに食事は絶対に出してはいけない」とあるぐらい、恋愛シーンにおいて“食”が無粋と思われていた。召使が出した場合はしょうがないけど、それすらもイヤだと清少納言は書いています。

辛酸:「東京カレンダー」みたいな雑誌があったら、貴族は「なんて下品な!」「男女がいきなり食事するなんて!」となりそうですね。

大塚:「これだから庶民は!」と馬鹿にするかもしれませんよ。「源氏物語」でも、男が姫君を覗き見したら、女房たちが栗をガツガツ食べているなか、姫君だけは「食欲がない……」とぐったりしていた、というシーンがあります。男は、食欲のないその姿に萌えながら、女房たちの食事がものめずらしくて何度も見てしまう。よほど「はしたない」と感じたのでしょう。

辛酸:味覚の描写が薄いのに対して、嗅覚、においはすごく重要だったのですね。匂宮と薫という名前がつけられるぐらいですから。

大塚:〈匂宮〉の巻は作者別人説もあるのですが、匂宮は香道の達人で、薫は常に体から人の目を覚ますほどの香りが出ていた、という設定は面白いですよね。「源氏物語」においては、女性よりも男性の香りのほうが重要なんです。〈宇治十帖〉でも、中の君が薫に迫られたあとで、匂宮が訪ねてくる。匂宮は「薫と関係したのではないか」と疑うのですが、それは中の君に薫のにおいが移っていたからです。実際には一線は越えず、薫が中の君を抱きしめていただけなのですが、香り=男の痕跡ですから。

源氏と子孫、光と闇の物語

辛酸:ところで現代では「かおる」はいいにおいで、「におい」はクサイというイメージがあるんですけど、当時はどうなんでしょう? それだと匂宮の名前がちょっとかわいそうじゃないですか?

大塚:それに関しては、いまの感覚と違っていますね。「に」には、赤という意味合いもあって。だから「におい立つ」はただ嗅覚の話ではなく、赤く輝くようなオーラがある、光を含んだにおいがある、とイメージしてもらうといいと思います。

辛酸:においという語に、やんごとなきオーラが出てるという意味も込められているんですね。

大塚:そうです。光源氏は、“光=シャイニング”ですよね。においには、その光の要素もある。同じ嗅覚に関する言葉でも、「かおる」は闇なんですよ。闇に漂っているイメージ。
ちなみに法華経では、仏は光と香りを放つ存在だとされています。私は「源氏物語」を仏教文学としても読めると思っているのですが、それは、光を放つ光源氏と、光と闇のにおいを放つ子孫たち……というところにも、仏教的な雰囲気を感じるからです。

辛酸:いまのお話だと、子孫たちのほうが光源氏より魂が上、ということになるんでしょうか?

大塚:おそらく、“光”が上です。「源氏物語」は光源氏の物語で、彼が死んで光が消えた。その後の光なき世界が〈宇治十帖〉ではないでしょうか。

光源氏&頭中将の体型は?

辛酸:「源氏物語」では、いろんな女性の肌の描写をはじめ、登場人物の肉体について詳細につづられているんですね。

大塚:はい、私は古典の身体描写がとても好きで、古事記からはじまっていろんな時代の古典から身体描写を抜き出してみたんです。そしたら、「源氏物語」は群を抜いて詳細でした。

辛酸:肝心の光源氏はどんな体型だったんですか?

大塚:光源氏は「源氏物語」でも身体描写がいちばん多いし、詳しいです。スラッとした体型だったようですね。若いころは背丈と横幅が釣り合わないぐらいの長身で、中年期になってやっと縦と横が釣り合うようになってきた、と書かれているので、かなりの細身だったとわかります。ライバルの頭中将は同じく長身なんだけど、貫禄があっていかにも大臣だというような体型。

辛酸:ちょっと太めだったということですね。

大塚:とはいえ、どの人物も詳しく描写されているわけではなくて、光源氏が恋い焦がれた藤壺中宮は雰囲気重視で、身体が微に入り細に入りは描かれない。一度だけ関係を持つぐらいの女性や、朧月夜あたりは、「豊満だった」などそれなりに詳しく描かれている。つまりここでの身体描写は、ほぼ光源氏目線のセックス描写なんです。「源氏物語」はダイレクトなセックス描写がないことで知られていますが、その代わりに身体描写や花鳥風月をとおしてセックスを表している。

辛酸:奥ゆかしいんですね。

大塚:ボカしながら描くって、かえって妄想がかき立てられてエロチックですよね。

辛酸:少女だった紫の上が光源氏と最初に行為をしたときのシーンも印象的ですよね。髪の乱れの描写があって。

大塚:紫の上は涙で髪がぐっしょり濡れていた、と。ここも直接的な表現はなく、「男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり」とボカされている。間接的だからこそのエロスがありますよね。

観察力を活かした身体描写

大塚:藤壺中宮との密通も、濃厚です。父・桐壺帝の死後、光源氏は藤壺のもとに忍び入ります。藤壺は逃げようとするけど光源氏に上着をつかまれたので逃げられない。上着を一枚脱いでかわそうとしたら、今度は上着と一緒に髪をつかまれ、髪の毛ごと引き寄せられ、そのまま……というシーンです。

辛酸:それを想像力で描いているのが、紫式部のすごさですね。それでいて上品さもあります。

大塚:この直接的でない表現が、いろんな言い訳にもなるんですよ。露骨でないから、検閲にも引っかかりにくい。

辛酸:いつの時代にも受け入れられるってことですね。身体表現といえば、『傷だらけの光源氏』ではじめて知ったのですが、紫式部は「紫式部日記」で、同僚である女性たちの身体を細かく描写していたんですね。「この人は白くてムチムチしてる」とか。そうやって褒めておいて、最後に「でもこの人、上司とヤッてるんだよね」と……あれ、怖かったです。

大塚:「殿上人の見のこす、少なかなり」――この人たちはみんな殿上人にヤラれちゃってるんですよ、ってスゴイですよね(笑)。

辛酸:紫式部はそもそも事情通なのだと思いますが、当時は女性同士が他人の身体を見る機会ってそんなにあったんですか?

大塚:局(つぼね)が同じなら一緒に寝起きするので、そんなときに紫式部は同僚をジーッと観察していたのでしょう。

辛酸:こっそりメモを取っていたかもしれないですね!

(構成◉三浦ゆえ)

本連載は毎週金曜日更新の全4回となります。

プロフィール

大塚ひかり(おおつか・ひかり)
1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻、『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』『ジェンダーレスの日本史』『ヤバいBL日本史』『嫉妬と階級の『源氏物語』』『やばい源氏物語』『ひとりみの日本史』など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。

辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻。在学中から執筆活動をスタート。最近の著書に『女子校礼賛』『無心セラピー』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『辛酸なめ子の独断!流行大全』『辛酸なめ子、スピ旅に出る』『大人のマナー術』『煩悩ディスタンス』などがある。

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