新聞記者として働き、違和感を覚えながらも男社会に溶け込もうと努力してきた日々。でも、それは本当に正しいことだったのだろうか?
現場取材やこれまでの体験などで感じたことを、「ジェンダー」というフィルターを通して綴っていく本連載。読むことで、皆さんの心の中にもある“モヤモヤ”が少しでも晴れていってくれることを願っています。
【第11回】司法の世界にもはびこるジェンダーに対する歪んだ価値観
涙と鼻水がダラダラ流れた、ある記者会見の動画
約1時間の動画に、打ちのめされた。
どうしてこんな陰惨なことが起きるんだろう。
視聴しながら、涙と鼻水がダラダラ流れた。
その動画は、上司から性的暴行を受けたと訴える女性の記者会見だった。
上司とは、元検事正の北川健太郎被告(65)。
かつて大阪地方検察庁のトップで「関西のエース」と言われた人物だ。
記者会見は10月下旬、元検事正の初公判が終わった直後に開かれた。
「わたしは現職の検事です」
気丈に淡々と話そうとしては、涙で声が震える女性検事の、首から下の映像が流れる。
「被害をうけてから6年間、本当に苦しんできました」
「女性として、妻として、母としての尊厳、検事としての尊厳を踏みにじられ、身も心もぼろぼろにされ、家族との平穏な生活も、大切な仕事もすべて壊されました」
女性検事も元検事正も、犯罪を処罰するための仕事に従事する法律のプロだ。
しかもこの女性検事は、一貫して性暴力や虐待事件に取り組んできたという。
性犯罪の撲滅を目指して仕事に打ち込む女性に、性暴力を働くことが何を意味するのか。元検事正がそれを分からなかったはずがない。
二重のおぞましさに、言葉を失った。
尊敬していた職場のトップから性的暴行を受け……
記者会見で語られた内容から、事件を振り返ってみる。
事件が発生したのは2018年9月12日のこと。
女性検事は同僚とともに、検事正昇進を祝う懇親会に出席した。
仕事や育児の疲れもあり、同僚がつくる濃い焼酎の水割りを口にするうち、途中からテーブルに突っ伏して意識を失った。タクシーで検事正に官舎に連れ込まれ、目が覚めると「性交されていた」。見知らぬ場所で全裸にされ、尊敬していた職場のトップから性的暴行を受けている状態に驚がくし、恐怖と絶望で凍り付いた。口封じのために「殺されるかもしれない」とも思った。
「夫が心配しているので帰りたい」と声を振り絞ったが、自力で歩けない状態につけこんで、執拗に暴行は続けられた。
検事正は言い放った。
「これでおまえも俺の女だ」
ああ、このセリフ……。どこかで聞いた気がする。
早稲田大の文学部教授が、教え子の大学院生に言ったセクハラ発言がよみがえった。
「卒業したら、俺の女にしてやる」
指導を名目に呼び出されたレストランで、食事中に大学院生が教授に言われたセリフだ。
おまえは、俺の所有物。性欲というより、これはむき出しの支配欲だ。
涙ながらに話す女性検事の言葉に、同じ女性として、自分の体が痛むような感覚に陥った。
「わたしは帰って、汚された体を洗って、洗って、洗いまくって」
「3時間近くレイプされていましたのでおなかも痛くて」
「子どもを抱きしめて泣きながら寝ました」
事件後、女性検事は泥酔してしまった自分をひたすら責めた。
性被害の直後は、相手への怒りよりも自分を責める気持ちが強くなる。仕事柄、そうした正確な知識があっても、自責の念から逃れられなかった。
後日、なぜあんなことをしたのかと検事正を問いただした。すると謝罪どころか、「時効がくるまでは、食事をごちそうする」と軽口をたたかれた。
苦しみに蓋をするように今まで以上に仕事に打ち込んだが、心身に異変をきたす。
頭痛、胸の痛み、不眠、フラッシュバック……。
だが相手は上司なので、書類の決済をもらうため接触せざるを得ない。
決済のたびに検事正は部屋のドアを閉め、訴えないかどうかを探ってきた。
怒りを募らせた彼女が辞職を求めると、返ってきたのはこんな文面。
「表沙汰になれば自死するしかない」
「大スキャンダルとして検事総長以下が辞職に追い込まれ、大阪地検は組織として立ちゆかなくなる」……。
女性検事は被害を訴えられなくなった。自殺すると脅された上、自分の被害が公になれば、同僚や検察庁全体に迷惑をかけてしまうと思ったからだ。
検事正は翌年、多額の退職金を手に仕事を辞める。定年まであと3年もあった。
罪悪感のかけらもない退職後の様子が、次々と女性検事の耳に入ってきた。
ホテルでの盛大な退官記念パーティー。弁護士になり、企業のコンプライアンスに携わる仕事を始めたこと。夜な夜な現役の検事らと飲み歩いては、古巣の検察庁に今でも大きな影響力を持ち続けていること……。
「検事正だった人間が、これほどまでに罪深く、不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない」
女性は怒りと悔しさでPTSD症状が悪化し、ことし2月に休職せざるを得なくなった。
覚悟を決め、4月に検察庁に自らの被害を申告。「事件が闇にほうむられるのでは」と不安と恐怖に襲われ続けたが、6月に元検事正が逮捕され、その後起訴されて、女性はようやく職場に復帰した。
ところが、そこで典型的な「セカンドレイプ」に遭う。
くだんの懇親会に同席していた女性副検事が、元検事正に捜査情報を漏洩。さらに「同意があったと思う」「PTSDは詐病」「金目当ての虚偽告訴ではないか」などと検察庁内にウソの情報を吹聴していたのだ。検察庁はそれを知りながら、女性を副検事と同じ職場に復職させた。女性検事はショックで体調を崩して再び休職に追い込まれ、現在に至っているという。
司法の世界にも存在する女性差別
検察官や裁判官、警察官といった司法に携わる人も加害する。
この事件は、そこに驚く人も多かったと思う。だがわたしにとっては、それほど驚きではなかった。これまでの取材で、そういうエピソードがいくつもあったからだ。
たとえば裁判官のケース。
少し前の話になるが、『あなた、それでも裁判官?』(2009年)という本を出版した中村久瑠美さんという弁護士がいる。
裁判官だった夫からのDVで離婚。その後、「同じように苦しむ女性の力になりたい」と弁護士になった経緯を本にまとめた。
理不尽な暴力が始まったのは、結婚してすぐのこと。当時25歳の中村さんは、公務員宿舎で暮らしていた。3カ月前に出産したばかり。「ミルク代と出産費用を出してほしい」と頼むと、夫は馬乗りで顔面を殴ってきた。片目が失明寸前になる重傷を負って入院した。
衝撃的なのは、そのときの夫の発言だ。
血まみれで殴られている最中、「これじゃ傷害罪になっちゃうな」という夫の言葉が聞こえた。
おかしいのは夫ばかりではない。上司の裁判官に相談すると、「警察には行かないように」と止められたという。
犯罪だと認識しながら暴力を振るい、さらには仲間うちで隠蔽する裁判官たち。
中村さんは「エリート家庭で大事に育てられた夫は、女は暴力で矯正するものだ、と信じていた」と語った。殴ったり蹴ったりして意のままに従わせるもの。それが元夫にとっての「妻」という存在だった。
その後、シングルマザーとなった中村さんは猛勉強して司法試験に合格。
弁護士や検事、裁判官として実際に働くために必要な「司法修習」を受けていた1975年、世間を騒がせる事態が起きる。
指導教官の裁判官が、女性の司法修習生たちに「裁判官や検事、弁護士になるなんて考えずに良い奥さんになる方がいい」「女に裁判は分からない」などと言ったことが報じられたのだ。
中村さんのこんな感想が強く印象に残っている。
「女性への差別発言は、教官個人ではなく、司法界全体の問題だと思ったんです」
今も脈々と生き続けているゆがんだ価値観
その言葉通り、司法に携わる人々の間にも、ジェンダーについてのゆがんだ価値観がはびこっている。もちろんそれは法廷での判断にも大きく影響する。
DV防止法に基づいて裁判所が出す「保護命令」を、無理解な裁判官に取り消されたケースを取材したことがある。
被害者は福島県内の20代女性。夫から殴る蹴る、首を絞めるといった暴力に加え、性的暴行を繰り返されていた。女性の親族が地元の警察に訴え、一審の地方裁判所では、夫に女性への接近禁止命令が出された。
夫は粘着テープや手錠で女性を拘束して日常的に性的暴行をしており、「性交渉の範囲を逸脱した暴力」と認定されたためだ。
ところが二審の高等裁判所で、裁判長がその判断をひっくり返した。
理由は、「暴行は事実でも、すぐに逃げなかったのは緊迫感に欠ける」から。
性交渉を拒んだ女性は夫にベッドから蹴り落とされ、あばら骨が折れた痛みで動けなくなった。加えて、乳幼児の子ども2人を置いて、自分だけ家を出るわけにはいかないと考えた。「逃げなかった」のではなく、「逃げられなかった」のだ。
想像力の欠如とはこのことか。
1年半で7回も警察に相談したにもかかわらず、1999年2月に姫路市で20歳の女性が元交際相手の男に殺されたDVストーカー殺人事件もあった。
この事件を詳しく知る弁護士に話を聞くと、なんと「警察の対応」が加害者をエスカレートさせていたことが分かった。
警察が「2人が同居しているかどうか」で対応を変えたからだ。
男は、親戚宅にかくまわれていた被害女性を探しあて、窓を割って侵入し暴行。1カ月後に、家宅侵入や傷害などの容疑で逮捕された。
ところが逮捕時、女性は男の自宅に軟禁されていた。
すると警察は「同居している」とみなして書類送検で済ませた。その後、男が女性に重傷を負わせたときも、警察は同居を理由に逮捕さえしなかったという。
なんだそりゃ。
傷害事件が一転、「家の中での痴話げんか」に矮小化されたことは想像に難くない。
男どうし、赤の他人どうしだったら、こんなことにはならないはずだ。
壮絶な暴力が見逃されるのは、女性が人間ではなく、「男性の所有物」とみなされるからではないか。そうでなければ、これほど扱いに差が出るわけがない。
司法関係者の、女性への暴力に対する認識がゆがみすぎている。
だから加害者が正しく裁かれずに社会に野放しにされるんだ!と叫びたくなった。
女性のみならず、男性のDV被害が軽視されてきたことも、やっと近年注目され始めている。それも男女間の「痴話げんか」にされるからだと思う。家庭内の暴力が深刻な犯罪とみなされないことが根本にあると感じる。
いま例に挙げた話は10年以上前の話ばかりだが、男尊女卑と家父長制に基づく認識の「ゆがみ」は、今も脈々と生き続けている。
その証拠に、2017年以降に刑法の性犯罪規定が改正されるきっかけになったのも、理不尽な無罪判決が相次いだことだった。
「被害者は逃げようと思えば逃げられたはずだ」と実の娘をレイプしていた父親を無罪にするなど、時代錯誤な刑法の性犯罪規定を杓子定規に解釈する裁判官の感覚は現実からずれまくっていた。抗議の声が上がったのは記憶に新しい。
司法のジェンダーバイアスをなくすために
冒頭の、性的暴行を受けた女性検事の話に戻る。
わたしが会見の動画を見ながら鼻水をすすり続けた理由は、憤りと悲しみだけではなかった。これまで彼女がしてきた仕事がどういうものだったかを知って、感動したからだ。
女性検事は、会見でこんなふうに語った。
若いころに電車内で痴漢にあった。恐怖で逃げるのに精一杯で、声も出せなかった。
ストーカー被害にあったときは被害届を出したが、警察にまともに捜査してもらえなかった。「被害を受けても声を上げられない、声を上げても届かないことを身をもって体験してきた。だからこそ被害を受けた人に寄り添いたいと思って検事になった」
性犯罪の本質を正しく理解し、被害者の過酷な実態を知ってほしい。
そんな思いで検察庁や警察で講義し、自分の培った経験や知識を共有してきたという。
まさに、司法のジェンダーバイアスをなくすための活動そのものだ。
被害者が求めている理想の検事は、こういう人だ。
女性検事の信条は「被害者と共に泣く検察」。
でも、これまで見てきた実態は、そんな検事ばかりではなかったという。
「客観証拠がないから、もう不起訴にしよう」と積極的に捜査をしない検事。
警察が集めた証拠を見て、すぐに「ああ、難しいからやめよう」と不起訴にする検事……。
わたしの友人女性がレイプ被害にあったときもそうだった。
恐怖で抵抗できなかったために「有罪の見込みが少ない」とみなされ、担当検事にあからさまにやる気のない対応をされて絶望したという。
会見の中でも、女性検事は、報道陣や視聴者に、少しでも知識を伝えようとしていた。
性犯罪は知り合い同士の間で起きることが多いこと。客観証拠が乏しいケースが大半であること。だからこそ加害者が「性暴力などしていない」「同意があった」「同意があったと思い込んでいた」と無罪を主張しがちなこと………。
最もつらいはずの犯行状況まで、詳細に語った。
「わたしは露悪主義者ではないですから、性被害をみなさまの前で話したいわけではありません」と前置きして、涙を流しながら話し続けた。
「ふつうの被害者は、自分から『こんなひどいレイプをされました』なんてなかなか言えないので、わたしの被害を伝えることで知ってほしいと思って、話します」
なんという強い意志なんだろう。
「お話しするのは、当時の被害を思い出して話すので、再体験をしている状態になります。
だからわたしだけじゃなく、被害を受けた方に話を聞くときは、被害を再体験させているんだ、ということを分かったうえで、検察官や捜査機関はお話を聞くべきで、配慮が必要だと思っています」
被害を言い出せずにいたあいだ、女性検事は性犯罪の事件処理に没頭していたという。
「少しでも長く、性犯罪者を被害者から遠ざけるために、必死に捜査して、余罪も掘り起こして、起訴しまくって、有罪判決をとり続けていました」
「被害者が回復するための時間を確保してあげたいし、自分が声を上げたことが無駄ではないと思ってほしかった。自分自身が泣き寝入りさせられたから、そういう被害者を救うことで、わたし自身も生きていけると思いました」
その仕事さえ奪ったのは、検事正が何事もなかったかのようにのうのうと退職後の生活を謳歌する姿。そしてセカンドレイプをした女性副検事、それを許した検察組織だ。
「懸命に捜査して、正しく事実認定をして、法的評価をしなければ、勇気を持って声を上げた被害者をさらに傷つけ、性犯罪を許すことになり、被害者が絶えない悲劇をもたらします」
そう語った女性検事に、どうか仕事を続けてほしい、と思う。
そして同じような情熱で性犯罪事件に取り組む人が、司法の世界にもっと増えてほしい。
あまりにも深い傷が消えることはないけれど、せめてわたしたちがそういう世の中をつくる努力をしなければと、祈るような思いでいる。
……と涙ながらに原稿を書いていたら、締め切り直前(2024年12月10日)になって、衝撃的なニュースが飛び込んできた。
わずか2カ月前の初公判で起訴内容を認めて謝罪した元検事正が、いきなり無罪主張に転換したのだ。この期に及んでなにそれ……。
女性検事は再び会見を開いた。
否認に転じたことを知ったときは「絶句し、泣き崩れた」。
それでも「私は検事です。検事として正しいことを貫きたい」と言って、こう言葉を結んだ。
「被告人がどのように主張しようが、真実は一つです。司法の正義を信じます」
出田阿生(いでた・あお)
新聞記者。1974年東京生まれ。小学校時代は長崎の漁村でも暮らす。愛知、埼玉県の地方支局を経て、東京で司法担当、多様なニュースを特集する「こちら特報部」という面や文化面を担当し、現在は再び埼玉で勤務中。「立派なおじさん記者」を目指した己の愚行に気づき、ここ10年はジェンダー問題が日々の関心事に。「不惑」の年代で惑いまくりつつ(おそらく死ぬまで)、いっそ面白がるしかないと開き直りました。
連載一覧
- 第1回 立派な「男」になろうとしていた私
- 第2回 被害者の声を聞く…それはフラワーデモから始まった
- 第3回 家父長制クソ食らえ
- 第4回 祖母の死とケア労働
- 第5回 「水着撮影会」問題を自分事として考える
- 第6回 ”何かになること”を押しつけられない社会へ
- 第7回 日本社会が認めたがらない言葉「フェミサイド」
- 第8回 アフターピルの市販化を阻むものは何か?
- 第9回 日本人女性の7割がその存在を知らない「中絶薬」
- 第10回 「社会はそんなに不公正ではない」と思いたい人たち