人気ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」でパーソナリティーと調査を担当していた室越龍之介さん。
コテンを退社した現在はライターとしても活躍する彼が、その豊富な知識と経験を活かして、本連載では、とっつきにくい印象のある「名著」を、ぐいぐいと私たちの日常まで引き寄せてくれます。
さあ、日々の生活に気づきと潤いを与えてくれるものとして、「名著」を一緒に体験しましょう!
【第6回】凶のおみくじと『自省録』
七文字にていう
東京に越してきてからというもの、時々栃木県に行く。
用事はバラバラなのだが、東京駅から栃木県の宇都宮駅まで新幹線で45分とかなり近いことがわかったのが大きな理由だ。
僕にとって宇都宮は食い道楽の街だ。美味しいレストランがたくさんある不可思議な都市である。
元々宇都宮にはほとんど何の縁もなかったが、市内でイチゴを生産している高橋農園という農家さんとネット上のふとしたきっかけで知り合った。彼らが経営するパフェ屋さんがよく行列ができるほどの評判だというので、食べることの好きな僕は試しに宇都宮に行くことした。パフェ屋の店長は料理人で、果物の選定に目利きがある。パフェはとても美味しかった。店長の舌を信頼した僕は、宇都宮のおすすめレストランを尋ねてみた。あちこちと店名を教えてもらったので、宇都宮に行くたびに一軒一軒尋ねている。今の所、ハズレはない。全て美味しい。
とはいえ、 折角宇都宮に行っても、食うばかりでは能がない。足を伸ばして県北の温泉に行ったり、観光名所である日光東照宮に行ったりする。
日光東照宮は言わずと知れた徳川家康を神様と祀っている。家康の神様としての名前は東照大権現という。東照宮は当時の贅を尽くした煌びやかな建築が目に楽しく、また鳴き龍という音の反響を工夫した薬師堂もあって耳にも楽しい。東照宮から日光二荒神社に向かう水路が通っている道はかなり気持ちのいい場所で、僕は気に入っている。
とても良い場所だ。
こういう場所に来ると引きたくなるのがおみくじである。
僕は占いをよくする。
台湾で易も受けたし、キューバでもババラオという当地の司祭に占ってもらった。ボリビアで魔女にコカの葉占いをしてもらったこともある。占いとなるとやってみたくなる性分だ。
日光東照宮では「日光東照宮御遺訓おみくじ」というちょっと変わったおみくじを引くことができる。
神君家康・東照大権現から直々にお言葉を賜るという仕組み。
陽明門に、眠り猫、本殿に、鳴き龍をひとしきり堪能した僕はおみくじを引いた。
結果は「吉」であった。
おみくじの結果は、大吉・吉・中吉・小吉・凶の順に運が良いという。
吉とはまずまずの結果だ。
おみくじに記された大権現の御遺訓をさて読もうと目を移してみて驚愕した。
人の行いを七字にて言う
「身の程を知れ」
お説教である。
「身の程を知れ」とはあまりにはっきりとした物言い。
続いて書かれてあったのはこうだ。
「人は我が身の分を弁(わきま)えねばならぬ。他人の身を羨むことを止め、気を引き立てて家業に専念せよ。仕事は力量相当にしておけ。虚飾を去れ。運勢の開かれると開かれないとは、自己の心構えによる。」
大説教である。
確かに仕事は力量を超えて受けているかも知れない。この連載の原稿もいつも遅れて提出している。遅れているくせに筆力もない。こんな実力で令和ロマン髙比良くるまや博報堂ケトルの嶋浩一郎と同じ媒体で原稿を書いているなんてことは出過ぎている。
僕の力量を大きくはみ出ることだ。
だけれども、僕も食べていかなければならない。
ご縁があればなんでもやるしかない。
力量相当にしたいところだが、どうしても背伸びをしてしまうこともある。
大権現様にはもう少し目溢ししてほしい。
そうして思い返してみれば僕は、九州は肥前、佐賀藩士の子孫である。
佐賀藩は、薩摩藩や長州藩とともに徳川幕府を討幕した薩長土肥の一角である。260年余りも続いた自分が開いた幕府を打ち倒されたのだから、敵対勢力の子孫にも恨み節があろう。さしもの神君・家康も明治維新の遺恨があって、少々意地悪しているのかもしれない。
これは、他の神様にもご意見を聞いてみなくてはならないと思い至った。
おみくじ・セカンドオピニオン
故あって、上方に出張をしなければいけなくなった。
京都で少し時間ができたので、近くにある平安神宮に詣でた。平安神宮は、平城京があった奈良から現在の京都がある平安京に都を遷した桓武天皇が祀られている神社だ。僕の先祖と政治的な対立はないはずだ。
意を決し、おみくじを引いた。平安神宮のおみくじは、六角柱の容器からみくじ棒がでてくるタイプで四番だった。近くの巫女に「四番です」と告げると奥から一枚の紙片を持ってきた。
見てみるとなんと「凶」である。
「数ふれば ここだくの悔 ことごとく 思ひあがりの 一つより出づ」
数えてみれば幾多の後悔すべきことが有るが、どれもその元は思い上がりということだ。何事につけても過信は身を滅ぼす元であり、謙虚に人の言葉を受け入れ、人の信用を得て、人と和を図り、神意を迎えてことを行うことが成功の道である。常に自分を戒めることこそ一番大切である。
というわけだ。
桓武天皇も東照大権現と同じ意見だった。
しかもより辛辣である。
おまけに凶!
人生に凶を引いたのは二度きりである。
一度目は嫌なムードの経営会議に参加する前に吉凶を占おうとして凶を引いた。福岡県福岡市中央区の警固神社でのことであった。睦月の早朝、冷気が頬に寒かったのを覚えている。
その後、儚くも職を失うことになった。
今回は一体全体何が我が身に起こるのだろうか。
僕はあまりにも落ち込んだので、翌日、嵐山の野宮神社でもおみくじを引いた。観光写真でよくみる竹林のなかにある神社。天照大神が祀られている。
結果をみれば、なんのことはない大吉であったが、メッセージはこうだった。
「目上の人の思いがけない引き立てで、心のままに調い家内仲良く暮らされます。色を慎み、身を正しく目上の人を敬って目下の人を慈しめば愈々運開きます。」
要は「身の程を知れ」ということだ。身の程を知り、引き立ててもらえば感謝をしなければならないし、そうして知己を得た周りの人にも同様ということだ。
三柱の神々の意見は一致している。
どうやら、僕は思い上がっている。
ちょっと愚かな僕は実際に何がどう「身の程知らず」なのかちゃんとはわからない。でも、ここまで来たら「自分は身の程知らずである」ことを前提として振る舞った方がよい。
そもそもよく考えれば、「おみくじのセカンドオピニオン」などという発想そのものが神意に対して思い上がっているのだ。御神託を真摯に聴こうという姿勢すらない。
その通りだ。
身を戒め、虚飾を捨て、一切の他人に寛容にならねばならない。
身を戒め、虚飾を捨て、一切の他人に寛容になるにはどうすれば良いだろうか。
誰を模範とすべきなのだろうか。
ストア派に打たれた哲人皇帝
うってつけの本がある。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』だ。
歴史に名を残す偉大な皇帝が、自らを顧みて記した書物。その禁欲的で内省的な本は、まさに「自らを戒める書」なのだ。
世界史を履修した方はご存知だろう。マルクス・アウレリウスは五賢帝と呼ばれ、ローマが最も広大で勢いがあった時代の皇帝だ。
ローマ貴族の子として生まれたマルクス・アウレリウスだったが、父親を幼少期に亡くしている。幼少期から聡明な子どもだったと見えて、遠縁の大叔父で時の皇帝であったハドリアヌス帝の寵愛を受けた。ハドリアヌス帝は在任時にローマ帝国の版図を歴史上最大にしたことで知られており、名君だった。ハドリアヌス帝はマルクス・アウレリウスを「Verissimus(もっとも真実なる者)」と呼んでいたといい、子どもの頃から誠実なタイプだったであろうことが窺える。
ハドリアヌス帝、そしてその後継者のアントニヌス・ピウス帝に異例の抜擢を受け続け、帝位の後継者の使命を受けた。普通なら自身の立身出世に喜び勇むところであると思うが、マルクス・アウレリウスはあまり乗り気ではなかったそうだ。
彼の心は哲学に惹かれていた。
当世一流の哲学者たちから薫陶を受けたマルクス・アウレリウスは、その教師の一人を真似て哲学者風の粗末な衣服を着て、夜も寝床ではなく床で寝るなど、哲学の道を志していた。
特に彼がハマったのは、ストア派哲学だ。元々ギリシアのアテネで始まった学派で、公共の会堂「彩色柱廊(ストア・ポイキレ)」で講義が開かれたため、ストア派と呼ばれるようになった。
ストア派はよく「禁欲的」とも言われるが、必ずしも酒を飲むなとか色に溺れるなといった通俗的なことを言っているわけではない。「自然に従って生きる」ことを目的にしている。
もしかすると皆さんは、人間の「自然」な状態というと弱肉強食で、常に争い続けているイメージを持たれているかもしれない。だけれどもストア派は人間をそのようには見ない。人間は理性を持った存在で、自分の自身の「定め」とか運命みたいなものを知ることができる。その定めのままに生きることでより大きな自然と一致して生きることができると考えている。
ストア派の哲学では、論理、倫理、自然(科学)の三つのサブカテゴリーがあると考える。これら三つのカテゴリーは独立して存在するわけではなく、分かち難く結びついた、人間が生活する上で直面するあらゆる事態に正しく対処するための知恵であると考えていたようだ。
この知恵に従うことで、自然に従って生きることができる。
人間は本来、生きるための衝動を持っているのだが、時々それが行きすぎて情念(パトス)を持ってしまうことがある。このパトスに突き動かされない、という意味で「禁欲的」であるわけだ。
運命を受け入れ、事態に対し正しく対処し、自然に従って生きる。
これが少年マルクス・アウレリウスを惹きつけたらしい。
哲学者の道を閉ざされ、皇帝にならざるを得なかったマルクス・アウレリウスだが、好んだ哲学の教えに従って運命を受け入れたようだ。
そして、皇帝になった後、考えたことを自分用のメモにコツコツと書き溜めるという習慣ができたらしい。
その随想メモが『自省録』だ。
随想メモ『自省録』
日本では『自省録』の書名で出版されているが、元々のタイトルは『タ・エイス・ヘアウトン(Τὰ εἰς ἑαυτόν)』と言い、「自分自身のための」「自分自身に対しての」という意味になる。元々、個人用雑感メモだったので、マルクス・アウレリウス自身がこのタイトルをつけたかどうかもわからないらしい。
それより面白いのは、タイトルがギリシア語で書かれていることだ。実はタイトルだけでなく、本文も全てギリシア語で書かれている。マルクス・アウレリウスはローマ人なので、母語はラテン語となるはずだ。それを外国語のギリシア語で書いてあるというのはどういうことだろうか。
彼の憧れたギリシアの哲学者たちと同じ言葉を使って書いていたのかも知れないし、個人的なメモを周りの人がすぐには読めないように外国語を使ったのかも知れない。
いずれにせよ、公文書と違い、ごく私的な文書だというわけだ。
ハドリアヌス帝の時代から降り、マルクス・アウレリウスの治世にはローマ人による内乱や異民族による反乱や侵攻が多くなってきていた。洪水や疫病、飢饉もあり、国庫も窮乏していた。マルクス・アウレリウスは私財を投げ打って軍団を整えると、自ら前線に赴いて指揮をとった。
『自省録』はそうした戦乱が続くなか、書き始められたのではないかと言われている。
おそらくその時々思いついたことを書き留めてあるので、一冊の書物として一貫した主張やテーマがあるわけではない。
現在は12巻構成で考えられることが多いが、そもそもその順番で書かれたものかわからないし、12巻構成が正しいのかもわかっていない。
ただ、戦場でさまざまな敵と対峙し、日々政務に忙殺されながら、わずかの余暇にさまざまな省察を書き留めていったのだ。
マルクス・アウレリウスの境遇を思うと、彼の言葉の一つ一つが心に染みる。
君が自分の義務を果たすにあたって寒かろうと暑かろうと意に介すな。また眠かろうと眠りが足りていようと、人から悪く言われてようと褒められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえにこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやる」で足りるのである。
(第六巻二節 マルクス・アウレリウス 1956『自省録』神谷美恵子訳,岩波文庫 ※以下引用全て同書)
ハードだ。
哲学を志した少年が帝国の統治という重圧を経て壮年期に書き残した言葉だと思うと心中察して余りある。
やりたいことでもなければ、やれることでもない。
ただ、やらなければならないことを己の定めとしてやる。
ストア派の哲学を実地でやっているわけだ。
激務による睡眠不足はかなり応えていたのだろう
明けがたに起きにくいときには、次の思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶつ言っているのか。それとも自分という人間は夜具の中に潜り込んで身を温めているために創られたのか。
(第五巻一節)
眠りに関する警句はいくつか見つかる。
眠りたいのに眠れない。眠りの前にしなければならないことが膨大にある。
警句は眠りにだけ発されているのではない。皇帝ともなれば、周りの人間にお追従され、チヤホヤされ、その上誰からも信頼されず、孤独であったであろう。そうした彼の皇帝業はかなり大変だったのだろう。
あけがたから自分にこう言い聞かせておくがよい。うるさがたや、恩知らずや、横柄な奴や、裏切り者や、やきもち屋や、人づきの悪いものに私は出くわすことだろう。
(第二巻一節)
彼らは互いに相手を軽蔑していながらお追従をいい合い、お互いに相手を出し抜こうとしながら腰を低くして譲り合うのである。
(第十一巻十四節)
おべっかばかりを使い、その実、足の引っ張り合い。
つくづく嫌になる職場だったに違いない。
その中でもマルクス・アウレリウスは自分を鼓舞する。
「カエサル的」にならぬよう、その色に染まらぬよう注意せよ。なぜならそれはよく起こることなのだから。単純な、善良な、純粋な、品位のある、飾り気のない人間。正義の友であり、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しく行う人間。そういう人間に自己を保て。
(第六巻三十節)
なんという自己規制だろうか。
マルクス・アウレリウスも神君・家康公に「身の程を知れ」と言われたのだろうかと疑うほどだ。
最強の帝国の最大の権力者たる皇帝でありながら、「カエサル的」つまり皇帝的であるべきではないと言う。そのように振る舞うことは、善良でもない、品もない振る舞いなのだと。
あらゆる思い上がった人間はこの言葉を聞くべきだ。
多分僕も。
理性的動物として自然に生きる
マルクス・アウレリウスの言葉を偉大なローマ皇帝の言葉として受け取れば、お説教に聞こえる。「朝起きろ」「お前のやるべきことをやれ」と体育会の先輩の如き苛烈さだ。
だが、皇帝になどなりたくなかった哲学少年が、自分の運命に立ち向かうために自分自身に語りかけた言葉として受け取ってみるとどうだろう。別の見え方がするのではないだろうか。
マルクス・アウレリウスも眠かったに違いない。睡眠時間を削って軍事に政治、経済に人事、全てを見ていたのだ。やりたかった仕事ではない。でも、やらなくてはいけない仕事だ。
「自己を保て」と彼はいう。自分自身に。
嫌な人々との付き合い。自分を的外れに褒める人、的外れに貶す人、人々が足を引っ張り合う様を見る。
だけれども、自分にできるのは自分を抑制することだけだ。理性をもち、品位高く、人々に語りかけ、ともに仕事をし、ローマを前進させる。
まさに模範となるべき人物だろう。
その点、僕は難しい。
家康公の助言を信じることができずに、桓武天皇に泣きつき、天照大神に希った。
全く、身の程知らずである。
僕の命運というものは、神々がどうこうしているわけではない。ただ、自然の理としておきるべきことが起きるだけだ。
僕はその事態に直面し、理性を持って取り組むことしかできない。
そして、マルクス・アウレリウスはそれで良いと言う。
正気に返って自己を取りもどせ。目を醒まして、君を悩ましていたのは夢であったのに気づき、夢の中のものを見ていたように、現実のものを眺めよ。
(第六巻三十一節)
三柱の神々の警告を受けた僕に対するマルクス・アウレリウスの助言はこうだ。
自己を取り戻し、迷妄から醒めること。
自分を悩ませていたのは、現実ではない。不安や恐れや他人の評価といった夢なのだ。起きていることにフォーカスするのだ。それを可能にするために物事を判断し、決断する主体として自分のことを扱うのだ。
よく見、よく聞き、よく考えなければならない。
理性的動物として自然のままに生きることこそが至上なのだから。
単純で、善良で、純粋で、品位があり、飾り気がなく、正義の友であり、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しく行う人間。
そういうものになること。
確かに今の僕にはそれが必要かも知れない。
まず、おみくじセカンドオピニオンを控えるところから始めてみよう。
編集◉佐藤喬
イラスト◉SUPER POP
室越龍之介(むろこし・りゅうのすけ)
1986年大分県生まれ。人類学者のなりそこね。調査地はキューバ。人文学ゼミ「le Tonneau」主宰。法人向けに人類学的調査や研修を提供。Podcast番組「どうせ死ぬ三人」「のらじお」配信中。