本屋さんの話をしよう【第1回】本を「地産地消」で楽しむ│嶋 浩一郎

本屋はいつでも僕を笑顔にする!

「本屋大賞」の立ち上げに関わり、実際に下北沢で「本屋B&B」を

開業した嶋浩一郎による体験的「本屋」幸福論。

【第1回】本を「地産地消」で楽しむ

京都は喫茶店天国というのは多くの人が認めるところかと思います。三条通と堺町通の交差点近くのイノダコーヒ三条支店は、僕が京都にいったらかなりの頻度で尋ねる場所です。イノダコーヒーではなくコーヒというつづりですからね。イノダコーヒはチェーン店で東京にも支店がある店ですが、三条支店が大のお気に入りです。なぜなら、この店には日本で一番本や新聞を読むのに向いているカウンターが存在するからです(自分調べです!)。

三条通の扉を開けて店に入ると、手前にはコーヒーカップやコーヒー豆などの売り場とテーブル席があるのですが、店の奥に大きな円形のカウンターが鎮座しています。正確にいうと運動場で見かけるトラックの形をしていて、カウンターの中央はキッチンになっています。カウンターは厚みのある板でできていて、高めのスツールに囲まれています。このスツール、意外に深く腰掛けることができて、ゆったりとした座り心地です。

イノダコーヒにもしIT事業部が発足したら

キッチンの中では清潔な白い調理服を着た店員さんたちが黙々とケトルからお湯をドリッパーに注いでコーヒーを淹れたり、サンドウイッチを作るためにカリカリに焼けたトーストにバターを塗ったりしています。お湯が沸く音や、カップを洗う食洗器の音の中でキビキビと働く彼らを眺めているだけで気持ちよくなります。このカウンターに座ったときの光景が好きすぎて、ここにライブカメラを置いてストリーミング中継をしてくれたらどんなにいいことかといつも思ってしまうんです。読書用の作業動画配信希望の同好の士がきっといるはずで、イノダコーヒにもしIT事業部が発足したら是非とも展開してほしいサービスです。

かつて、お店の方に聞いた話では、この席周辺ではあえてBGMは流していないそうなんです。カウンター席で本を読むお客さんに気持ちよく読書をしてほしいという心遣いからだそうです。あ、でもこんなこというと失礼なんですが、その隠れた素敵な気配り、きっとお客さんの大半が気付いてないかも……。

でも、いいじゃないですか。声高にこんなサービスやってます!みたいなアピールをしているわけでもない、むしろその努力も気付かれていないにもかかわらず、お客さんたちは自然にこの空間の心地よさに引き寄せられて、カウンターには近所の大垣書店烏丸三条店や丸善京都本店で購入した本を読む人たちであふれているわけですから。子育てしかり、サラリーマンの組織運営しかり、誰にも知られずに相手によかれと思ったことを黙々としている皆さん、きっとその思いはどこかでかえってきますよ。

丸善京都本店にとって特別な本「檸檬」

イノダコーヒに行く前に必ずよるのが河原町通のBALというビルの地下にある書店、丸善京都本店です。地下一階と二階に広がる巨大なスペースはまるで知のラビリンス。専門書や翻訳書の品揃えもバッチリな本屋さんですが、イノダコーヒで読みたい本はコーヒーを飲む時間にちょうどいいエッセイや短編集などで、それらの本を物色するために僕は丸善の文庫の書棚を集中的に見て歩きます。

鹿島茂さん、丸谷才一さん、米原万里さん、向田邦子さん、平松洋子さん、井上章一さんらのエッセイを選んで、三条通を散歩しながらイノダコーヒのあのカウンターを目指すわけです。

その丸善の文庫売り場に丸善京都本店にとって特別な本が置かれているのをご存知ですか? 新潮文庫の梶井基次郎「檸檬」です。この小説は1925年に刊行された世の中に対して鬱屈した気持ちを持つ主人公の物語です。主人公は「えたいの知れない不吉な塊」に苦しめられています。まあ、若者特有の悩みっていえばそうなんですが、本人にとってはこれからどう生きていこうかという重要な問題なんですよね。

そんな主人公にとって丸善の店頭にならぶ美術書はキラキラした存在に見えたわけです。彼はみすぼらしい果物屋でみつけた檸檬を爆弾に見立て丸善の本の上にそっと置いて立ち去ります。キラキラした美術書へのテロですね。このカタルシスが当時の若者の共感を得たわけですが、丸善は自らが登場するこの小説をお店の財産として丁寧に売り続けています。

街のメインストリートだった三条通をあるく

ちなみに、書店丸善の京都の支店は明治5年(1872年)に開業したそうで、梶井基次郎の小説で主人公が檸檬を置いた設定になっている店は明治40年(1907年)に三条通麩屋町に開店した店だと思われます。現在の河原町にある店舗から三条通をとおってイノダコーヒを目指すちょうど間にかつての丸善があったんですね。昔の丸善はこの通り沿いにあったんだなんて想像しながらイノダコーヒを目指すとなんだか京都通になった気分になります。

京都三条通の東は鴨川にかかる三条大橋になるわけですが、ここは東海道の終点でもあるんですね。つまり三条通は京都のメインストリートだった。だから、通り沿いには明治維新のころ、郵便局や銀行など当時の最先端の施設が作られました。今でも三条通を歩くと明治時代のモダンな建築が目につくのはそういう歴史があるからなんですね。そんな街並みの中に檸檬が置かれた丸善もあったわけで、小説の中でキラキラ感を発するオーラがあったのもうなずけますね。

本屋こそ元祖セレクトショップ

現在の京都の丸善のお店は2015年にBALというファッションビルの地下に前の店から10年のブランクを経てオープンしました。前の店が閉店するとき、店を名残惜しむ人たちが檸檬を書店に置いていったことがネットニュースになったのを覚えています。現在の店がオープンしたときにも店には「檸檬を置きたい」というリクエストが寄せられ、檸檬を置くためのバスケットが設置され(本の上に檸檬を直接置くと表紙が痛んじゃうことあがあるかもしれませんからね)、当時の京都市長も檸檬を置きにきたんだとか。

ひとつの本屋が長い間ひとつの本をしっかり売り続けるのはとてもいいことだと思います。本屋はどこも同じと思っている人も多いみたいだけど、本屋はそれぞれ個性を持った元祖セレクトショップだと僕は思っているんです。もちろん、全国どこの書店で買っても新潮文庫の「檸檬」は同じ本なんですけど、やっぱりそれを京都の丸善で購入すると俄然本場感が出てくるわけです。

それは、書店の個性としてブランディングにも繋がるし、読者にもちょっと特別な読書体験を提供してくれると思うのです。僕はそんな本との出会い方を「本の地産地消」と呼んでいます。旅行したとき地酒を飲むように本もその土地に縁があるものを選ぶ遊び心があってもいいんじゃないでしょうか。

表参道の書店で向田邦子が並んでいる理由

そういえば、先日、表参道の交差点にある山陽堂書店に行ったときのこと。そう、「週刊新潮」の表紙を描いていた谷内六郎さんのタイルの壁画がある本屋さんです。そこで、向田邦子の直木賞受賞作がはいっている「思い出トランプ」という本を買いました。なぜなら、小さなお店なのですが、その文庫本が店頭に面陳(表紙が見えるように陳列すること)されていたのでつい手にとってしまったんです。

その文庫をレジに差し出したとき、レジにいたお店の方が「向田邦子さん、この交差点の先にお住まいだったんで、この店にもよくいらっしゃったんですよ」と教えてくれたんです。青山を歩く向田邦子さん。なんだか想像できますよね。いい話を聞いたなという気分になって、そのまま表参道のカフェで「思い出トランプ」を読み切ってしまいました。

最近、あった書店での書店員さんから聞いたチャーミングな会話でした。これも本の地産地消の一種ですね。多くの書店が地元の作家の作品や、地元が舞台になった作品を面陳したり、コーナーをつくって応援していたりするものです。本の地産地消。ぜひ、試してみてください。

嶋 浩一郎

クリエイティブ・ディレクター。編集者。書店経営者。1968年生まれ。1993年博報堂入社。2001年、朝日新聞社に出向し若者向け新聞「SEVEN」の編集ディレクターを務める。2004年、本屋大賞の立ち上げに参画。現本屋大賞実行委員会理事。2012年にブックディレクター内沼晋太郎と東京下北沢にビールが飲める書店「本屋B&B」を開業。著書に『欲望する「ことば」「社会記号」とマーケティング』(松井剛と共著)、『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。ラジオNIKKEIで音楽家渋谷慶一郎と「ラジオ第二外国語 今すぐには役には立たない知識」を放送中。

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(イラスト みずの紘)

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