普段着としての名著【第8回】「人間」であることと『女らしさの神話』|室越龍之介

人気ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」でパーソナリティーと調査を担当していた室越龍之介さん。
コテンを退社した現在はライターとしても活躍する彼が、その豊富な知識と経験を活かして、本連載では、とっつきにくい印象のある「名著」を、ぐいぐいと私たちの日常まで引き寄せてくれます。
さあ、日々の生活に気づきと潤いを与えてくれるものとして、「名著」を一緒に体験しましょう!

【第8回】「人間」であることと『女らしさの神話』

河の1kgカレーと「男らしさ」

最近めっきり食べられなくなった。

25歳の時に最初の衰えを感じてから干支が一回りしたが、食べられる量はどんどん減っている。

ラーメンの替え玉ができなくなった。一杯食べれば満腹になってしまう。

牛丼を大盛りにすることも減ってきた。それどころか、以前は存在理由が理解できなかった小盛りを注文することもある。

替え玉用に多めに残したスープの入ったどんぶりを見て、なんだかもの寂しい気持ちになる。

物悲しい気持ちになるのも奇妙だ。なぜなら、僕にとって食事の分量が減るのは良いことのはずだからだ。体重はとても健康的とは言い難く、毎年健康診断では医者に痩せるよう促されている。昼食と夕食の間にラーメンや丼ものを食べるのをやめれば、経済的にも楽になる。適正な量を食べることは、きっと地球環境にもいいだろう。これ以上余計な牛肉を食べなければ、アマゾンの密林の伐採ペースも落ちていくはずだ。

健康によし、家計によし、地球環境によし。少食にはいいことしかない。

だけれども、食事をたくさん食べられないという厳然とした事実は肉体の老いと衰えを否応なしに感じさせる。

「今日は行ける気がする」とラーメンの大盛りにご飯をつけて、あまりの満腹感に苦しみを感じながら店を出る。底知れぬ無能感と喪失感を感じてしまう。

馬鹿馬鹿しい。

運動部の男子高校生でもあるまいし、ダイのオトナが馬鹿みたいに飯を食うものではない。

ラーメンなんか一杯食えば十分である。

だが、替玉無料のラーメン屋でスープがなくなるまで勤勉に替玉をしていたころのことを思うと、「この程度でお腹いっぱいになってしまうのか?」という気持ちは抑えられない。

なんだって、僕はそういう風に感じるのだろう。

僕はいつから「たくさん食べること」に何か特別な意味を見出しているのだろう。

つらつら考えてみて行き当たったのが1kgカレーである。

僕が大学へ通い始めた2000年代の後半のことである。福岡市にある九州大学に進学した。当時九州大学は中央区六本松に教養課程のキャンパスがあった。したがって、新入生は六本松キャンパスで授業がある。

この六本松キャンパスの近くに、「河」というカレー屋があった。河の料金システムはいかにも学生街の店ということで中盛でも山盛でも値段は変わらない。盛りたいだけ盛れば良いという仕組みだ。

調べてみると、一般的なカレーは250グラムほどを供するという。茶碗に二杯ほどの量だ。だが、河は奮っている。普通盛で450グラム、茶碗にして約3杯分もある。

これだけでも十分そうではあるが、中盛りは約4.5杯分の700グラム、山盛は約6.5杯分の1kgもある。

河の1kgカレー。ここにどうやら原点がありそうだった。

大学に入って文芸部に入部した僕は、ある日同じく入部した同級生とともに部活の先輩に連れられて河のカレーを食べに行くこととなった。

店に入ると先輩は1kgまで価格が変わらないことを説明し、マックス山盛りに唐揚げをつけることを宣言した。先輩は体格がしっかりしていて強そうではあるものの、背丈はそれほど高くない。中肉中背といったところだ。

1kgものカレーを本当に食べ切れるのだろうか。

すでに何度か河に来ていると思しき同級生も「じゃあ、俺も1kgで」と注文した。

それを聞いた先輩は「おっ、行くのか。いいぞ」と言った。

「いいのか…」と内心僕は怯えた。

若干18歳。1kgのカレーを食べたことはなかった。

怯えた僕は750gのカレーを注文した。

先輩は「慎重だな」と言った。

河のカレーは美味しかった。いくらでも食べられそうな味だ。先輩に勧められてつけた唐揚げも美味しい。だが、半分ほど食べたところで、お腹がいっぱいになってきた。

先輩たちは、ご飯の山にトンネルを通していた。

「1kgならトンネルが作れるんだ。750グラムだとできない」

それどころではない。

残り半分のカレーが待っている。

あとは無心である。味わうのではない。詰め込むのだ。

最後の200gほどは苦痛を伴う。

生きるために食べているのだ。死にそうになるためではない。

楽しむための食事である。苦行のためではない。

先輩たちが余裕そうに食事を終えるころ、平静を装いながら僕もなんとか食べ終わることができた。

強烈な通過儀礼である。

たくさん食べる人がなんとなく偉いという学習をした僕は以後なるべくたくさん食べるようになった。

文化人類学を学び始め、調査に出るようになると別の角度から似たような要請があった。

老人はとにかく若者に食べさせたがる。

自分が衰えてきて分かったが、子どもや若者がものを食べている様子というのはとにかく良い。幸福な気持ちになる。もっと食べろ、どんどん食べろという気持ちがどうしても出てくる。

あまりに食べるので足りないのではないかと不安にもなる。

勢い、たくさん用意して食べさせてしまう

調査中の僕も同じであった。

「そぎゃん太かつけん、ようけ食べらるるばい(そのように体格が良いのだから、まだ食べることができるでしょう)」と次から次へと食事が出てくる。

ある調査では、朝ごはん・おやつ・昼ごはん・昼ごはん・おやつ・夕食・夜食と行く先行く先で1日に7回も食事をしたこともある。

若く健康な男はとにかくたくさん食べる。

これが、僕がいつの間にか内面化した規範であった。

空虚さの源泉と『女らしさの神話』

誰に強制されたのでもない。誰に諭されたのでもない。

みんなが褒めることをしようとし、みんなが羨むものになろうとする。

いつの間にか、1kgのカレーを食べ、10回の替玉をしてラーメンを食べるようになる。

それ自体、社会に対してなんの価値も生み出していない。ただ、一目置かれるからやっている。先輩たちも就職し、同級生が散り散りになっても、一人でたくさん食べ続け、肉体の衰えと共に、食べられなくなっていく。

健康を害し、心が弱っていく。

冷静になって考えてみれば、全くもって馬鹿馬鹿しいことだ。

人並みに食事ができればそれで十分である。多少少食だって構うことはない。

客観的に見て、僕が得るものこそあれ、失う物は何もない。

なぜ、僕は食が細くなったぐらいで取り乱しているのだろうか。

おそらくそれは、僕が失ったのが本当のところ食欲ではなく、「男らしさ」だからだ。

たくさん食べ、周囲の人を驚嘆させたり、喜ばせたりする、そういう「男がやること」ができなくなった。

そうして、「僕は男なのに、男ではない」というアイデンティティ・クライシスがやってきた。無力で敗北した老人になっていく。この恐怖こそが喪失感の正体である。

どこからともなくやってきて、気もつかないうちに僕たちの価値観をコントロールするもの。正体不明のなにか。その忍び寄るものを見つけた人物がいる。

1963年、アメリカ。

繁栄を謳歌する超大国で、最も幸福な人々とされた郊外の持ち家に住む主婦。ベティ・フリーダンがその人である。

彼女の著作『女らしさの神話』はのちに第二波フェミニズムの火付け役になったと評価された歴史的に重要な名著である。

フリーダンは、アメリカ東部の名門女子大学スミス・カレッジで当時先進的な学問分野だった心理学を専攻した。大学院に進学し、女性として初めて研究奨学金を獲得し、博士課程に進学しようとするような優秀な研究者の卵だった。しかし、その時交際していた男性に「自分か奨学金かを選べ」と迫られ、進学を断念した。

その後、ニューヨークの通信社で記者として働きながら、結婚し、郊外に居を構えた。3人の子どもができたが、第二子の妊娠をきっかけに解雇され、以後はフリーライターとして記事を書き続けていた。

ある日、フリーダンはスミス・カレッジの同窓会に出席した。15年ぶりに会う旧友たちは、みな郊外に住む専業主婦になっていることに気がついた。

それは喜ばしいことのはずだった。

郊外での生活。持ち家の中で家電に囲まれ、夫と子供の世話をすること。

それが最高の幸福だと雑誌で、テレビで盛んに伝えられていた。

高度な教育を受けた彼女たちは良き夫、子どもたち、郊外の家、すべてを手に入れた勝ち組として、人生を謳歌しているはずだった。

だが、フリーダンは気がついた。

彼女たちが幸福になっていないことに。

同級生の多くが焦燥感や虚脱感を持っていた。

同級生を超えて調査範囲を広げたところ、多くのアメリカ人女性が似たような感覚を持っていたことがわかった。医者もその問題に気がついた。

当時のフロイト流心理学では、セックスに関する欲求不満が原因でないか、と見立てられた。セックスに関する雑誌が飛ぶように売れていた。しかし、人間の性行動を近代科学的に分析したキンゼー・レポートによれば、統計的に見てセックスでオーガズム得る女性は増えていた。つまり、性生活が直接の原因なのではない。

原因不明の神経症状が郊外の中産階級の主婦に広がっていた。

フリーダンはこれに「名前のない問題」と名付けた。

「名前のない問題」という妖怪じみた社会現象に取り組んだのが、奨学金を捨て、キャリアを捨て、幸福になったはずの郊外の主婦、フリーダンだったのだ。

「名前のない問題」

「名前のない問題」を考えるには、1960年のアメリカがどのような時代であったかを知る必要がある。

少し歴史を遡ってみよう。

18世紀以前。ヨーロッパでは中央集権的な君主、つまり皇帝や王様が人民を統治する国家が多かった。王侯貴族と平民の権利には区別があり、それが当たり前だった。

18世紀の後半、アメリカ独立革命やフランス革命が起こると状況は一変した。投票権を含む人権を持った国民が自分たちで国家を統治する、国民国家を登場させた。人間として生まれた以上、上も下もないということだ。

ただ、国民国家によって人権の平等の理念は提示されたからといって、今日、僕たちが享受しているような法的平等は突如として現れたわけではなかった。初めはブルジョワ男性のみが選挙権を得ていた。次に男性一般が選挙権を得た。

だけれども女性が参政権を得ることはなかった。19世紀の末から20世紀のはじめにかけて、後に第一波フェミニズムと呼ばれる運動が起き、1893年にニュージーランドで女性参政権が認められたことを皮切りに、だんだんと各国に広がっていった。

第二次世界大戦が始まるで、女性雑誌にも自立したヒロインが描かれるなど女性の社会進出は進んでいった。

戦時中、戦場に動員された男性たちの代わりに社会のさまざまな領域で女性たちが働いていたが、戦争が終わると多くの男性たちが戦地から帰ってきた。女性の社会進出にもゆり戻しが起きて、キャリア・ウーマンやフェミニストたちが悪意に満ちたイメージが貼り付けられるようになった。

そして、この頃「科学的に」女性の居場所は家庭であることが宣伝された。フロイト流の精神分析学や、人類学、社会学がその理論的基盤となって、女性は家事に励むことと夫・子供との「一心同体化」することが正しい生き方だと考え方が浸透していったという。

時代の流れの中で、「科学的に正しく」「幸福」な生き方として、家庭の中で専業主婦として生きるというロールモデルが示されていったのだ。

「科学的に示された幸福な家庭」。

つまり、郊外の持ち家に住んで、家電に囲まれながら夫と子供の世話をする専業主婦。それが女性の幸福であると学者もメディアも一緒になって若い女性たちに教え込んでいった。当の女性たちもそれが幸福なのだと思い込んでいったわけだ。

戦前に働き始めたキャリア・ウーマンやフェミニストは不幸なオールドミスに過ぎない。社会での自己実現は男性のためのものだ。家庭でシミひとつないシャツにアイロンを掛けることに勝る幸福は女性にはない。

ないはずだった。

フリーダンは調査を通し、それが虚妄に過ぎないことに気がついた。

専業主婦たちに出る神経症状は抑圧の結果ではないだろうか。

女性にも人間として当然の成長や自己実現への欲求が備わっている。社会から提示された「幸福」に押し込められて、自由な主体性を剥奪されることは大きなストレスなのだ。

フリーダンはこの「幸福な家庭」を「居心地の良い収容所」と呼んだ。どこからか若い女性たちの頭の中に忍び込んだ価値観。社会が「これこそが良いことだ」と教え込むその価値観こそが女性たちを自らの意思で収容所に送り込んでいたわけだ。

それが「名前のない問題」の正体だった。

自分の価値観と自分の欲求

フリーダンは、女性が母や妻といった社会的役割だけに押し込められるのではく、個人として自由に生きるための人生設計が必要だと説いた。そして、そのための教育機会や社会制度を整備する必要があると。

『女らしさの神話』は女性が社会から疎外されるメカニズムを明らかにした。

「名前ない問題」に苦しんでいる女性たちを勇気づけた本書は通算三百万部以上を売り上げた。ウーマンリブ(女性解放)運動と呼ばれる第二波フェミニズムの流行に一役を買った。

輝かしい功績をもつ本書にも実はいくつかの批判もある。

一つには、インテリの白人女性だけを問題としたことだ。

同時期、黒人をはじめとした有色人種の女性たちは生活のための労働とそこで行われる搾取に苦しんでいた。フリーダンの視点はそう言った人々を取り落としていると批判されたのだ。

思うに、批判自体は真っ当であろう。そして、その後のフェミニズムの展開は有色人種の女性や同性愛者、トランスジェンダーといった人々を射程に加えていったし、さらに様々な境遇に置かれている女性がいることを考慮する研究も行われている。

だからと言って、フリーダンがすべての人々を予め射程に置くことができなかったことで彼女の業績が毀損されることは全くないと思う。「名前のない問題」の正体を誰かが暴く必要があった。そして、そのことによって、社会は女性の解放に向かっていったのだから。

 

さて、女性がどれほど社会から疎外されてきたかを考えれば、僕の1kgのカレーを食べられるの、食べられないのという問題はあまりにも空疎だ。

だが、「名前ない問題」のメカニズムを僕の1kgカレー問題当てはめてみると、同じ構造に気がつく。つまり、「男らしく」あることや「女らしく」あることは、あまりにも自然に僕たちの内面に入り込んでくる。僕たちは僕たち自身であることよりも、「男らしく」あることや「女らしく」あることの方が大切だと、いつの間にか思わされてしまうわけだ。テレビや雑誌を通し、先輩や同級生の言動を通して、「らしさ」が真っ当なものであり、それこそが幸福に繋がっているのだと。

「幸福」や「良さ」といった社会規範を提示するメッセージに僕たちは抗いがたいところがある。どうしてもそれを一旦受け入れてしまう。

だけれども、フリーダンが喝破したように社会の提示する「幸福」には実は何の根拠もない。この根拠は往々にして学者やメディアといった権威を通して、僕たちに伝えられるが、それは一定のメカニズムによって作り出されたものにすぎないのだ。

大切なのは、多分、「らしさ」を再生産し続けるこのメカニズムを認識することだ。フリーダンの仕事のように、僕たちの規範意識がどこから生まれ、なぜそれに囚われ、どうして、そこから抜け出せないのかを知ることだ。

例えば、僕が苦しいのは、「カレーを1kg食べられなければ男ではない」という収容所に自分で入ったからだ。このことを知れば、僕はこの収容所から自分の意思で自由に出ていくことができる。

そう考えると、僕たちは「男らしく」ある必要も「女らしく」ある必要も、実のところ「自分らしく」ある必要もない。すでに、僕たちは自分「である」。僕たちが自分であるだけで、自由に主体的に決断することができる権利を持っている。そのような近代国家に僕たちは幸運なことに住んでいる。

おそらく、僕の「1kgカレー」のような収容所をみなさんも持っているだろう。「○○らしく」あることでしか、自分は幸福になれないという脅迫観念を。

フリーダンはそんな檻は実のところ存在しないという。

自分の幸福がどのようなものであるか、僕たちは勝手に決めれば良いのだ。

自分の幸福を勝手に決めることによって、初めて僕たちは幸福になることができる。

その通りだ。

だけれども、多分これは簡単そうで難しいだろう。

おそらく、これからも僕はたくさん食べられずに気落ちする。その時は、「大丈夫だよ」と言って欲しい。その代わり、「○○らしく」ないことであなたが落ち込んでいれば、「大丈夫だよ」と僕が言うので。

編集◉佐藤喬
イラスト◉SUPER POP

室越龍之介(むろこし・りゅうのすけ)

1986年大分県生まれ。人類学者のなりそこね。調査地はキューバ。人文学ゼミ「le Tonneau」主宰。法人向けに人類学的調査や研修を提供。Podcast番組「どうせ死ぬ三人」「のらじお」配信中。

X

連載一覧

-普段着としての名著