遡るは鹿鳴館時代、コレカラの社交ダンスも目が離せない! 社交ダンスの文化が日本に入ってきたのは鹿鳴館時代。欧化政策のシンボルとして建設された鹿鳴館は、西洋文化の入り口であり、ワルツ等の宮廷舞踊が中心に踊られていました。 世界大戦の影響を受け西洋文化は日本から一時姿を消しましたが、1945年の終戦後には国内のダンスホールが営業を再開し、だんだんと日本人のダンス熱が戻ってきました。当時のダンスは「大人のたしなみ」といったもので、キャバレーなどの社交場で踊られていました。 そんな中、1990年代に公開された映画 ...