『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師』などのノンフィクション作品で知られる作家・井上理津子さん。今年3月に辰巳出版より上梓された彼女の最新作『師弟百景 “技”をつないでいく職人という生き方』(辰巳出版)は 一子相伝ではなく、庭師、仏師、左官、茅葺き職人など血縁以外に門戸を広げている職人の師匠と弟子の姿を描いた作品です。
今年の4月には、『師弟百景』の刊行記念として、ジュンク堂書店池袋本店にて、『パリのすてきなおじさん』などで知られる文筆家でイラストレーターの金井真紀さんをゲストに迎えたトークイベントが行われました。今回は、その模様を「コレカラ」にて特別公開いたします。
最終回は、金井さんが似顔絵を描き始めた理由、インタビューの成否についてのお話です。
【第4回】初めての似顔絵は新宿ゴールデン街で
ゴールデン街のママをして初めて似顔絵を書いた
井上 新宿ゴールデン街のお話もしたいですね。『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學』(ちくま文庫)は金井さんの文庫になったばかりの本。 金井さんがいいご経験をされたのは、草野心平さんが新宿ゴールデン街に開いた酒場學校という5席ぐらいしかないお店です。そこでひょんなことからママをなさったんですね。そしてこの本を見て思ったんですが、なぜ、金井さんはこんなに絵が上手なんですか?
金井 絵を描くのは好きでもないし、人に見せる絵を描いたこともなかったです。ただメモ的に描いてました。
井上 美術部だったとか?
金井 いえ、高校の芸術選択では書道をとっていて、絵なんて描いたこともなかったです。
酒場學校にお客として通い始めて半年後ぐらいに、お店のママが入院して、私が代理のママになりました。本物のママは80ぐらいで、常連さんの大半は60代〜90代。50代のお客さんが来ると「若い人が来た!ちょうどよかった。ちょっと電球を変えてくださらない?」というような、そんなお店でした。そこで急に代理のママになったもんで、常連さんの顔も名前もよく知らなくて。飲みにきた人に「お名前は?」と聞くのも無粋なので、似顔絵を描くことにしたんです。
井上 メモ、日記みたいな?
金井 そうです。どんな人がきて、どんな話をしたかを入院中のママに伝えるための日記でした。それが初めての似顔絵。そこから人の顔を見るのが好きになりました。今では、たとえば待ち合わせの相手が遅刻して駅なんかで待っているときもぜんぜん退屈しないです。人の顔を見ていれば飽きないですからね。とはいえ絵は下手だから、一発では描けなくて何回も描き直します。たぶん人の顔を描くのが一番好きですね。
井上 なにか訓練をしていると思っていました。だってうますぎるでしょ。お客さんの顔を覚えるために描こうとしても私なら描けないですよ。
金井 いや、本当に準備も訓練もなにもしてなくて恥ずかしいです。うちにあったのは小学校のときの「6年5組金井」と書かれた絵筆でした。ナイロンの毛のチープな筆。『パリのすてきなおじさん』(柏書房)まではそれで描いていて、水彩絵の具用の画用紙があることも知らなかったです。画材をイラストレーターの先輩に聞くのも恥ずかしくて、伊東屋とか世界堂に行って、小さな声で店員さんに聞いていました。いまだに画材のことはよくわかりません。
井上 プロの絵描きもびっくりですね。
金井 基礎ができていない絵なんです。プロが見ればすぐにわかると思います。
取材嫌いの人がある瞬間から話し出すと「勝った」と思う
井上 また本日のテーマに戻しますが、有名人と市井の人、どちらがインタビューをしやすいですか?
金井 有名人、芸能人はあまり知らないですし、ほとんど会ったことがないんです。市井一択ですね。井上さんはどうでしょう?
井上 私は市井好みですね。インタビュー慣れしているとやりづらいですね。
金井 もう何度も答えているからか、物語ができていることがありますよね。
井上 一生懸命ほかのことを聞き出そうとするんですけどね。それ以上のものは難しいですね。
金井 市井の人では、全然話さない人やむっつりしている人からどう引き出すか、というのがありますよね。
井上 インタビューを受けたくなさそうな職人さんが、ある瞬間、スイッチが入って堰(せき)を切ったように話してくれるときは「勝った」と思いますね。
金井 『師弟百景』は技術的なことを過不足なく書いています。つまり井上さんが相当勉強して質問を当てているってことですよね?
井上 事前の学習をして、さらに現場を見せてもらっていました。それでもわからないことは復習になります。「へー」「ほう」という相づちが嘘くさくなるので、予習が過ぎるのも失礼ですね。その辺のバランスを考えています。
金井 井上さんは勉強して行かれる上に、その辺りが上手なんですよ。現場でも「こんなこと聞いたら失礼かな」ということも素直に聞くんじゃないですか?
井上 テクニックとしてですか。うーん。どうしたら話してくれるか、一生懸命考えますね。金井さんも、『パリのすてきなおじさん』では大変だったのでは?
金井 パリの人はおしゃべりでした。日本の人より話す訓練をしているのか、もういいですっていうぐらいしゃべる人が多かったです。
井上 それこそ「この話が聞けたからOK」というのはありました?
金井 あの本はバラバラなんですよ。立ち話の方もいたし、家にお邪魔して何時間も話す人もいましたし。
また、通訳を入れると言葉の選び方や類推する情報がなくて、甘い取材になってしまうと思います。ただ、通訳でひとついいことは、ノートにメモして次が通訳されるまでの間、相手の表情を見られる間(ま)ができることです。
井上 言葉の選び方という話では、ドメスティックですが、年配の京都市中に住んでる人は「○○どす」「○○どすえ」と言います。取材したテープにも「○○どす」と入っているので、文章にしたときにかぎかっこに入れて使ったんです。その後、記事を読んだ相手から「絶対に私はこんなことは言ってません」と怒られたことがありました。私は言い返さないですが、そういうトラブルはありましたね。
金井 ベタな京都弁で書かれて心外だ、と思われたんでしょうか。
井上 そうかも。この前、秋田のご年配のおじいちゃんに取材したら、ほとんどわからないぐらいの秋田弁だったんです。それこそ近くにいた若い人に通訳をしてもらいました。最後におっしゃったのは「俺がこんなに標準語でしゃべったのは、初めてだ」とのこと。記事にするときは、どの程度の書き方にすればいいのか……。
金井 うーん。原稿にしたときに訛りが過剰だと、もしかしたらその方が気分を悪くなさるかもしれない。日本語が母語ではない方のインタビューなんかでも「流暢ではない」ところをどこまで原稿で生かすか、悩みます。
井上 ただ事実ではありますよね。これは難しい問題です。
『師弟百景』は読んだ人を「自分たちも職人だ」と酔わせる本
井上 もう金井さんはバーでママをしていないんですよね。どこに行けば金井さんに会えるんですか?
金井 どこでも会えますよ(笑)。酒場學校の高齢の常連たちは書かれたときから10歳年をとっています。まだ数人ゴールデン街で飲んでいらっしゃいますが、コロナ禍で飲まない方も増えました。酒場學校が終わって10年目なので、今年同窓会をやろうかという話にはなっています。
井上 その同窓会にもドラマがありそうですね。
金井 酒場って約束しないで気分で行く場所ですよね。出欠ハガキとかではなく、いつ来ても誰を誘ってもいいという酒場を1日だけ復活させる方法はないですかね。私はお酒は大好きですが、最近は弱くなって。当時はグビグビやってましたけどね。
井上 早いですね。お若いのに。私も酒量は落ちるというか、安くつくようになりました。
金井 最近はもう1杯目から美味しいお酒、いちばん飲みたいやつを注文します。「まずビール2杯くらい飲んで、つぎにサラッとしたお酒、それから濃いめのお酒」なんて言ってる間に酔っ払ってしまうから、最初から「無濾過の純米酒ください」って切り込んでいきます。
井上 最後に、イベント観覧者から質問が来ているので読みますね。「金井さんの本はノンフィクションなんですが、小説のような気がします。書くときに意識していますか?」
金井 これしか書けなかったんです。さきほどの井上さんのお話にも通じますが、相手から聞いた答えが、真実なんだけど、答えは1つじゃない。どこを拾うかだと思います。
井上 こういう書き方と最初から決めて書くんですか?
金井 酒場學校は、本にする考えもなく、ママに見せるためにメモしていただけです。そこには、面白いことしか描いてないし、嫌な客の話はないです。だから、そのノートはある意味ファンタジーです。「いいお客さんだけがいるいいお店」だと思うかもしれませんが、実際はそうじゃない。今日はくたびれもうけだったという夜もたくさんあります。
井上 そうですよね。私が『師弟百景』の感想で面白いなと思ったのは、どのお仕事の人も「自分たちもある意味職人だ」と言うんですよ。
編集者は「編集だって職人仕事だから」、販売、バイヤーの人も「この職人たちと一緒だと思った」と感想を言います。でもね、格好をつけさせてもらうと手業(てわざ)があっての職人であり、職人は生き方でもあります。
本書の左官さんの先代のお父さんは癌になりました。最後は、仕事場をキレイに掃除してから入院し、帰らぬ人になったそうです。このエピソードに私の周りの年配の方は、「自分もこうしたい」「同じ気持ちだ」とグッとくるみたいです。そういう感想が湧くのがこの本らしい特徴かもしれません。
(構成◎松本祐貴)
プロフィール
井上理津子(いのうえ・りつこ)
日本文藝家協会会員。1955年、奈良市生まれ。ライター。大阪を拠点に人物ルポ、旅、酒場などをテーマに取材・執筆をつづけ、2010年から東京在住。『さいごの色街 飛田』(筑摩書房、のちに新潮文庫)『葬送の仕事師たち』(新潮社)といった、現代社会における性や死をテーマに取り組んだノンフィクション作品を次々と発表し話題となる。近著に『ぶらり大阪 味な店めぐり』(産業編集センター)『絶滅危惧個人商店』(筑摩書房)など。
金井真紀(かない・まき)
1974年生まれ。テレビ番組の構成作家、酒場のママ見習いなどを経て、2015年より文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『聞き書き世界のサッカー民』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』(岩波書店)など。最新刊は、23年4月発売の『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文學』(ちくま文庫)。
連載一覧
- 第1回 井上さんの職人技は「しつこい取材」にあり
- 第2回 書くことを仕事にしようと決めた瞬間
- 第3回 取材対象者が語る「嘘と真実」
- 第4回 初めての似顔絵は新宿ゴールデン街で