『傷だらけの光源氏』大塚ひかり×辛酸なめ子 特別対談「リアルとスピリチュアルで語る源氏物語」第2回

輝くような美貌の持ち主・光源氏と女性たちが織りなす恋愛絵巻――「源氏物語」を読んだことがない人でも、そんな雅やかで華麗なイメージは持っているでしょう。しかし、実は病気、死、暴力、抑圧、貧困といった、現代にも通じるリアリティが詰まった物語である、と古典エッセイストの大塚ひかりさんは解き明かします。

大塚さんの新刊『傷だらけの光源氏』は、そんな独自の視点から「源氏物語」をとらえ直した一冊。浮かび上がってくるのは、キラキラと浮世離れした王侯貴族としてではなく、生身の人間としての光源氏。

同書の刊行を記念して、2024年4月にジュンク堂書店池袋本店でトークイベントが開催されました。ゲストは、コラムニストの辛酸なめ子さん。皇室マニア、心霊好き……アンテナの範囲がハンパない辛酸さんにとっての、「源氏物語」とは。

第2回目は、紫式部の生涯を描く大河ドラマ「光る君へ」の気になるシーンから、平安皇族&貴族の経済状況まで。

【第2回】「光る君へ」に見る貴族の暴力と経済事情

辛酸:大河ドラマ「光る君へ」は、まひろ(紫式部)の母親が藤原道兼に殺された……という衝撃の幕開けでしたが、これは史実とは違うんですよね?

大塚:実際にそうした事件が起きたわけではないですが、時代背景をよく調べたうえで、「こういうことがあってもおかしくない」というストーリーにしたのではないかと思いました。

辛酸:たしかに「源氏物語」でも、立ち寄った家の娘がいいオンナだったからそのまま無理やり肉体関係を持つ、というシーンもあって、意外にも野蛮だったのかもしれない、と思いました。平安貴族にはそういったことが許されていた?

大塚:許されていたわけではないですが、大貴族が受領階級、つまり中下流の貴族の娘をやりたい放題していたということは、実際にあったようです。

辛酸:性加害もあったということですか?

大塚:大貴族による性暴力は、記録にもしっかり残っているんですよ。12世紀初頭に書かれたといわれる歴史書「扶桑略記」には、陽成院が仲間といっしょに受領の娘を拉致して、みんなで凌辱のかぎりを尽くし、琴の糸か何かでぐるぐる巻きをして池に沈めた……とあります。それ以前に、もともと人殺しをしたから退位させられた、という説もありますが、その後、彼の皇統が途絶え、別系統に移ったからこういう悪い伝説が作られたのかもしれない。そのあたりは、いまとなってはわからないですね。

辛酸:となると、「光る君へ」のように、人が殺されて埋められているようのことがあっても、おかしくなさそうです。

大塚:「源氏物語」にも「人数(ひとかず)ならぬ」……人の数にも入らない、という表現が何度も出てきます。身分が低い人たちのことを、そう見ていたんでしょうね。ほかにも繁田信一さんの研究によると、当時の日記などには貴族たちが殴り合う様子もよく書かれているそうです。

辛酸:貴族って優雅に蹴鞠を楽しんでいるイメージだったのに、乱闘や暴力もあったとは。

大塚:私は「光る君へ」を面白く観ていますが、その理由のひとつに、こうした時代の空気が反映されている点があげられます。

“女”でのし上がっていった藤原道長

大塚:辛酸さんは「光る君へ」、どうご覧になっていますか?

辛酸:まひろと道長が恋愛関係になっていましたよね。それが史実かはさておき、道長が「正妻にはできない」とまひろに告げていたのが気になりました。大塚さんは『傷だらけの光源氏』で、家の経済事情が男女の関係に大きく影響すると書かれていましたよね。身分が高くないと、思うような結婚はむずかしかったんでしょうか?

大塚:当時は、新婚家庭の経済は妻方の家が担って、夫は面倒を見られるほうだったんです。だから女性は生家が貧乏だとなかなか結婚できない。ただ、道長の時代より前は受領階級の妻を正妻にすることもめずらしくなくて、道長の父・兼家も、妻の藤原時姫(藤原中正娘)は受領階級出身ですし、兄・道隆や道兼の妻にしても似たようなものです。だからドラマの「受領階級だから正妻にできない」は、史実とはズレるんじゃないかな。ただ、道長からあとの藤原摂関家は、高貴な家の女性を正妻にするようになりました。

辛酸:出世のために、意図してそういう風習を作っていったんですかね?

大塚:本心はわからないですが、たしかに道長は“女の力”によって出世したようなところがありますね。姉(詮子)にしても義母(藤原穆子)にしても、それからふたりの妻(源倫子と源明子)にしても。彼女らを味方につけることで、その力で上り詰めたからか、道長は長男・頼通の結婚について、「男(をのこ)は妻(め)がらなり」――男は妻の家柄次第だ、といったと歴史物語の「栄花物語」は伝えています。妻の身分は高ければ高いほどいいと考える人だったみたいです。

貧乏神が移りそうな家には近づかない!

辛酸:経済事情といえば、末摘花のあまりの貧乏っぷりに驚いたのですが、あれは紫式部としてはネタというか、読者を笑わせようとして書いたんですか? もとの色がわからないくらいに汚れた着物とか、門番が門を開けようとしても開かないとか。

大塚:末摘花はたしかに笑われ役として登場しているようなところがあるので、紫式部も多少は「笑わせよう」と思っていた可能性はありますね。でも当時の書物を読むと、かなりの良家だったのに極端に落ちぶれたという話は本当によく出てくるし、実際めずらしくなかったんだと思います。特に、皇族は。

辛酸:そんな末摘花が光源氏に見初められたのは、本当に夢物語みたいなことだったんですね。

大塚:はい、そこが光源氏が光源氏たるゆえんというか、理想の男たるゆえんというか。でも残念ながら、あんな男性は現実にはいなかったでしょう。「源氏物語」の前の「うつほ物語」では、荒れ果てた家を見た男性は土も踏もうとしなかった、とあります。

辛酸:「汚(けが)れた地」というイメージなんですか?

大塚:こんな家と関わると自分の負担になるだけだから、「冗談じゃない!」という感じかな。そして、逃げていく。

辛酸:貧乏神が移る、ってよく言いますもんね。そういう人がいたら関わらないほうがいいそうですよ。

大塚:貧乏神! 辛酸さんの目のつけどころはやっぱり面白いです。

貧乏になっていたかもしれない光源氏

辛酸:先ほど落ちぶれる皇族は少なくなかったとお話に出ましたが、末摘花も宮家の生まれですよね。皇族なのに貧乏になってしまうんですね。

大塚:「源氏物語」でも、その前の「うつほ物語」でも、貧乏だったり容姿がヘンだったり、ちょっと馬鹿にされるようなキャラクターって、だいたい皇族なんです。当時は藤原氏の力が強い時代なので、藤原氏を悪く書くことはできないけど、皇族だったらいい、ということだったのかもしれません。
それから、実際に貧乏な皇族が多かったのもあるでしょうね。桐壺帝が息子を親王にせず、臣籍降下して源姓を与えたのも、経済状況を考えてのところもあったんじゃないかと思います。

辛酸:いまの皇族みたいに、税金で生活しているわけではないんですか?

大塚:光源氏が生まれたとき、「帝王になる相が出ている。ただし、帝王になれば国が乱れる」と予言されたんですね。だから、彼を親王にすれば即位への野望があるとずっと疑われることになる、と桐壺帝は思ったのでしょう。そのうえ光源氏は母方の後ろ盾がいない。だから父帝は位階もない、“無品(むほん)”の親王にしたくないと考えたんです。もしもそうなると、すごく貧乏になる可能性がある。

辛酸:そんなに弱い存在なんですか?

大塚:“品”に応じて収入が違うので、無品だと経済的には厳しかったでしょうね。父帝としては息子をそんな境遇に置きたくない。だから臣下にして、葵の上と結婚をさせることで実家の左大臣家を後見につけて、朝廷を補佐する立場にしてやろうと考えたのです。

(構成◉三浦ゆえ)

本連載は毎週金曜日更新の全4回となります。

プロフィール

大塚ひかり(おおつか・ひかり)
1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻、『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』『ジェンダーレスの日本史』『ヤバいBL日本史』『嫉妬と階級の『源氏物語』』『やばい源氏物語』『ひとりみの日本史』など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。

辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻。在学中から執筆活動をスタート。最近の著書に『女子校礼賛』『無心セラピー』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『辛酸なめ子の独断!流行大全』『辛酸なめ子、スピ旅に出る』『大人のマナー術』『煩悩ディスタンス』などがある。

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