モヤモヤしながら生きてきた【第13回】取材の極意は「性的アピール」?!|出田阿生

新聞記者として働き、違和感を覚えながらも男社会に溶け込もうと努力してきた日々。でも、それは本当に正しいことだったのだろうか?
現場取材やこれまでの体験などで感じたことを、「ジェンダー」というフィルターを通して綴っていく本連載。読むことで、皆さんの心の中にもある“モヤモヤ”が少しでも晴れていってくれることを願っています。

【第13回】取材の極意は「性的アピール」?!

「取材中の性暴力だ」国に下された賠償命令

人身事故で電車が遅延……そんな車内放送が流れるたびに、ハッとする。
「五月病」という言葉通り、新しい環境に慣れるためのストレスで心身に不調を来す人が多い季節。春に人事異動があり、新たな業務を必死に習得中のわたしもその一人だ。

低空飛行を続けている中、うれしいニュースがあった。
埼玉県の前知事・上田清司参院議員の公設秘書から性暴力を受けた女性記者の裁判で、4月下旬に東京地裁が勝訴判決を出したのだ。
「取材中に行われた性暴力だった」と裁判所がはっきり認めた。

「性行為は公務じゃない」あきれた国の主張

事件が起きたのは、今から5年前の2020年3月のこと。
女性記者は、国会議員の政治動向を教えるという口実で、50代の男性秘書からJR大宮駅近くの寿司店に呼び出された。
酒を勧められて記憶が途切れ、目覚めるとホテルのベッドの上で性的暴行を受けていた。

警察に被害を訴え、秘書は準強制性交と準強制わいせつの疑いで書類送検された。
ところがその直後、秘書が自死する。
容疑者の死で、事件は不起訴になってしまった。
その時点で、世間に知られていたのは、あたかも2人の不倫を匂わせるような誤った週刊誌記事だけだった。
「泣き寝入りしたくない」と思った女性記者は必死に方法を探した。そして記者仲間のつてで、心ある弁護士たちにつながることができたという。

だが、加害者である秘書は死亡している。どうやって裁判を起こすのか。
「国家賠償を求める民事訴訟ならできる」。弁護団は変化球を繰り出した。
長崎市の部長(こちらも自死)が、取材を口実に女性記者を呼び出して性暴力を振るった事件でも用いた手段である。
どういうことかというと……。
国会議員の公設秘書の給与は、国が税金から支払っている。だから公設秘書が仕事中に不法行為をした場合は、国が賠償責任を負う決まりがある。たとえ加害者が死亡していても、国には賠償を求められる。2023年春、提訴した。

この2年間、裁判の経過を追ってきたが、国の言い分がすごかった。
「記者からすれば仕事だったかもしれないが、秘書にとってはプライベートである」
秘書の性的暴行が「仕事中ではない」と認定されれば、たとえ犯罪行為があっても国は賠償しなくていい。だから「すべてはプライベートだった」と主張し続けた。
しまいには、「性行為は公務ではない」とまで言い出した。絶句……。

一方、裁判所の判断はすこぶるまっとうだった。
情報提供すると言って記者を呼び出す行為は「公設秘書の仕事」に含まれる。その直後に行われた性的暴行もその延長線上にあったので、「仕事中」の不法行為にあたる、と断言。双方が控訴せず、国に440万円の支払いを命じた判決は確定した。

仕事に持ち込まれたいびつな上下関係

ところで、みなさんは疑問に思うかもしれない。
夜、異性と2人きりの酒席に呼ばれる。なぜ応じるのか。飛んで火に入る夏の虫、と思われるようなことが、自分たちの仕事には多くある。
「胸触っていい?」「手縛っていい?」と妄言を連発した、かつての財務事務次官のセクハラ問題しかり。あのときも、「なぜテレビ局の女性記者は、呼び出されたからといって深夜のバーに行ったのか」とバッシングされた。

もし自分ならどうするか。
……行く。

上田清司議員秘書のケースでは、「上田議員が新会派を結成しようと動いている」と先方から連絡が来たという。さらに「ほかの新聞も取材に動いている」とちらつかされた。つまり、うまく話を聞き出せれば特ダネになるが、他のメディアに先に報じられたら自分の失態になることを意味する。

女性記者は店に駆けつけるため、事情を説明して職場の先輩に夕方の仕事を代わってもらった。
その場では必死に聞き出そうとしたが、有意義な情報はまったくなかったという。
メモを手に懸命に取材しようとする記者と、のらりくらりとはぐらかす秘書。
まるでわがことのように、そんな情景が思い浮かぶ。
「100%、仕事」だった女性記者と、当初から性行為が目的のようにしかみえない秘書。
その落差にめまいがする。

もちろん、記者会見などの公の場ではなく、プライベートと思われかねない酒席などで情報をとる取材形式は、日本のマスコミに特に強い傾向といわれている。「抱きつき取材」などと批判もある。情報を提供する側が上に立ち、もらう側(メディア)は下の立場になる。上下関係ができること自体がいびつだ。

ただ、取材先(権力を持っている人たち)は大半が男性という中で、男性記者であれば性暴力を受けることはほとんどない。
女性記者が取材先から性的対象にされたことで、もともとのいびつな権力関係がくっきり浮かび上がったともいえる。

もし自分だったら……

そして、裁判を取材しながら、わたしが勝手に心配していたことがある。
レイプ被害を受ける3日前、この女性記者が同じ人物から強制わいせつ行為を受けていたことだ。
危険人物とわかっていたのになぜ呼び出しに応じたのか、と思う人がいるかもしれない。
「もし自分だったら……」と、もう一度考えてみる。やはり応じる気がする。
なぜなのだろうと考えてみた。

まず、3日前の出来事を振り返る。女性記者が秘書と初めて名刺交換をしたのは、医療関係者らが新型コロナ対策を話し合うため、夜に開かれた会合だった。
その帰り道、秘書は「自分も自宅が近いから」と言って(実はそれも嘘だったことが後から判明する)、女性記者をタクシーで送った。女性記者が後部座席でつい寝入ってしまったところ、秘書に体を触られて目が覚めたという。

身の危険を感じ、自宅ではないマンションの近くでタクシーを降りた。すると、なんと秘書が車を降りて追いかけてきて、いきなり路上で服をたくしあげられるなどの被害を受けた。
抵抗すると秘書はあきらめたように立ち去ったが、恐怖のあまり、しばらくマンション入り口にある植え込みに身を隠していたそうだ。
もはやホラーとしか思えない。

「たいしたことじゃない、このくらい我慢しなきゃ」

裁判で、女性記者は当時の心情を説明した。

「わいせつ行為は許しがたいものだった。でも当時のわたしは、記者として仕事に責任を持ち続けるには、自分を抑えて我慢することしか考えられなかった」
「忘れるべきことだと思い、仕事に集中することに決めた」

しかも、秘書は自分が強制わいせつをした翌日に、情報提供の電話をしてきたという。
「食事に行こう、という誘いであれば断っていたかもしれない。でもプライベートの話は一切なく、無視すれば仕事に不利益が生じると思わせるものだった」と彼女は振り返る。「今思えば、それも加害者の作戦だったかもしれない」。

どうしても取材相手から話を聞き出さなければ。2人でないとしゃべらないというのであれば、自分が行かなければ……。職業的な使命感で気持ちを奮い立たせ、自分の中にある「気持ちの悪さ」を押し殺したのだろうと想像する。
そして彼女が判決後に出した原告コメントで、ああやっぱり、と思う言葉があった。

「報道現場では『性的な発言は聞き流す』『これくらいは我慢しなきゃ』と、うまくたち振る舞うことが求められてきた」

まさにこれである。
たいしたことじゃない。仕事のためだ。我慢して受け流せばいい。
わたしも20代~30代前半ぐらいまではそう思っていた。
社会人になるまではそんなことを考えていなかったはずなのに、どこが始まりだったんだろう?

脳裏によみがえったのは、新人の時の光景だ。
会社には、新入社員の教育係を担当するおじさんが2人いた。
泊まりがけの新入社員研修を受けたときのこと。
食事の席に幹部社員が参加したとき、教育係のおじさんはわたしたちにこう呼びかけた。

「かわいい女の子、○○さん(幹部)の隣に座って!」

つまり、お酌係である。
え、なにそれ。だが直後にわたしは「これが社会人というものか……」と己を納得させた。
何も知らなかったので、そんなものなのだと思うしかない。

研修では、新人たちがグループに分かれて寸劇を披露する、というレクリエーションもあった。
そのとき、わたしは自分のグループでは唯一の女だった。同期が脚本(のようなもの)を作成した寸劇の内容はもう覚えていないが、ある場面で、わたしが傘で同期(男)の股間をつつく、という場面があった。つつかれた方は痛いだろうし、なんかやだな、と思いながらも演技した。傘の先が触れたときに、クニャ、という感触がしたのを今も覚えている。今書いていても、鳥肌が立つ。

終わった後に複雑な気持ちになっていたら、新人の指導役を務める先輩の男性記者の大絶賛する声が聞こえた。

「君たちはよくやった!素晴らしい!」

びっくりした。
新聞記者なのだからこれくらいの下ネタをやらなくちゃ! ほかのグループは上品すぎるんだよ、みたいなことを言っていた。
わたしの中では、この出来事が「下ネタを受け流すこと=社会人の心構え」と変換された。

別の光景も思い出した。やはり新人だった時、本社からえらい人が来て職場の飲み会が開かれた。
えらい人は、床の間を背にあぐらをかいて、こちらを見た。
そして、自分の太ももをポンポンたたいてこう言った。

「かわいいなあ、ここに座れ」

膝の上に……?
何を言っているのだろうと混乱したが、あいまいに笑って聞こえないふりをした。

これまた入社して間もないころ。取材先のセクハラを職場の先輩に愚痴ったら、「銀座のホステスを目指せ」と言われた。
キスやセックスはさせないけれど、その気にさせてネタをとれ、という意味である。

どんな業界にも不条理に苦しむ女性がいる

ことし1月下旬、「#私が退職した本当の理由」というハッシュタグをつけて、セクハラやパワハラで退職を余儀なくされた実体験を告白するSNSでの投稿が相次いだ。
きっかけは男性芸能人の性暴力をめぐるフジテレビの対応だった。
性被害が軽く扱われていることに悲しみと怒りを感じた女性たちが、SNSで過去の被害を語り始めたのだ。

「若い女性はホステス扱い」

「飲み会の後、取引先からホテルに連れ込まれそうになった」

「既婚者の上司に『俺の女にならないか』と言われた」……

大半の被害者はその当時若い女性で、加害者は取引先や先輩、上司など、職場で力関係が上の男性。
社内で相談してもまともに対応してもらえなかったり、我慢を続けて体調を崩したりして、退職に追い込まれる姿が目立つ。

ああ、どんな業界でも「あるある」なんだ、と腑に落ちた。
新聞社はそのひとつに過ぎない。
そしてそれは今も続いている。そのことがほんとうに恐ろしい。

ならばメディアで働く女性として、こうした社会問題の解決のために報じる責務がある。
社外の人たちからも言われるし、自分でもそう思う。

ただ、上田清司議員秘書の裁判について原稿を出したときに、社内から聞こえてきたのが、「自分たちの利益のために記事を書いているようだ」という男性目線の言葉だった。
女性記者(被害者)の裁判を、女性記者が書くことが、「自己利益をはかっている」ことになる、と言いたいらしい。
新聞記者は当事者性を前面に出してはいけない、報道で大事なのは客観性だ。
たしかに新人のころからそう教わってきた。

だけど本当にそうなのか?

「個人的なことは社会的なこと」だった

わたしは新聞記者である前に、この社会で生きる一人の女性だ。
幼いときから痴漢に遭い、就職では明らかに男性と差別されて書類選考すら通らず(おまけに超氷河期だった)、仕事を始めてからはセクハラざんまい。
「記者」という肩書きなんて、何の力も持たない。イヤというほど実感してきた。

そんな中で、「客観性を保つ」ってなんなのだろう。
むしろ、「男性記者のフリ」をし続けてきたわたしたちが、当事者だからこそ気づく問題を指摘することから始めるしかないんじゃないのか。

自分の抱える問題を他人事にして、「名誉男性」扱いを喜んでいる場合じゃない。
だって、自分の前には、男の記者には見えない光景が広がっている。
それは、世の中の大勢の女性が見ている光景と同じなのだ。

出田阿生(いでた・あお)

新聞記者(1997年入社)。東京生まれ。小学校時代は長崎の漁村でも暮らす。愛知、埼玉県の地方支局を経て、東京で司法担当、多様なニュースを特集する「こちら特報部」という面などを担当し、現在は文化面担当デスク。「立派なおじさん記者」を目指した己の愚行に気づき、ここ10年はジェンダー問題が日々の関心事に。「不惑」を超えて惑いつつ(おそらく死ぬまで)、いっそ面白がるしかないと開き直りました。

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