新聞記者として働き、違和感を覚えながらも男社会に溶け込もうと努力してきた日々。でも、それは本当に正しいことだったのだろうか?
現場取材やこれまでの体験などで感じたことを、「ジェンダー」というフィルターを通して綴っていく本連載。読むことで、皆さんの心の中にもある“モヤモヤ”が少しでも晴れていってくれることを願っています。
第10回 「社会はそんなに不公正ではない」と思いたい人たち
男女別学の公立高校が突出して多い埼玉県
わたしが現在勤務している埼玉県で今夏、こんな議論が沸騰した。
「男子校、女子校は時代おくれなのか、それとも存在意義があるのか」
埼玉には男女別学、つまり共学ではない公立高校が全部で12校ある。
全国で、別学となっている公立高校は全部で42校。上位3位を占めるのは、埼玉のほかに群馬(12校)、栃木(8校)だが、群馬は共学化の具体的な計画がある。数が多い上に計画もない点で、埼玉が突出している。
そもそも公立高が共学化したのは戦後のことだ。
連合国軍総司令部(GHQ)が、占領政策の一環で共学化を進めた。ところが担当者(地方軍政部担当官)のスタンスによって強制の度合い(やる気)がまちまちだったため、東北と関東の一部では別学が多く残った。地域的に偏ったので「西高東低」と表現したりするんだそうだ。
その後、福島や宮城では県知事が積極的な推進姿勢を表明し、すべての県立高が共学に。東北は別学の県立高がゼロになった。
とはいえ埼玉でも、これまで共学化の動きがまったくなかったわけではない。
いまから22年前の2002年、男女共同参画苦情処理委員は「早期の共学化を」と勧告。ところが猛反発が起きたため、埼玉県教育委員会は別学を「当面維持」することにした。
その結果、勧告後に共学化したのは計3校と一部学科のみ。勧告前よりも共学化のペースは落ちた。
「ついに共学になるのか」と思ったが…
そんな無風状態に変化が起きたのは、昨年8月のこと。
「県立の男子校が女子の入学を拒んでいるのは、国連の女子差別撤廃条約違反だ」という申し立てがあり、男女共同参画苦情処理委員が再び、「早期の共学化」を勧告したのだ。
それから1年間、教育委員会は議論を続けた。やはり前回と同じく、別学を維持したい人たちから猛反発が起きた。はたして教育委員会は方針を変えるのか。関係者が固唾をのんで見守る中、今年8月に報告書が発表された。
「主体的に共学化を推進する」
この言葉に、「おお、ついに埼玉も変わる……!」と思った。ところが、報告書を読んでも、今後の具体的な計画がまったく書かれていない。どういうことなんだろう?
取材のため、教育長の記者会見へ向かった。当然のことながら会見では、記者たちから質問が殺到した。「男子校や女子校に働きかけはするのか」「どの学校が対象になるのか」「目標とする時期を示してほしい」……。だが、教育長ははっきり答えない。「それぞれの学校の良さがある」「多様なニーズがあると分かった」などと言うばかり。これではまるで、今後も別学を維持するかのようだ。
各社の記者も納得できないので、延々と同じような質問が繰り返される。教育長は追及をかわし続けたが、最後になって耐えかねたようにこんな言葉を絞り出した。
「全12校の共学化をゴールとしてイメージする必要がある」
がんばって共学にします!と宣言したのに、まだイメージ段階だとは……。
苦渋の表情をみせる教育長の「本音」はこんな感じなのかな、と勝手に妄想した。
「ジェンダー平等推進の観点からは共学化しなきゃいけないんだけど、反対派にめちゃくちゃ怒られる。だから具体的なことなんか言えない。でも前回と同じじゃまずい。せめて『やってる感』だけは出さないと」
共学化に反発するひとたちは誰?
県立高校の共学化に対する猛烈な反発。その急先鋒になっているは県内随一のエリート男子校「県立浦和高校」の同窓会だ。東大をはじめ有名大への高い進学率を誇り、愛称の「ウラコウ」といえば県内エリートの代名詞になっている。
同僚記者によると、今年に入ってから県教育委員会とウラコウOBの間で、共学化について意見を交わす場があった。その中で、ある参加者が「共学にしてほしい」と賛成の発言をした。すると、ほかのOBから「帰れよ、うるせえな!」と怒号が飛んだという。自分がそんなことを言われたら震え上がりそうだ。
一方で、共学化反対の意見が出るたびに、大きな拍手がわき起こったという。その拍手を、同僚は新聞のコラムでこう表現した。
「教育委員会に圧力をかけるかのよう」
ウラコウがなぜこれほどの発言権を持っているのか。その要因は卒業後のつながりにありそうだ。ウラコウの同窓会は、埼玉県庁にも、霞ヶ関の官僚にも、埼玉県内の金融界にもあり、津々浦々で組織されている。数ある同窓会のひとつを紹介する記事が全国紙に載っていたが、書かれていたのはこんな内容だった。
「先輩と後輩の関係を活用できるので、ふだんなかなか接触できない業界の重鎮と若手が交流できる場になっている」
この関係性を、知り合いのジェンダー研究者はこう評した。
「困ったときには助け合う、互助会みたいなものですよ」
エリート男子校を出た男性たちは、多くが社会のエリート(意思決定層)になっていく。
そしてOB同士の連帯を続ける。まるで女性の正会員を認めないという“名門”ゴルフクラブのように、異性を仲間には加えない。
愛校心だけとは思えない。「我が校の素晴らしい伝統を守らねばならぬ」というウラコウOBたちの声からは、女子禁制の秘密クラブを維持し、社会全体にとって重要なことを今後も男だけで決めていきたい、というホモソーシャルな本音が透けて見える気がする。
ここまで書くと、「別学にはエリート女子校もあるじゃないか。男子校だけ批判するのはおかしい」と言われるかもしれない。
なので、ちょっと解説させてほしい。今回の共学化には、もちろんエリート女子校の同窓会も強く反対している。
だが社会を見渡せば、行政や政財界で権力を握る女性は少数派だ。たとえば県庁の幹部に女性は数えるほどしかいない。市長や町長、村長もほとんどいない。もちろん国会や地方議会を問わず議員に占める割合もめちゃくちゃ少ない。企業のトップや管理職も多くない。
そんな状況では、OGの女性が連帯して「社会における権力を背景に、教育委員会に圧力をかける」のは難しそうだ。
むしろ、女子校を存続させる意義として「女性しかいない環境であれば、リーダー役を男性に譲る必要がない。男性優位の社会に出る前に、女子生徒が自信をつけるためのアファーマティブアクションの役割がある」との意見は根強い。
社内にも存在した“男子校社会”
ところで、ウラコウOBのような男子校ホモソーシャルは、恐ろしいことに自分の勤める会社の中にも存在していた。それが判明したのは、まさに埼玉県教育委員会の「共学化推進」方針について原稿を出したときのこと。簡単に言うと、わたしが取材で話を聞いた有識者のコメントの一部が、記事から削られた。
話を聞いた有識者は、ある男子校出身の教授。彼は男子学生が7割以上を占める名門大学でジェンダー論を教えている。この教授の基本的なスタンスは「公立高なのだから、共学化は必要である」。
聞けば、教え子の中には「痴漢は世の中にほとんど存在していない。だから女性専用車両なんて必要ない」と主張する男子学生もいるそうだ。実際は性暴力が蔓延しているのだが、自分が経験せず、身近な友達や家族に話を聞かなければ「ない」ことになってしまう。だから「女性が直面する厳しい現実を知らないまま、エリートの男子学生が社会に出て意思決定層になっていくことを心配している」とのことだった。
わたしは教授の談話のひとつとして、「異性と学校生活を送らなかったことで、男性の発想や思考にゆがみが生じる危険を防ぐ必要がある」と原稿に書いた。
もちろん教授は、すべての男子校出身の学生がそうだなどとは言っていない。自らの経験に基づいて、「一部にそういう懸念がある」という話である。だから、あくまで原稿では「危険を防ぐ」と表現した。
ところが編集局の内部で、この部分が「男子校出身者への差別だ」という声が上がり、「書き換え」か「削除」を求められた。
まず言われたのは、コメントにある「男性の」という言葉を削除して、「お互いに」と書き直すこと。
男女の相互理解は大事だと、わたしも思う。だが、「お互いに」としてしまうと、ニュアンスが変わる。教授が言わんとする「マジョリティ(男性)の側にこそ、マイノリティ(女性)の困難や苦悩を理解する必要がある」という趣旨が消えてしまうからだ。
ここで男女格差の問題をすっ飛ばすわけにはいかない。差別されている側が、現状を改善するのは困難を極める。だからこそ最近では、社会的強者の側が積極的に社会的弱者の側に配慮をするべきだ、という考えも広まりつつある。それほど珍しい意見でもない。
そうはいっても、活字にならなければ読者には届かない。そこで、こちらから次のように提案した。「ゆがみが生じる危険」という語感が強すぎるのであれば、「偏りが生じる恐れ」くらいにトーンダウンさせるのはどうでしょうか、と。だが、聞き入れてもらえなかった。
そうこうするうち、いよいよ締め切りの時間が迫ってきた。ええい、仕方ない。
「男性の」という部分は削ってもいいのでコメントを載せてほしい、と伝えた。だって全削除よりマシだから。
……ダメだった。最終的にコメントのその部分はすべて「削除」という結果になった。
編集局の中では「男性差別」「過激だ」という意見まで出ていたらしい。発言者は編集局の中で責任ある立場にいる男性たちだ。社内でのやりとりを通じて、「壁」のようなものを感じた。もしかして、根っこにあるのは理屈ではなく、感情の問題が大きいのかもしれない。
一見公正に見える競争だとしても
後日、全面削除の理由をあらためて聞いた。すると妙なことを言われた。
「読者のなかには、男子校にわが子を通わせる保護者がいる。その人たちが不安な気持ちや不快感を抱くだろうから」
あれ、社会構造の話が、個人の話にすり替わっている。似たようなことはなんだか前にもあったぞ。
そうだあの時だ。社会学者の上野千鶴子さんが、2019年に東大の入学式で祝辞を述べたときに起きた反発だ。
上野さんは、女子を不正に減点した医大入試差別問題を例に出して、新入生に語りかけた。
「がんばったら報われると思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないで」
一見公正に見える競争でも、男子学生と女子学生では取り巻く社会環境が違う。そのことを認識しながら、選ばれし人間として社会を担っていってくださいね、という内容だ。わたしは当時、「そのとおりだ……!」とひたすら感激していた。ところが、周囲の東大出身の男性からは反発の声が聞こえてきて、びっくりした。
たとえば上野さんは、女性の大学進学率の低さについて、成績の差ではなく、「息子は大学まで、娘は短大まででよい」と考える親の考え方の結果だと語った。ところがある男性は激怒して、こう反論した。「娘を短大に通わせる親への暴言だ。失礼にもほどがある」
社会構造の話が、短大生の親個人の話になっている。上野さんは保護者を責めているわけではない。「女に学はいらない」という意識が、社会のいたるところにしみついてしまっていることを問題視しているだけだ。女子生徒の可能性や未来が、偏見に閉ざされることを。
きっと、反発の背景には「社会はそんなに不公正ではないはずだ(そんなに女性が差別されているわけがない)」という強い思いがあるのだろう。
オールドメディアといわれる、テレビや新聞をはじめとするマスコミ業界全体が「男子校」状態なんだとあらためて思った。
管理職になる女性も少しずつ増えているものの、会社を回しているのは圧倒的に中高年男性だ。その状態では、その人たちの感覚が「客観・公正」の基準になってしまう。
自分が「男子校」に再び戻ることになるとは
今夏、会社の人事異動があった。
いまの職場で、女はわたし1人になった。
11人いる同僚記者は全員男性だ。初任地で同じ状態だったのは、四半世紀前のこと。まさか令和の時代に、自分が「男子校」に再び戻るとは思わなかった。
当時は新人でオドオドしていたわたしも、いまやふてぶてしい中年になった。とはいえ、自分が「異物」になったかのような孤立感が押し寄せてくる。
つい、先輩の男性記者にこう愚痴った。
「勤務先で自分以外が全員女だったら、どうしますか」
すると「ありえない!」と爆笑された。「そんなの、まっぴらごめんだ」という気持ちと、「男1人になるなんてありえない」という確信の両方から出た言葉に思えた。
もしも現実に、先輩が女だらけの職場に放り込まれたら、どう感じるだろう。
「女性は男性の補助役」。そんな考え方が社会でも学校現場でも、いまも脈々と生き続けている。ちょっと前にも、「高校時代に生徒会長に立候補しようとしたら、『女子なんだから、生徒会長じゃなくて副会長か会計に立候補しろ』と教師に言われた」という20代女性の嘆きを聞いた。いまだにそんなことが起きている。彼女は、共学の公立高出身である。
つまり、共学ならばジェンダー平等、とはならない。こうなると、共学と別学のどちらがいいのか、という問題ではなくなる。
ある識者は「男子校や女子校、共学校に関係なく、あらゆる学校でジェンダー平等を推進するための教育が不足している。もっときちんと取り組む必要がある」と指摘していた。その通りだ、と激しくうなずいた。
男性にもっぱら既得権益が集中する社会について教え、どう変えていけるか考える。多感な時期に異性と学校生活を共にする意味は大きいと(個人的には)思うけれど、男子校でもそういう教育はできるはずだ。
わたしはたまたま女性で、ジェンダーの格差を感じることが多い。でも男性だったら格差に気づかなかったかもしれない。外国人、性的少数者、障害者といった視点からみれば、わたしも鈍感なマジョリティ側だ。他者の苦しみがなかなか見えない。それこそ、自分の中にある偏見を人に指摘されて、恥ずかしさに身を縮めることも多々ある。
なので、「天ツバ」を自覚しつつ、しつこく言い続けたい。
男子校が悪いんじゃない。「男子校社会」が問題なんだ。
出田阿生(いでた・あお)
新聞記者。1974年東京生まれ。小学校時代は長崎の漁村でも暮らす。愛知、埼玉県の地方支局を経て、東京で司法担当、多様なニュースを特集する「こちら特報部」という面や文化面を担当し、現在は再び埼玉で勤務中。「立派なおじさん記者」を目指した己の愚行に気づき、ここ10年はジェンダー問題が日々の関心事に。「不惑」の年代で惑いまくりつつ(おそらく死ぬまで)、いっそ面白がるしかないと開き直りました。
連載一覧
- 第1回 立派な「男」になろうとしていた私
- 第2回 被害者の声を聞く…それはフラワーデモから始まった
- 第3回 家父長制クソ食らえ
- 第4回 祖母の死とケア労働
- 第5回 「水着撮影会」問題を自分事として考える
- 第6回 ”何かになること”を押しつけられない社会へ
- 第7回 日本社会が認めたがらない言葉「フェミサイド」
- 第8回 アフターピルの市販化を阻むものは何か?
- 第9回 日本人女性の7割がその存在を知らない「中絶薬」
- 第10回 「社会はそんなに不公正ではない」と思いたい人たち