本屋はいつでも僕を笑顔にする!
「本屋大賞」の立ち上げに関わり、実際に下北沢で「本屋B&B」を
開業した嶋浩一郎による体験的「本屋」幸福論。
【第10回】「この本、読み忘れていませんか?」痒いところに手が届く盛岡の本屋さん
昨年11月に岩手県盛岡に旅をしました。盛岡の三大麺を二日で食すという弾丸ツアーです。盛岡にはじゃじゃ麺、冷麺、わんこ蕎麦という全く違うキャラクターの麺が名物としてひしめいているんですよね。
自分にとってわんこ蕎麦は初体験だったのですが、これが、予想以上のエンタメ体験でした。素早く蕎麦を供してくれる給仕の女性たちがスゴイんです。「どんどん」という独特の掛け声をかけながら、蕎麦を次々とお椀に入れてくれるのですが、「まだ行けますよ」、「もう終わりですか?」なんて言葉をいいタイミングで挟んできて、食べ手のやる気をエンパワーしてくれるんです。まさに、コーチングの天才です。会社の人材開発部門にぜひ欲しいタレントです。
〈東屋〉さんという明治創業の老舗でお蕎麦を頂いたんですが、店主の馬場暁彦さんのお話によると、岩手県は痩せた土地が多かったので、かつて蕎麦くらいしかお客さんに出す食べ物がなかったそうなんですね。そんな状況でもお客さんにより楽しんでもらおうということで、わんこ蕎麦が生まれたんだそうです。ホスピタリティの結晶としてわんこ蕎麦という食文化は生まれたんですね。
既刊本をお店に置き続けるのが難しいなかで…
そんな、盛岡の街に旅行者にとって、わんこ蕎麦級のホスピタリティを発揮する本屋があるのをご存知でしょうか? 盛岡駅の駅ビル、フェザンの一階にある〈さわや書店〉です。新幹線を降りたらすぐのこの本屋さん、痒いところに手が届く本屋なんです。
どういう、ことか?
この本屋さん、もちろん新刊もしっかり売っているのですが、「お客さん、じつは、こんないい本が出てるの知ってました?」と、耳元で囁いてくれるように既刊本を紹介してくれるんです。
既刊本。過去に刊行された本のことです。
もちろん、どの本屋に行っても新潮文庫のコーナーに三島由紀夫の『仮面の告白』は置いてあるし、岩波文庫のコーナーにはプラトンの『国家』が置いてあります。時流をつかんだベストセラーはその時代の中で読む意味があると思うのですが、時代を超えて読みつがれるべき本も世の中にはあるわけです。
ただ、本屋にとって既刊本を置き続けることはなかなか難しいことなんです。本屋さんにしてみれば、棚に売れるか売れないかわからない本を置いておくのは効率が悪いわけですからね。日本は一年間で6万冊以上の新刊が刊行される出版大国です。まあ、ろくでもない本もありますが、そんな本も含めて、多様な新刊が出版されて本屋の店頭に並び続けるためには、本屋は次々と仕入れと返品を繰り返しているのが現状です。新刊は出版社が広告を出したり、新聞が書評に取り上げたり、SNSで話題になったりするわけで、本屋にとっては棚に並べておけば売れる可能性が高いわけです。そんなわけで、一般のお客さんにとっても本屋は主に話題の新刊を買いに行く場所なっていますよね。
でも、〈さわや書店〉には、時代を超えて読まれるべき本に対して愛があるんです。小説だけじゃなく、人文社会、自然科学といろんなジャンルで既刊本を店頭で紹介してくれます。
発売から20年経った文庫が大ブレイク!
発売から時間がたってなかなか話題にならない既刊本をあの手この手で推してくれるのです。ちくま文庫に『思考の整理学』という本があります。この本は英文学者で評論家の外山滋比古さんが思考力をどう羽ばたかせるかその方法論を記しています。1986年に文庫が発売されたのですが、刊行から20年も経った2006年に当時さわや書店の書店員だった松本大介さんが書いたPOPがきっかけで大ブレイクしたんです。その、POPに書かれていた言葉が、
“もっと若い時に読んでいれば…”
そう思わずにいられませんでした。
というもの。そう言われたらついつい手にとってしまう感じがしませんか? 店頭にPOPとともに置いた数冊の本がすぐになくなったという情報が盛岡の一書店から全国にひろがって最終的には100万部以上のセールスを記録したんですね。最近は筒井康隆が80年代後半に書いた小説『残像に口紅を』がTikTokへの投稿がきっかけで時空を超えてベストセラーになったなんてニュースがありましたが、とにかく既刊本が売れるっていう現象はまれなことで、それをコンスタントに仕掛けている〈さわや書店〉ってスゴいなあといつも感心して見ています。
表紙を隠して「どうしても読んで欲しい810円(税込)がここにある。」と書いたコピーだけで既刊の文庫本を売った「文庫X」というフェアも〈さわや書店〉発で話題になりました。
僕が好きなこのお店で開催されたフェアは「ヨマネコンティ」という企画。そう、ブルゴーニュワインの女王「ロマネ・コンティ」のダジャレです。ワインは熟成してこそ味がよくなる。それと同じように本も発売されたタイミングよりも、じっくり寝かしてから読んだ方が味がでるよってことで、版元さん、つまり出版社の倉庫で寝ていた既刊本をまとめて紹介するフェアを展開したんですね。
新刊書を売るのも大変な出版不況の中で、既刊本を独自の視点でしっかり揃えている本屋を僕は応援したいと思っています。しかも、〈さわや書店〉の既刊本のススメ方は無理やりじゃないんですよね。「これ、読み忘れてませんか?」くらいの、ちょっと痒いところに手が届く感じなわけです。なので、そんなにうかがう機会が多々あるわけではないのですが、盛岡の駅を降りるといつもまずは〈さわや書店〉を覗いてしまいます。
気のいい街“盛岡”の楽しみ方
ところで、ニューヨーク・タイムズは「2023年にいくべき52ヶ所」という旅行のデスティネーションを紹介する記事で、盛岡をロンドンに次ぐ第二位に選びました。この記事に便乗して盛岡を訪ねるのもいいのではと思います。
記事には市内を流れる北上川に掛かる開運橋のたもとにあるジャズ喫茶〈ジョニー〉が紹介されています。店名は五木寛之の小説「海を見ていたジョニー」からとったそうです。姉の経営する基地の町のバーで、ベトナムに派遣される黒人兵のジョニーとジャズの演奏を楽しむ少年が主人公の物語です。店内には五木寛之の小説が置かれていて、レコードに囲まれた空間での読書は快適です。
盛岡はなんだか気のいい街で、山を見ながら、川沿いの道をぶらぶらするだけで気持ちがいいです。〈羅針盤〉や〈六月の鹿〉など本を片手に訪れたい喫茶店も街中にあります。
寒い季節にお店に入るとなんだかなつかしい石油ストーブの香りがする盛岡の町。その玄関口、盛岡駅の〈さわや書店〉で本を選んでから散歩を始めるのはどうでしょうか?
ちなみに、わんこ蕎麦を食べた〈東屋〉さん。なんと、とんかつも人気とのことで、ひねりが欲しい方にはこちらも。
嶋 浩一郎
クリエイティブ・ディレクター。編集者。書店経営者。1968年生まれ。1993年博報堂入社。2001年、朝日新聞社に出向し若者向け新聞「SEVEN」の編集ディレクターを務める。2004年、本屋大賞の立ち上げに参画。現本屋大賞実行委員会理事。2012年にブックディレクター内沼晋太郎と東京下北沢にビールが飲める書店「本屋B&B」を開業。著書に『欲望する「ことば」「社会記号」とマーケティング』(松井剛と共著)、『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。ラジオNIKKEIで音楽家渋谷慶一郎と「ラジオ第二外国語 今すぐには役には立たない知識」を放送中。
連載一覧
- 第1回 本を「地産地消」で楽しむ
- 第2回 書店における魔の空間
- 第3回 待ち合わせは本屋さんで
- 第4回 絶滅危惧種、24時間営業書店を応援したい!
- 第5回 本屋の後はカレーかサンドイッチか それが問題だ!
- 第6回 あの書店のあのフェアがすごかった!
- 第7回 完全に振り切れた大阪の本屋、 波屋書房のすごさとは?
- 第8回 地野菜と外国文学の未知との遭遇
- 第9回 無人店舗で本を買う
- 第10回 「この本、読み忘れていませんか?」痒いところに手が届く盛岡の本屋さん
- 第11回 出張帰りにゴルゴに感情移入を
- 第12回 本は見るもの触るもの
- 第13回 座って本を売ってもいいですか?
- 第14回 本を読みながら飲む最高のビールに出会ってしまった話
イラスト◎みずの紘