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法獣医学の世界【第2回】法獣医学にたどり着くまで ―シェルターメディスンとの出会い―|田中亜紀

2023年1月6日

「事故なのか? 虐待なのか?」――不審死を遂げた動物の遺体を解剖し、動物虐待の実態を明らかにする「法獣医学」。日本ではまだ知られていない法獣医学の専門家による奮闘記。

法獣医学にたどり着くまで ―シェルターメディスンとの出会い―

「アニマルシェルター」を学びたい

環境毒性学部にきて3年目になり、このままここに居続けるのか、どうするのか、と悩んでいた時に、「Ecotoxicology(生態毒性学)」という授業を受けました。環境中の毒物が動物を含む生態系に及ぼす影響について勉強する授業でしたが、最後に学生が一人ずつテーマを決めて発表しなければなりませんでした。

私は日本のイヌワシの鉛中毒について調べ、紹介をしたのですが、授業が終わってから担当教授に、「Akiは今、本当にやりたいことをやっているのか? 本当にやりたいことをやらないといけない。Akiは獣医だったよな? 本当は何がやりたいんだ?」と諭され、その時に「アニマルシェルター」のことがまずは頭に浮かんできました。私は環境毒性学部の修士課程を修了し、その後、シェルターの勉強がしたく、獣医学部の修士課程に入ることにしました。

私の法獣医学の始まり

環境毒性学部にいた時は、まさか今、自分がこんなに動物虐待に関わる毎日を送るとは思いもよらなかったですが、その時に勉強した毒物分析や中毒の知識が今取り組んでいる「法獣医学」に大いに役に立っています。というのも、残念ながら、動物虐待の中でも毒エサなどによる中毒死は多く、毒物の分析結果の解釈や毒性についての知見の基礎は、環境毒性学部にいた時代に培われました。

また、その当時に北海道大学の先生が研究室に3か月間留学しにきたのですが、同年代の獣医師ということもあり意気投合し、3か月間、毎日一緒にいて、ほぼ毎日インドカレーを食べていました。研究室内で「カレー臭い」と嫌がられ、それでもカレーばかりを食べ続けていたのですが、その先生とは今でも大変懇意にしており、2020年に「日本法獣医学会」を一緒に立ち上げることとなりました。

思えば、カリフォルニア大学の環境毒性学部は、最初は「なんだか全然分からない分野だし、獣医と関係ないなぁ」と思いながらも、実は全てはつながっており、私の法獣医学の始まりでもありました。

運命の出会い

環境毒性学部にいたころから、暇さえあればアニマルシェルターに足を運び、ペットショップで開催される保護犬や保護猫の譲渡会に通い、「まだ動物病院にたどり着けていない」動物達について知るようになりました。そして、獣医学部の修士課程に進んでからは、「シェルターメディスン」という学問と運命の出会いを果たしました。

私をシェルターメディスンにつないでくれたのも、Dr. Kanekoでした。環境毒性学部の卒業と同時に、犬が飼いたくて、アパートからDr. Kanekoの所有する庭付きの小さな借家に引っ越すことにしました。その小さな借家の2軒ほど隣に、カリフォルニア大学デービス校獣医学部のシェルターメディスンプログラムのディレクターがたまたま住んでいて、Dr. Kanekoを通じてご近所付き合いが始まりました。

シェルターメディスン

「シェルターメディスン」はアメリカでもまだ出来たばかりの講座で、私はこの「シェルターメディスン」という学問があることを知った時は、本当に嬉しく、まさしく私の勉強したかった分野だと感動しました。

シェルターメディスンとは、アニマルシェルターに特化した獣医療として始まり、「ホームレス(家族のいない)動物達」=「動物病院にたどり着いていない動物達」の健康と福祉の向上だけでなく、地域の安全にも寄与する学問です。

シェルターとは、日本でいう「保健所」や「動物愛護センター」のことで、飼い主のいない動物が収容される場所です。アメリカでも20年前までは、シェルターに来た動物の8~9割が殺処分されていました。ですが、ちょうどその頃から、いわゆる「ノーキル(殺処分をしない)」シェルターというのも出来はじめ、殺処分ではなく、なるべく「譲渡」という意識が芽生え始めました。

よって、これまでは1週間経ったら殺処分されていたところが、「譲渡」されるまで動物達をシェルターに置いておく、ということになったのですが、そこでたくさんの問題が発生しました。つまり、動物達を長期シェルターに置いておくと、瞬く間にほとんどの動物が病気にかかってしまうようになりました。

風邪を引き始めたり、下痢が止まらなくなったり、皮膚病になったりして、結局譲渡したくても、譲渡できなくなってしまうのです。これまでの犬や猫に対する獣医療は、「飼い主のいるペットとしての犬や猫が病気になった時に飼い主が動物病院に連れてくる患者」であり、「動物病院に連れていってくれる飼い主のいないたくさんの犬や猫」に対する獣医療はありませんでした。

「みんな」が健康で幸せになる方法

「ペットの犬や猫も、シェルターにいる犬や猫も同じ動物種であるにも関わらず、いる場所が違うだけでどうしてこんなにも扱いが違うんだ」と感じたサンフランシスコ在中の富豪が、これを変えるには研究と教育が必要だと考え、獣医学部として世界的ランキング1位のカリフォルニア大学デービス校に、シェルターにいる動物達を専門的に研究する講座を寄付してくれることとなりました。それが、世界で初めてできた「シェルターメディスン」講座です。

シェルターは、たくさんの犬や猫が収容される場所で、その動物達を「群」として管理することが重要です。つまり、特定の1頭だけが健康になって、幸せになれば良いという管理の仕方ではなく、シェルターにいる「みんな」が健康で幸せになる方法を見つけなければならない、という概念です。そして、シェルターにいる「みんな」=群が全体として良くなれば、1頭1頭に対するケアの質も向上するということになります。

シェルターは、動物にとって様々なストレスがあり、動物の出入りも激しいので、病気になりやすい環境でもあります。シェルターに来た時は元気であっても、譲渡されるまでの待ち時間で病気になってしまっては元も子もなく、病気にならないように、また、適材適所の安全な譲渡を促進できるよう研究の基に取り組む学問です。

殺処分がかわいそうだからと、病気の動物や、攻撃性が強く触ることも出来ないような動物を譲渡することがシェルターメディスンの目的ではありません。あくまでも、動物福祉の向上と、地域や人の安全を考慮した公衆衛生を基にした獣医学です。

飼い主がいない動物の問題は至極感情的になりやすいのは日本もアメリカも同じですが、「かわいそう」と思われがちな動物達に対して、科学と研究を持って改善策を探求することに目から鱗がボロボロと落ち、シェルターメディスンのディレクターの発する一言一言が私にとっては全てが刺激であり、勉強でした。当時、私は30歳になったばかりで、ディレクターも40歳と二人とも若く、大学院生は私一人で、他に新しくレジデント(研修医)が二人入ってきたばかりという出来立てホヤホヤの講座でした。

電子レンジで虐待された猫

晴れて獣医学部の大学院生になり、「シェルターメディスン」という自分のやりたいことを見つけて、文字通り充実した日々を送ることができるようになったのですが、現状は、とにかく大学院の授業が予想以上に大変で、ついていくのに必死でした。その傍らにシェルターに足繁く通い、とにかくシェルターでの経験を積むことが楽しくて仕方のない毎日でした。

シェルターで毎日何をやっていたかというと、シェルターの獣医師について午前中は20件近い不妊手術(カリフォルニア州では、シェルターからの譲渡の際には、不妊手術をすることとマイクロチップを装着することが条例で決まっていました)、午後は、シェルター内の動物の診療でした。そして、シェルターにくる動物達が、どのような状況なのかを目の当たりにするようになりました。

飼い主がシェルターに捨てにくる、道路わきを放浪していて通報を受け捕獲される、そして、様々な虐待を受けた動物達を警察が持ってくることが多いことに驚きを隠せませんでした。電子レンジでチンされてカチカチに乾いた猫や、洗濯機に回されてしまった犬、300頭近い猫の死体と暮らしていたという事件等、その時は、動物虐待については、ただただ面食らいながらも教えてもらったことを処理することに精一杯で、シェルターに収容された動物達の治療や健康管理や研究に注力していました。

(第3回に続く)

田中亜紀

獣医師。日本獣医生命科学大学特任教授。1974年、東京生まれ。1998年、日本獣医生命科学大学卒業。動物病院勤務を経て2001年に渡米。カルフォルニア大学デービス校(UCD)獣医学部でシェルターメディスンと災害獣医学の研究をテーマに博士課程終了。博士(疫学)。「シェルターメディスン」とは保護施設(シェルター)における動物の健康管理についての研究。2020年2月に「日本法獣医学会」を立ち上げる。


イラスト 白尾可奈子/写真 安海関二

連載一覧

  • 第1回 法獣医学にたどり着くまで ―私の原点―
  • 第2回 法獣医学にたどり着くまで ―シェルターメディスンとの出会い―
  • 第3回 初めての多頭飼育崩壊
  • 第4回 初めての現場
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