人気ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」でパーソナリティーと調査を担当していた室越龍之介さん。
コテンを退社した現在はライターとしても活躍する彼が、その豊富な知識と経験を活かして、本連載では、とっつきにくい印象のある「名著」を、ぐいぐいと私たちの日常まで引き寄せてくれます。
さあ、日々の生活に気づきと潤いを与えてくれるものとして、「名著」を一緒に体験しましょう!
【第13回】 TPOと『論語』
TPOは難しい
昔、市役所で働いていた折、新人研修でマナー講師の講義を受けた。講義が始まる前に席に座っていると、講師が近寄ってきて「黒い下着をつけてはいけません」と言って去って行った。クールビズの時期だったので、白いワイシャツの下に、確かに黒い肌着を身につけていた。少し厚い生地のワイシャツだったので、肌着が透けて見えてはいなかったが、角度によっては首元から見えていただろう。
僕は洋服というものに、とんと弱く、下着の色がマナーに反するとは思いもよらなかったので、深く恥いったものである。
世の中には、未知のマナーがたくさんある。知っている人は知っていて、ちゃんと守れるのだろうが、僕のようにわからなければ、いちいち恥を掻き続けるしかない。
他にも難しい局面があった。
「明日はお客さんの偉い人に会うので、オフィスカジュアルで来て欲しい」と指示されたときである。「スーツにして欲しい」と僕は思った。スーツならわかりやすい。洋服の青山で「スーツ」の棚に並んでいるものが「スーツ」だ。だが、「オフィスカジュアル」とはなにか。とんとわからない。
「スーツだと、相手に迎合して見えるから、アカデミックな専門家に見えるようにかっちりとしているけど、スーツじゃない服」と追加でコメントされたが、謎が深まるばかりである。
オフィスカジュアルという概念を検索してみると、「スーツよりもリラックスしつつ、来客対応や社外での打ち合わせでも失礼にならない「清潔感」と「きちんと感」を両立させた服装」と出てくる。
ここから読み取れるのは、①スーツではない、②リラックスしている、③周囲に対して失礼でないという三つの条件だ。①スーツではない、はどうにかなりそうだ。おおよそ、ほとんどの服はスーツではない。Tシャツでも、浴衣でもいい。②リラックスしているもわかりやすい。ダボっとしたスエットでもいいし、甚兵衛でもアロハシャツでも良い、ということだろう。要は、スーツじゃなければなんだって良いのだろう。
だが、問題は③周囲に対して失礼ではない、だ。特に、「失礼」が難しい。失礼とは、「礼を失している」つまり、礼儀がなっていない、ということだ。つまり、③の条件を満たすには、「礼儀とはなにか?」を理解している必要がある。
文化人類学をバックボーンに持つものとして、「礼儀とはなにか?」は深遠すぎる問いだ。
例えば、僕が調査地としていたキューバでは、あいさつの基本は握手だ。女性の場合、頬へのキスとなることもある。僕はこれが苦手であった。日本で生まれ育った僕にとって、パーソナルゾーンが狭すぎるのだ。肩を抱いたり、ハグをしたり、面白いことがあれば、スラムダンクの桜木と流川のようにお互いの手を叩くのもよくやる。身体的な接触をあまり躊躇わない。この近さは異性間であっても存在する。 ハグされたり、抱き寄せられたりするからといって、別にあなたに性的な興味があるわけではない。普通のコミュニケーションに過ぎないのだ。
日本でこのようなことを言う人も、少なくなってきたとは思うが、儒教における四書五経の一つである『礼記』に、「男女七歳にして席を同じゅうせず」という言葉がある。僕も自分が受けた教育を振り返ってみると、男女には厳然とした区別があり、気軽に身体的接触をするのは、根本的に無礼だと教えられてきた。
このような人間にしてみると、キューバのあいさつは近すぎるのだ。
では、日本人がどんな挨拶をしているのかというと、お辞儀をしている。
特に簡易的な会釈は首の骨が突然外れたように、頭が突然ゴトっと落ちる。キューバ人からみると、これは結構オカシイようで、日本人同士のあいさつを笑われたり、真似されたりしたことが何度もある。
つまり、ある行為が「礼儀」として認識されるかどうかは、文化や社会的文脈に依存する。したがって、「礼儀を失しない」がどのような状態かということは、僕たちが置かれている状況により、変わってしまう。
「社会的文脈」を簡単にいうと、おそらく、TPOになる。TPOとは、Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合・場面)のことだ。
なので、礼儀とは、「その時、その場所、その場面にいた人々が礼儀だと思っていること」という自己言及的な循環した定義になってしまう。
となると、オフィスカジュアルも「その場にいる人々がオフィスカジュアルだと思っている服装」を呼んでいるにすぎない。
僕たちは、雰囲気でオフィスカジュアルをしている。
オフィスカジュアルに比べると、やはりスーツは楽だ。イギリス流だの、イタリア流だの着こなしの型も決まっている。マニュアルを読めばだいたいわかってくる。ネイビーに焦茶を合わせると良いとか。靴とベルトの色は合わせないといけないとか、細々決まっているので、セオリーに従えばまず外さない。
公の場で着る服というのは、さらに細かく規則が決まっている。こういう時にはモーニングを着るとか、これこれの規定に沿ったものが礼服であるとか、さまざま決まっている。
もう100年もすれば、「オフィスカジュアル」も細々規則ができて、悩まず着ることができるようになるだろう。
社会という舞台
社会においては、あいさつや服装だけではない。色々なことがTPOに合わせて、細々と決まっている。出張に行ったら、オフィスにお土産を買って帰るとか、近所の人にあったら、軽く雑談するとか。会議や飲み会の座る場所、会食で選ぶべきレストラン、恋人とのデートで行くべき場所、プロポーズのタイミングなど、なんとなくみんなのなかで共通の認識がある。厳密に擦り合わせられているわけではないが、おおよそ「こんな感じ」というイメージが共有されている。(この共有されている範囲を文化とか文化圏といったりする。)
あたかも、僕たちの社会には、話の流れ、衣装、セリフが描かれた台本が存在しているかのようだ。
こういう状況を考えてみて欲しい。
例えば、あなたが友人の結婚式で代表挨拶をする。(僕はしたことがない。友人の結婚式にも2回しか参加したことがない。社交性がないのだ。)あなたは、友人やその伴侶について思っていることを率直に話したりはしない。
「彼と僕は二人っきりでしばらく温泉旅館に泊まり、今日新婦になる、この方がいかに気難しくてやりづらいかずっと話し合いました。その結果、結婚という決断をした友人はとても勇敢かかなり頭が悪いかどちらかだと思います」といったことを述べたりはしない。
「二人はお似合いのカップルです」とか「末長く幸せになるでしょう!」といったことを話すはずだ。たとえ、それが真実でなくても。
では、少し状況を変えてみよう。
あなたは、休日に一人っきりだ。筋肉は弛緩し、表情はない。ヨレヨレの室内着を着て、スマートフォンを眺めたり、読書をしたり自分の作業に没頭している。しかし、そこに会社の上司がいればどうか。まず、ヨレヨレの室内着を着っぱなしというわけにもいくまい。パリッとしているが、カジュアルに見えるような格好をして、ぐしゃぐしゃの競馬新聞は片付けて、折り目の正しい英字新聞でも読むふりをするだろう。
では、悪友の結婚式でのスピーチと上司と過ごす休日の違いはなんだろうか。
あなたがスピーチを話すとき、何が真実で、何が意図的につかなければならなかった嘘かかなり明確に自覚しているのではないか。真実をきちんと把握できるからこそ、適切な建前を述べることができる。
だが、上司と過ごす休日は、真実であるところの本音と意図的についた嘘としての建前があるのではない。「上司と過ごす」という状況に対し、ふさわしい格好や言動をしているだけだ。ただ、過ごし方のモードがあって、僕たちはそれをチューニングしながら生活をしている。
つまり、意図的な嘘であってもなくても、いずれにせよ、僕たちは目に見えない「台本」を持っていて、その「台本」に従って、適切な振る舞いをするようにしているというわけだ。
社会はいくつもの舞台で様々な演劇が上演される劇場のようなものだ。
この劇場としての社会を注意深く観察し、みんながわかる「台本」に展開した人物がいる、といったらどうだろうか。もし、現代にそんな人物がいれば僕は嬉しい。この人と話す時は、こういう服装で、こういうアポイントメントを取り、このように話す、とか、どこそこへ行く時はこういう格好で、このような手土産を持つ、というように。そして、それがどのような意味を持ち、周囲の人間にどのように解釈されるのか。
その本こそが、日本人で知らぬものはいないほどの名著『論語』だ。
「台本」としての論語
さて、『論語』とは一体どのような本なのであろうか。
簡単にいうと、孔子(前551-479)の言行録だ。孔子の弟子たちが師匠の話したことや振る舞いについて書かれていて、孔子が死んでから編纂された。「子曰く(し、いわく)」という書き出しは、誰しも一度はどこかで聞いたことがあるのではないだろうか。
「子曰く」つまり、「孔子が言ったことには」で始まる断章が積み重なる構成は、いわばインタビュー集のような体裁をしている。
ちなみに、孔子が生きたのは春秋時代と呼ばれる時代だ。古代中国をまとめ上げていた周という国の権威が崩壊し、かつて王様の家来だったはずの諸侯たちが次々と独立的に動き出してしまい、お互いに戦争し、自分の主君や同盟国を裏切ったり、地位や領地を奪ったりすることが当たり前になってしまっていた。昨日の同盟国が今日の敵国になり、家臣が主君を殺し、兄弟が王位を奪い合う。乱れた時代だった。
危機が常に隣にある環境で、君主たちはどうすれば、この乱世を生き延びられるのかを考えた。そして、王様や貴族たちに、アドバイスをして国を守ったり、成長させたりするコンサルタントのような人たちが現れた。彼らのことを諸子百家という。色々な思想や技術を開発する専門家が論客となり、国々を回って自分の考えを売り込み、各地の君主は農業に力を入れたり、戦争の技術を向上させたりするようになった。
厳しい法律を作って秩序を維持することが大切だ、と説いたり、自然に身を任せて、流れに乗っていくことが大切だと説いたり、とにかく色々な論客が現れた。
孔子は、そうした論客の一人だった。
孔子が考えたのはこうだ。
なぜ社会が乱れるのか。どうすれば立て直せるか。
どうして国々は争い始めたのか、そうして人々は裏切りあい始めたのか。
そこで、行き着いた答えこそが、僕がいうところの「台本」だ。
孔子が提示した概念に、「正名(せいめい)」という考え方がある。言い換えると、名と実を一致させよ、ということなのだと思う。
孔子の有名な弟子の一人に子路という人がいる。
その子路が「政治でまず何をしますか」と先生である孔子に尋ねた。孔子が答えていうことには、「必ずや名を正さんか」と。名、つまり、言葉を正確に使う、概念を厳密に使う、ということができなければコミュニケーションが成り立たない。コミュニケーションが成り立たなければ、政治が成立しない……とドミノ倒し式に話は続いて、最終的に「だから民は手足を置くところがない(=大衆が生活するのが大変になる)」という結論に至る。
面白い洞察だ。
政治に大事なのは、正しく言葉を使うこと。現実の事物と言葉とをちゃんと繋げることであると説いたわけだ。
もう一つ面白いのは、ここに、言葉、つまり概念で取り出された抽象的なイメージの方に僕たちの振る舞いを近づける、というニュアンスが含まれているであろう点だ。
例えば、あなたが王様であるなら、あなたは王様らしく振る舞うべき、とも言っている。「君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父は父らしく、子は子らしくあれ」だ。
孔子にとってみれば、世が乱世になったのは、「らしく」をみんなが守らなくなったからというわけだ。各人がその役割を正しく演じれば社会は秩序を取り戻す。逆に言えば、社会の乱れは全員が役を外れたことから始まる。ハムレットがハムレットを演じ、オフィーリアがオフィーリアを演じれば芝居は成立するが、ハムレットが突然道化師のように振る舞い始めたら舞台は崩壊する。孔子が見ていた春秋時代の社会は、全員が台本を無視して即興を始めた舞台のような状態だった。
では、孔子はみんなが参照すべき台本をどこに求めたのだろうか?
「周」の礼儀作法だ。
孔子は、「昔の優れた王たちがそうしていたから」という歴史的先例を根拠とした。
孔子の発想は、超越的な神を根拠とした一神教や事実の観察と論理的な推論を根拠とした近代的精神とも異なる。
「万事うまくいっていた時代」のやり方を歴史の中から掘り起こしてきたのだ。理屈としてはかなりあやういところがあると思うのだが、孔子はその脆弱さをあまり気にしていなかった。機能した実績があるならそれで十分だ、というごく現実的な立場をとった。
論語の「郷党篇」という章を読むと、孔子の礼へのこだわりがいかほどのものかがよくわかる。孔子の日常の所作がびっしりと記録されているのだが、食事に関する記述が異常に細かい。ご飯は精白されていないと食べない、肉の切り方が悪いと食べない、旬でないものは食べない、市場で買った酒と干し肉は食べない、色の変わったものは食べない、臭いの変わったものは食べない……。
マナー講師や美食家もひっくり返る注文の付け方である。
だが孔子はなにも自分の快楽のためにこれをしていたわけではない。全て礼の実践としてやっているわけだ。
何をどのように食べるかという日常の細部まで礼の体系に組み込まれている。毎日の所作の全てを礼に従って行うことで人間は礼を身体化できる。頭で理解するだけでなく体に叩き込む。
つまり論語とは、めちゃくちゃになってしまった劇場で、演劇を立て直すために書かれた「台本」であり、演技の細部まで含む「演出の手引き」だとも読める。
「台本」理解へのこだわり
だが孔子は「台本」と演技そのものを手放しに肯定しているかというと、そう単純でもない。むしろここに、孔子の思想の最も面白いポイントがある。
例えば、孔子が「郷原(きょうげん)」なる人物についてコメントした箇所がある。郷原は、彼が住んでいた村の誰からも好かれ、人格者として評判の高い人物だった。異論を唱えず、角を立てず、誰に対しても愛想よく振る舞う。一見すると理想の人物に見える。
ところが孔子は言う。「郷原徳之賊也(きょうげんとくのぞくなり)」。つまり、郷原は徳を食い物にする泥棒だと断じたのだ。
孔子の論理はこうだ。郷原は「徳のある人物」を演じているだけで、内実が空っぽだ。村人全員に好かれるということは、自分の信念のために誰かと対立することを徹底的に避けているということでもある。本当に徳のある人物はときに嫌われることを恐れずに正しいことを主張する。そうした軋轢を全て回避しながら「徳の人」の外形だけを纏っている。これは詐欺だ、と孔子は主張した。
孔子は「演じること」を肯定する。しかし「演じるだけであること」を強く否定する。「台本」が何のために書かれているかをよく理解し、その真髄を体現するために内実を伴った演技をせよ、という。
いかにも厳しい。
2500年前の孔子の要求水準は、現代のメソッド演技の指導者も真っ青なほど高い。喪に服すときの所作についても「悲しんでいるように振る舞え」ではなく「本当に悲しめ」という意味合いで語っている。これを言葉にすると簡単に聞こえるが、「本当に悲しめ」と言われても、悲しみは命令されて生まれるものではない。内実を伴った演技を要求すること自体が、ある種のパラドックスを含んでいる。孔子の理想の根っこには、この解消不能な矛盾が埋め込まれていた。
インセンティブなき理想の限界
さて、「みんなが台本通り本気で演技すれば、素晴らしい演劇になる!」と主張した孔子の理想国家はなぜ実現しなかったのだろうか。
孔子を雇って、実際に国政に当たらせた国は一つしかなく、しかもすぐに政変が起きて、孔子は国を追われた。
孔子は弟子をたくさん抱えたまま、多くの時間を浪人として過ごした。
孔子の死後も長いあいだ、孔子の教えを積極的に採用する国は現れなかった。
それもそのはずである。
世は乱世だ。君主たちは乱世を生き抜く具体的な軍事力や経済力を求める。「礼儀」などという、いつになったら結果が出るのかわからないやり方を採用するのは難しい。
また、孔子の方でも就職先選びに厳しい選球眼があったようだ。
彼の諸国遍歴の記録によれば、衛という国の霊公という君主に謁見したとき、孔子の話を聞いた霊公は「軍の陣立てについてはよく知っているが、礼儀のことはわからない」と返事をした。そして、翌日には空を飛ぶ雁に気をとられながら孔子の話を聞いていたという。孔子は採用されるのを諦めて衛を去った。礼儀を重んじない霊公を見限ったのだ。
また、別の国、南方にある楚では王が孔子を迎えようとしたが、家臣たちに「孔子のような人物が政治に加わったら、我々は不利になる」と反対され、採用が潰された。
孔子は浪々としてなかなか採用されなかった。
諸国を14年間漂流した孔子は、結局故郷の魯に帰った。68歳のことだ。帰国後の孔子は政治の実権を握ることなく、残りの生涯を弟子の教育と古典の整理に費やした。そうこうするうちに、教えを託すべき多くの弟子たちに先立たれた後、73歳で死んだ。ついに、孔子が理想とした「礼が完璧に機能する社会」は孔子の生きている間には一度も実現しなかった。
我々にとって、偉大な人物として「聖人」と呼ばれる人物のキャリアが「信念を曲げられない中高年の転職難民」に見えてしまうのは、なんとも切ないところがある。
君主たちは「この人の話は確かにいいなあ」と思いながらも、採用はできなかった。使い道がわからなかったのだろう。思想的な偉大さと就職活動における成功は、必ずしも連動しない。
もう少し時代が下って、孔子と同じ「社会の秩序回復」という問題に、全く違うアプローチで答えた人物たちがいる。韓非子(前280-233)に代表される「法家」だ。法家の処方はシンプルだった。信賞必罰だ。良いことをしたら賞を与え、悪いことをしたら罰を与える。人間の内面の徳などという曖昧なものに頼らず、行動を直接制御する仕組みを設計する。内発的動機を重視する孔子に対し、法家は外発的動機を重視した。
この二つの思想の運命はツイストしていて、面白い。
たくさんの小国が争っていた春秋時代から、7つの大国が争う戦国時代を経て、ついに天下を統一した秦が採用したのは、法家だった。孔子の死後わずか約200年後のことだ。
だが、皮肉なことに信賞必罰が行きすぎた秦は内乱によって、短期間に滅ぶ。
次いで天下を統一した漢という国は、孔子の思想、すなわち儒学を統治の基本理念とした。
戦乱を戦い抜く思想として、脆弱だった「礼」の思想は、安定した政権において統治に貢献することとなった。
魂なき「台本」の空虚さ
12世紀に、朱子(1130-1200)という儒学者が登場すると、論語を儒学の基本的なテキストである「四書」の一つとして体系化した。そして、四書が、官僚を登用する試験である科挙の科目として採用されたことで、以降約700年にわたって東アジアの知識人全員が論語を読むことになった。朝鮮半島でも、ベトナムでも、日本でも、知識人は孔子の言葉を暗記した。孔子が生きている間に、ほとんど誰にも刺さらなかった思想が東アジア全域に共通する思想となっている。
だが、普及したのは「台本」だった。
科挙で問われたのは論語の内容を暗記して正確に引用できるかどうかだ。礼を、内実を伴って実践できる人間かどうかではない。孔子が最も嫌った「形式だけの習得」が、孔子の思想を広めるための主要な手段になった。孔子の思想は2000年にわたって東アジアぜんたいに普及したが、それは孔子が最も忌み嫌った郷原の拡大再生産にすぎなかったかもしれない。なんとも皮肉な話だ。
おそらく、「台本」を作り出し、その「台本」に基づいて演技をする、というのは人間の一般的な能力なのだろう。実は、近しいことをクリフォード・ギアツという人類学者やアーヴィング・ゴッフマンという社会学者が主張している。
となると、ともすると僕たちは「台本」が絶対であり、すべての人間は「台本」に従わないといけない、と考えてしまうかもしれない。
ここで、忘れてはいけないのはやはり孔子に「徳之賊」となじられたあの郷原のことだろう。
孔子は、機能する「台本」の大切さを解きながら、ちゃんと同時に 「徳」の精神、真髄のようなものがあるとも考えていた。孔子が従わなければいけないと考えた「らしさ」は「徳」の一つの表現形に過ぎない。なので、「らしさ」に囚われて、見かけだけの礼儀をただロボットのように繰り返していたのでは、僕たちは形骸化した社会から抜け出せなくなる。
『女らしさの神話』で検討した問題と同じだ。「らしさ」を支配の道具として、「らしさ」から外れる人々を礼儀知らずだとして、攻撃して回るようになってしまったら、本末転倒である。
なので、「台本」があることを理解しつつ、ときに即興劇をやることで、形骸化した礼儀を壊して、内実をともなった礼儀を作り出すことも必要であるように、僕には思われる。孔子も「 誰からも賛同を得られなくとも正しいことをいう」のが大事だと言っていたではないか。「らしさ」の方がおかしなことになっていれば、公然と抵抗するすることだって立派な「徳」であろう。
僕たちの社会はもはや「周」の時代ではない。まして、明治時代でも、昭和でも、平成ですらない。先の時代に決まってしまった「台本」を、ときには書き換える変えることも必要なのではないだろうか。スーツの時代からオフィスカジュアルの時代に変わりつつあるように。
だから、思うのだ。いいだろ、ワイシャツの下に黒い下着をつけたって。
編集◉佐藤喬
イラスト◉SUPER POP
室越龍之介(むろこし・りゅうのすけ)
1986年大分県生まれ。人類学者のなりそこね。調査地はキューバ。人文学ゼミ「le Tonneau」主宰。法人向けに人類学的調査や研修を提供。Podcast番組「どうせ死ぬ三人」「のらじお」配信中。
連載一覧
- 第1回 僕がプレゼントした花束が潜在的なゴミだった理由と『贈与論』
- 第2回 キューバの思い出とオリエンタリズム
- 第3回 本当は正しいマッチングアプリの使い方と『価値があるとはどのようなことか?』
- 第4回 ハイカルチャーインテリとディスタンクシオン
- 第5回 選挙をめぐるあれこれと『近代人の自由と古代人の自由』
- 第6回 凶のおみくじと『自省録』
- 第7回 AIに生成された僕と『ソクラテスの弁明』
- 第8回 「人間」であることと『女らしさの神話』
- 第9回 『ヨブ記』とその昔赤ちゃんだった人々
- 第10回 失敗した焼き芋屋の屋台と『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
- 第11回 結論ファーストと『野生の思考』
- 第12回 労働のツラさと『人間の条件』
- 第13回 TPOと『論語』