本屋はいつでも僕を笑顔にする!
「本屋大賞」の立ち上げに関わり、実際に下北沢で「本屋B&B」を
開業した嶋浩一郎による体験的「本屋」幸福論。
【第5回】本屋の後はカレーかサンドイッチか それが問題だ!
本屋をぶらぶらしていて自分に向けてフラグが立った本に出会い、そして無事に購入できた時の喜びは他に例えようもありません。君と出会うために今日という日があったというくらい。誰かと一緒に本屋に行ったとしたら、会計を終えた戦利品を今すぐにでも見せびらかせたいし、一人だったとしてもこの素晴らしい出会いを速攻で反芻(はんすう)したいと思いますよね。
そんなわけで本屋好きは必ず本屋の近くに戦利品を愛でる場所として馴染みの店を確保しているわけです。ここで問題になるのが、本を読みながら何を食べるのかということ。もちろん、普通に喫茶店に入ってコーヒーやビールを頼んで紙袋からゴソゴソと本をとりだし、一人ページをめくる至福の時を過ごす、あるいは別にどっちが偉いわけでもないのに、自分はこんな本を買った、どうだ!と同行者と本を見せ合えばいいわけです。しかし、例えば神保町で数軒の本屋を回るのは一仕事。それは、神保町の本屋巡りはビルの一階から上層階を行き来し、すずらん通りと靖国通りを移動する登山のようなもの。半日、本屋を巡れば腹も減るわけです。
そして、そこで何を食べるかは意見が分かれるところです。そう、カレー派とサンドイッチ派の戦いは脈々と続いているんです。ともに、片手で手軽に食べられるという特徴を備えているだけあって、文庫本片手にカレーをスプーンでほおばったり、ページをめくりながらサンドイッチをつまむシーンは絵になります。うん、ともに幸せそうだ。
そんなわけで、本の町神保町には片手で食べれるカレー店やサンドイッチを出す喫茶店が多いのです。きっと、違う理由もあるんでしょうが、本屋好きからすると、本屋に行ったあと無意識にカレー店や喫茶店を求めてしまうわけで、この理由が正しいとここでは断言してしまいましょう。
新刊書を持って〈ボンディ〉へ
カレーといえは、最近、神田本店の建て直しのために小川町に仮店舗を開いている三省堂書店が神保町のカレー店の名物メニューをアップで写したブックカバーを配布しました。古書センタービルにある〈ボンディ〉のビーフカレーや、駿河台下の〈エチオピア〉のエビ野菜カレーなどの写真がブックカバーにデザインされているんです。この、ブックカバーを制作したクリエイターが後輩なので話を聞いてみると、神保町のカレー屋さんはこのブックカバーの撮影に協力的だったそうで、実際お店でも読書歓迎なんだそうです。さすが、本屋の町のカレー屋です。
僕が1993年に入社した広告会社博報堂は90年代の後半まで神保町にありました。そんなわけで、三省堂書店のブックカバーに登場した〈ボンディ〉にも当時から、そして会社が他の街に引っ越したあともよく訪れています。もちろん、本屋を訪ねたあとに。会社が近くにあった頃はお昼に三省堂書店や東京堂の平積みコーナーで見つけた新刊書を持ち込んで、さっそくページめくりながらカレーを食べたものでした。近くにある小学館や集英社の漫画編集者が漫画家と隣のテーブルで雑談をしていたりしましたね。欧風カレーが売り物で、バターとトマトの風味が特徴でした。じゃがいもとバターがサイドメニューに添えられていたのもちょっとした贅沢な感じで、黒胡椒をかけてかじりついたことをよく覚えています。読書の時間がよりリッチになる感じがしましたね。
〈さぼうる〉で食べるツナのトーストサンド
一方、神保町のサンドイッチなら〈さぼうる〉です。神保町といえば必ず名前があがる昔からある喫茶店。多くのお客さんがいて、お店の人も注文をとったり、飲み物をサーブするのにいそがしく行き来しているのですが、不思議なことに席に着くと、そこは自分の世界に没頭できる空間で、喫茶店として理想的でした。喧騒の中の静寂といえばいいのでしょうか、これがいたって読書向き!
ナポリタンが有名なのですが、ぼくはツナのトーストサンド一択でしたね。トーストしたパンがツナの油によく合うんです。そして、ビールにも。サンドイッチはサンドイッチ伯爵がポーカーをしながら食べるために作らせたって言われていますが、実際のサンドイッチ伯爵について調べてみると、遊び人というよりはバリバリの仕事人。クックらをハワイやニュージーランド探検に派遣したイギリスの海軍大臣で、もっぱらハードなデスクワークの間に食べるものとしてサンドイッチを好んだというのが史実のようです。
そう、サンドイッチは本や書類を読みながら食べるために作られた由緒正しい出自を持つメニューなわけです。ちなみに、サンドイッチ伯爵の御子孫、アメリカでサンドイッチ専門のチェーン店を開業されているとか。夕方あたりに二、三冊本を抱えて〈さぼうる〉に入ると、明るいうちからすでにウイスキーの水割りを飲んでる人もちらほらいたりして、酒をちびちびやりながら本を読むことも教えてくれた店でもありました。
あの作家はどっち派なのかを考える
〈ボンディ〉も〈さぼうる〉も本を愛でに行く場所として最高なのですが、カレーなのか、サンドイッチなのかいったいどっちがいいのかという論争についていうと、僕は買った本をイメージでカレー派かサンドイッチ派に分けてその気分で本屋の後に行く店を決めています。たとえば夏目漱石はロンドンにいたからきっとカレーを食べていただろうということでカレー派。永井荷風とか太宰治とか洋食屋さんが好きそうな人たちもざっくりカレー派。片岡義男さんはカレーに関するエッセイも書いてるわけですから無条件にカレー派です。
いっぽう、サンドイッチ派の代表といえば、もちろん村上春樹ですね。谷崎潤一郎もどっちかといえばサンドイッチイメージです。平松洋子さんや松浦弥太郎さんも当然サンドイッチ派です。なんとなく、クラシックなイメージやワイルドなイメージの作家がカレー。ポップなイメージの作家がサンドイッチなんでしょうかねえ。伊丹十三はパスタのアルデンテを広めたことで知られていますが、カレー派かサンドイッチ派か悩むところです。
作家・吉田健一が生み出したオリジナルメニュー
最後に、本好きのために神保町のとっておきメニューを紹介しておきます。〈ボンディ〉〈さぼうる〉とともに、本好きが集まる店として知られる神保町交差点近くのビアホール〈ランチョン〉。この店も編集者が作家と昼からビールを飲みながら打ち合わせをしていましたね。新入社員時代の自分は、同じ店で本を読んでいただけですが、キラキラした出版業界にちょっと近づけた気分になったものでした。
この店にはビーフパイってメニューがあるんです。これは作家・吉田健一(吉田茂の息子ですね)がお店に頼んで誕生したメニュー。彼は店から歩いてすぐの中央大学の先生をやっていたのでかなりの常連だったそうで、お店に頼んだのが、読書や打ち合わせの邪魔にならないように、片手で食べられるメニュー。それがビーフパイ。ちょっと、素敵な本を買った日にはぜひ、こちらもお試しを。ちなみに、吉田健一がこのビーフパイと一緒に飲んだのが、紅茶にウイスキーを入れた「ウイスキー・リプトン」。さすが、外交官のお父様とともにイギリスに住んでいただけありますね。
嶋 浩一郎
クリエイティブ・ディレクター。編集者。書店経営者。1968年生まれ。1993年博報堂入社。2001年、朝日新聞社に出向し若者向け新聞「SEVEN」の編集ディレクターを務める。2004年、本屋大賞の立ち上げに参画。現本屋大賞実行委員会理事。2012年にブックディレクター内沼晋太郎と東京下北沢にビールが飲める書店「本屋B&B」を開業。著書に『欲望する「ことば」「社会記号」とマーケティング』(松井剛と共著)、『アイデアはあさっての方向からやってくる』など。ラジオNIKKEIで音楽家渋谷慶一郎と「ラジオ第二外国語 今すぐには役には立たない知識」を放送中。
連載一覧
- 第1回 本を「地産地消」で楽しむ
- 第2回 書店における魔の空間
- 第3回 待ち合わせは本屋さんで
- 第4回 絶滅危惧種、24時間営業書店を応援したい!
- 第5回 本屋の後はカレーかサンドイッチか それが問題だ!
- 第6回 あの書店のあのフェアがすごかった!
- 第7回 完全に振り切れた大阪の本屋、 波屋書房のすごさとは?
- 第8回 地野菜と外国文学の未知との遭遇
- 第9回 無人店舗で本を買う
- 第10回 「この本、読み忘れていませんか?」痒いところに手が届く盛岡の本屋さん
- 第11回 出張帰りにゴルゴに感情移入を
- 第12回 本は見るもの触るもの
- 第13回 座って本を売ってもいいですか?
- 第14回 本を読みながら飲む最高のビールに出会ってしまった話