血統書がなくても、ブランド犬種ではなくても、こんなにも魅力的で、愛あふれる犬たちがいます。
み~んな、花まる。佐竹茉莉子さんが出会った、犬と人の物語。
保護犬たちの物語【第11話】小春(8か月)
小春が木村家にやってきて2か月が過ぎた。
彼女はおととい避妊手術を済ませたばかり。ピンクの術後服を着ているのが、サマードレスのように似合っている。
ツヤツヤと黒光りする小春の目は、大好きなかをり母さんの姿を追っている。今日は知らない人がいきなりやってきて、カメラを向けるけれど、母さんがいるから怖くない。ここは、小春のおうちで、もう小春はビビリの「噛み犬」なんかじゃない。
小春は、元野犬の子である。栃木県那須市の山中で捕獲されたときは、まだ生後2か月ほどだった。母犬やきょうだいの姿は近くになかった。母犬とはぐれたのか、それとも母犬はすでに捕獲されていて、子犬はひとりぽっちで山中をさまよい、空腹のあまり捕獲器のごはんの匂いにつられたのだろうか。
もっと幼ければ、まだ人間への恐怖はなかっただろうが、2か月の子犬は唸り噛みつくことしか自衛の方法を知らなかった。収容先の愛護センターで、彼女は取扱注意の「噛み犬」扱いとなった。
捕獲収容から3週間後の昨年12月23日に、その子を迎えに行ってセンターから引き出したのは、千葉県市川市の自宅を野犬の子たちのシェルターとし、譲渡に繋げている加藤紗由里さんである(第2話で紹介)。シェルター内には保護した猫も何匹かいて、野犬の子たちと仲良く暮らしている。
建物の外まで響く声で鳴き、暴れて噛みつこうとする小春を職員さんふたりがかりで何とかクレートに入れて、栃木から千葉へ。
新入りが到着するや、シェルター内の子犬たちが興味津々で集まってきた。彼らも牧場などで保護された野犬の子たちである。固まっている新入りの匂いを嗅ぎ、屈託なく「遊ぼうぜ」と誘う。思わず小春はクレートから出て、じゃれ合い始めた。
こうして、小春は、大勢の犬も猫もいる共同生活にたちまちなじんだが、人間は別だった。
「人間のことはいっさい信用せず、絶えず一定の距離をとって避けていました。近づくと、耳を反らし、尻尾を股の間にしまい、『怖いよ、それ以上近づかないで!』と必死の顔つきになるのです」と、紗由里さんは当時を振り返る。
小春は犬や猫たちとの共同生活にはすっかり溶け込む一方、人間への警戒心は解かない。紗由里さんがシャンプーや爪切りをしようとすると、即座に噛みついた。
「小さいのにがんばったね。怖かったよね。もう大丈夫だからね」と話しかけて、噛まれるままに対応していたら、少しずつ噛み方は弱まっていった。
「犬にとっての自己表現のひとつは口なんです。怖いよという気持ちも、大好きという気持ちも、噛むことで表します。噛まれるたび、精いっぱい意思表現をしてくれているのだと、愛おしくてなりませんでした」
ごはんどきも、人の手からもらうのを怖がる小春のために、他の子たちにとられないよう、すぐそばに置いてやった。そのうち、おやつは手から「かっさらう」ようにして食べるようになる。
「小春にじっと見つめられると、この子には、べったり甘えさせてくれて猫のいる家庭がぴったりと思えました。猫とも仲良くできる子だったからです」
他の子に混じってでなければ近づいてこない小春が、仲間と一緒にジャンプして「遊ぼう」と誘いにきたのは、預かり3週目のこと。そのあと、紗由里さんの手を噛んできたが、甘えるときの「甘噛み」だった。どんなにうれしかったことか。
そして、預かりひと月を迎えようとする日には、こんなことも。「撫でてもいいよ」とばかり、目の前でおなかを見せてくれたのだ。
いよいよ、散歩大作戦の開始だ。初日は、一歩も動けず、その場でおしっこやウンチを漏らした。日々、一歩また一歩と歩き出したのは、冬の澄んだ空気や陽光の心地よさ、風や草の匂いに誘われたようだった。だが、人や自転車、車を見ると、ガチガチに固まってしまう。聞きなれない物音に対してもそうだった。
「会ってみたい」という問い合わせが入ったのは、そんな頃だった。先代の犬を亡くしてしばらくたった木村家で、お母さんのかをりさんが、ネット上で見た1匹の子犬の写真に「この子!」と、運命を感じたのだ。
「家族全員でお見合いをしてもらいたい」という紗由里さんに、木村家のみんながやってきた。かをりさん夫婦、社会人の長女、大学生の長男の4人である。触れなかったものの、かをりさんはじめ、みんなが小春をひと目で好きになった。
お届けは、1月最後の日だった。木村家には、保護猫兄弟の福と楽がいた。グレーの福は、やってきた小春を見るなり興味津々で、まるで怖がることなく匂いを嗅ぎにきた。キジ白の楽の方は遠くから眺めている。
小春のために、黒いソファーの上にあたたかな毛布が用意されていた。そこで寝そべった彼女に、福は寄り添い、「よく来たね」とねぎらうように頭の後ろをやさしく舐めてやった。
シェルター時代の小春には仮の名があったが、「小春」という名前を選んだのも、福だ。家族で決めきれずに、「小春」「小麦」「小梅」という3つの候補を書いて丸めた紙を放り、福に選ばせたが、3回とも「小春」に飛びついたのである。
小春は、何日もソファーの上から下りなかったが、そのそばには、いつも福がいた。トイレは、人がいないときにこっそりソファーから下りてシートにしていた。
そのうち、ソファーから下りて、室内を恐る恐る歩き始める。キッチンの入り口や隣室に行くまでには何週間も要した。
「こっちからは、何ひとつアクションを起こしていません。ひたすら小春の「今日はこれをしてみよう」という気持ちを大事にしました。小春が、自分で頑張って、ひとつひとつ新しいことにチャレンジし、怖さをクリアしていったんです」と、かをりさん。
毎日、写真や動画を紗由里さんに送って、アドバイスをもらったり、小さな進歩を共に喜んだ。
散歩は、はじめは、家の前を行ったり来たり。数軒先の通りには出られなかった。保護犬であることを伝えているご近所さんは、路上でパニックを起こしている小春に、優しく声をかけてくれた。「よくがんばったね」「わあ、この前と顔つきが全然違うね。いいお顔になったよ」「覚えてくれてるかな」などと。こうして、小春の散歩範囲も広がっていく中、いろいろな人や犬との出会いも増え、あたたかい声かけや視線がかをりさんにはうれしかった。
「今のところ、散歩も私とだけだし、おなかを見せてくれるのも私にだけ。他の家族と仲良くなるのは、小春のゆっくりペースに任せてます。我が家に慣れてくれるのは、もしかしたら年単位かもと覚悟していたのですが、こんなに早いのは、福が初日から丸ごと小春を受け入れて寄り添ってくれたおかげです」
木村家には、この春、悲しい出来事もあった。かをりさんの実家のお父さんが急逝、その翌日、まるで天国まで付き添うかのように、福の兄弟である楽も旅立っていったのだ。生きてこその命の愛おしさを、よりいっそうかをりさんはかみしめている。
母犬やきょうだいとはぐれて、たった2か月の子が山中をどんな思いで生き抜いていたのか。野犬のままなら、その生涯はとても短かっただろう。小春にしてみればわけもわからず捕獲され、移動させられ、その恐怖と闘い続けた後につかんだ、日々の安寧とわが家族だ。
「これから、楽しいことをひとつひとつ見つけていってほしい」と、木村家では願っている。つらい思いをした分、きっと、半年後にはとんでもない甘えん坊になっていそうな小春ちゃんだ。
保護された子たちと家族との出会いは、出会うべくして出会う『必然』と、紗由里さんは譲渡のたびに感じることが多い。小春の場合は、かをりさんが不思議な引力で写真に吸い寄せられ、福は小春が来るのを前から知っていて待ち構えていたかのようだった。そうした幸せな場面に立ち会うのが、紗由里さんのいちばんの喜び。人のそばで慈しまれて暮らす元野犬たちの笑顔に、疲れも苦労も吹き飛んでいく。
佐竹茉莉子
フリーランスのライター。路地や漁村歩きが好き。おもに町々で出会った猫たちと寄り添う人たちとの物語を文と写真で発信している。写真は自己流。保護猫の取材を通して出会った保護犬たちも多い。著書に『猫は奇跡』『猫との約束』『寄りそう猫』『里山の子、さっちゃん』(すべて辰巳出版)など。朝日新聞WEBサイトsippo「猫のいる風景」、フェリシモ猫部「道ばた猫日記」の連載のほか、猫専門誌『猫びより』(辰巳出版)などで執筆多数。
Instagram連載一覧
- 第1話 殺処分寸前で救い出された生後3ヶ月の子犬…今はまるで「大きな猫」|ハチ(9歳)
- 第2話 トイレはすぐに覚えて無駄吠えや争いもなし。「野犬の子たち」が愛情を注がれて巣立っていくまで|野犬5きょうだい
- 第3話 トラばさみの罠にかかって前脚先を切断 今は飼い主さんの愛に満たされ義足で大地を駆ける!|富士子
- 第4話 子犬や子猫たちに愛情をふり注ぎ、いつもうれしそうに笑っていた犬の穏やかな老境|ハッピー(19歳)
- 第5話 野犬の巣穴から保護されるも脳障がいで歩行困難 でもいつでも両脇にパパとママの笑顔があるから、しあわせいっぱい!|みるちゃん(今日で1歳)
- 第6話 自宅全焼でヤケド後も外にぽつんと繋がれっぱなしだった犬 新しい家族と出会い笑顔でお散歩の日々|くま(8歳)
- 第7話 飼い主を亡くし保健所で2年を過ごしたホワイトシェパード 殺処分寸前に引き出され自由な山奥暮らし|才蔵(8歳)
- 第8話 「置いていったら、死ぬ子です」福島第一原発警戒区域でボランティアの車に必死ですがった犬|ふく(19歳7ヶ月で大往生)
- 第9話 「歯茎とペロ」の応酬で烈しくじゃれ合う元野犬の寺犬たちが「仏性」を開くまで|こてつとなむ
- 第10話 生後間もなく段ボール箱で道の駅に捨てられていた兄弟 仲良く年をとってカフェの「箱入り息子」として愛される日々|まる・ひろ(13歳)
- 第11話 人間が怖くてたまらない「噛み犬」だったセンター収容の野犬の子 譲渡先で猫にも大歓迎され一歩一歩「怖いこと」を克服 |小春(8か月)
- 第12話 愛犬を亡くして息子たちは部屋にこもった 家の中を再び明るくしてくれたのは、前の犬と誕生日が同じ全盲の子|ゆめ(もうすぐ2歳)
- 第13話 「怖くてたまらなかったけど、人間ってやさしいのかな」 山中で保護された野犬の子、会社看板犬として楽しく修業中|ゆめ(3歳)
- 第14話 戸外に繋がれたまま放棄された老ピットブル 面倒を見続けた近所の母娘のもとに引き取られ、「可愛い」「大好き」の言葉を浴びて甘える日々|ラッキー(推定14歳)
- 第15話 土手の捨て犬は自分で幸せのシッポをつかんだ「散歩とお母さんの笑顔とおやつ」…これさえあればボクはご機嫌|龍(ロン・12歳)
- 第16話 動物愛護センターから引き出され、早朝のラジオ体操でみんなを癒やす地域のアイドルに|カンナ(10歳)
- 第17話「もう山に返したい」とまで飼い主を悩ませたやらかし放題の犬 弟もできて家族の笑顔の真ん中に|ジャック(3歳)
- 第18話 飼い主は戻ってこなかった…湖岸に遺棄され「拾得物」扱いになった犬が笑顔を取り戻すまで|福(推定2歳)