血統書がなくても、ブランド犬種ではなくても、こんなにも魅力的で、愛あふれる犬たちがいます。
み~んな、花まる。佐竹茉莉子さんが出会った、犬と人の物語。
保護犬たちの物語【第14話】ラッキー(推定14歳)
ウオーン、ウオォーン!
きのうもきょうも、どこからか聞こえてくる哀しげな犬の鳴き声。
「どこかのお宅で飼い始めた犬が、まだ慣れないから鳴いているのだわ」
洋子さん・梓さん母子はそう思っていた。昨年の夏の初めのことだ。だが、何日もその声は続き、哀切の響きを増してくる。気になっていると、近所の人からこんな話を聞いた。「向こうの路地のアパートで、犬が置き去りにされているんだって」
洋子さんは、近所の方たちと協力し合って、地域猫のお世話を長年続けている。自宅には、保護した猫が6匹いる。遺棄された犬がいると聞いては放っておけなかった。
そのアパートの前まで行ってみると、ドアの外には家財道具が積み上げられている。繋がれっぱなしの強面の犬がいて、さかんに吠えた。そばには古ぼけた木の犬小屋がある。
ピットブル(アメリカン・ピット・ブル・テリア)種の血が入っていることはすぐにわかった。闘犬用にブルドッグとテリアの交配から作られ、「食いついたら離さない」と言われる犬種である。
眉間にしわを寄せて吠え続ける大きな犬に、とても近寄ることなどできなかった。
右前脚が湾曲していて、爪もひどい巻爪である。体毛もかなり禿げている。散歩や手入れをしてもらう習慣があったとはとうてい思えない。
近所の方たちに聞けば、飼い主のおじいちゃんが亡くなった後、隣の部屋に住む息子さん一家にときたまごはんをもらっていたようだった。だが、その一家も家賃を滞納したまま所在不明となったため、近所の方たちは「ラッキー」と呼ばれていたこの犬のことをとても気にかけていた。子犬のときから外飼いで、もう13~15歳の老犬らしい。
洋子さんは、群馬県内で犬の保護活動をしているボランティアグループ「DOG ReLIFE GUNMA」に相談をした。
だが、代表の新井さんも、飼い主死亡で家族と連絡の取れないピットブルでは、なすすべもなかった。飼い犬を所有権のある人の許可なしに連れ出すことは、日本の法律では「窃盗」扱いとなる。連れ出せたとしても、安易に他の預かり犬と一緒にできる犬種ではなかった。
洋子さんと新井さんは話し合って、大家さんの了解を得、当面はこのままの状態でお世話をしていくことにした。
洋子さん・梓さん母娘は、ラッキーのごはんをあげるために朝晩通い始めた。砂利に垂れ流しの糞尿の始末もした。
「そりゃあ怖かったですよ。だってピットブルですもの」と、梓さん。「目を合わさないように、こわごわお皿を差し出していました」と、洋子さん。
だが、ラッキーは吠えかかるが、シッポをバタバタ振っているではないか。
「そうか、威嚇ではなく、おじいちゃんのいなくなったこのおうちを守るために吠えているのだと、いじらしくなりました」と、洋子さん。
通ううちに、ラッキーは「怖い犬ではない」とわかってきた。怖いどころか、さびしがりの甘えん坊のようである。
触れるようになった梓さんがそばに座り込むと、ラッキーは甘えてくる。眉間のしわは消え、目はつぶらになり、どんどん顔つきが変わってきた。
夏の間は近所の方も暑さを気にかけ、ラッキーにスープを運んでくれたりもした。
水をかけて、体を拭いてやると、喜んで子犬のように転がった。そうやって、夏をしのぎ、今度は戸外の寒さが気にかかる季節へ。
散歩にも連れ出せるようになった。湾曲した右足をかばうために左足の肉球が床ずれのように大きく腫れていて、爪も伸び切って巻いているため、かしぎながらバランスをとって歩くのが、痛々しかった。毛が抜けたアルマジロのような尻尾をパタパタ振るたびに、尻尾から血がにじんだ。
のちに獣医さんに行ってわかったことは、成犬になってから右前脚を骨折したが治療はされないまま変形した、とのことだった。骨折に肉球の腫れに巻き爪。どれほどの痛みを我慢して生きてきたのだろうか。
冬には、犬小屋に毛布を重ねて敷いてやった。洋子さんや梓さんの友人知人たちがラッキーを気にかけて新しい毛布をたくさん寄付してくれた。
ごはんをあげてしばし遊んでやっても、別れがつらく、泣きながら家に帰ってまた様子を見に行くこともたびたびだった。
年が明けた2月終わり。事態が動く。息子一家の居場所不明のままの裁判で、犬の所有権がアパートの大家さんに移ったのだ。大家さんは、アパートを取り壊す予定だと言い、「そのときは犬はどうにかしないと」と口にした。ラッキーの居場所を探さなくては。
DOG ReLIFE GUNMAでは、すぐさまラッキーの譲渡先募集をかけた。だが、洋子さんと梓さんは、ラッキーにすっかり情が移っていた。
洋子さん夫妻と梓さんの3人の家族会議が開かれた。そして結論が出た。「ラッキーを迎えよう!」
これまでラッキーとは関わりの少なかった夫は「そうと決まれば今晩連れてきちゃえ」と言い、その日のうちに庭に犬小屋を設置した。家の中は、保護猫が6匹いて、ピットブルと猫たちが共存できるとはとうてい思えなかったからである。
3月初め、ラッキーはやってきた。当面は外飼いのつもりだった。
だが、迎えて数日後、よくよく注意しながら、猫たちと顔合わせをさせてみたところ、たちまち猫たちが集まってくるではないか。スリスリを始める猫までいる始末。猫たちに歓迎されたラッキーは晴れて室内飼いとなった。犬小屋は地域猫のジャックがちゃっかり新しいねぐらとした。ジャックも、ラッキーが庭先でひなたぼっこをしていると寄り添ってくるほど、心を許した。
洋子さんは笑って言う。
「動物たちって、すぐに見抜くんですね。ラッキーは猫たちのことを『このうちで大切にされている存在』と尊重し、猫たちはラッキーのことを『大きいけれどやさしいおじいちゃん』と瞬時に見抜いたみたい」
ラッキーは、未去勢で、登録もされていなかった。ずっと外飼いだったので、フィラリアなどの病気が心配だったが、獣医さんでの検診の結果、すべてクリア。
「脚のことも可哀そうがることはないよ。もう痛みはなくて、この子はこの子なりの歩き方で歩いているから」と獣医さんに言われ、洋子さんたちも胸をなでおろした。
「置きざりにされたストレスから」と獣医さんの言う下半身やシッポの抜け毛は、安心して栄養状態がよくなると生えてきた。体重も4キロ増えた。食い意地は張っているが、猫に自分のおやつを横取りされても気にしない仏顔である。
アパートの前にしゃがみこんでよく遊んでくれた梓さんとは格別ラブラブの関係だ。2階にある寝室から梓さんが下りてくるのを毎朝、階段の下で出待ちする。階段はラッキーの脚では上れないのだ。
散歩は、ときにしゃがみこんで休憩しながら、マイペースでゆっくりと歩く。ラッキーの行きたい方へ向かわせるのだが、やってきて間もない頃、アパートの路地に向かったことがあった。元飼い主の部屋の前に座り込んで、いくら「帰ろう」と言ってもびくとも動かない。ラッキーにとっては、可愛がられた思い出もたくさんあったのだろう。しかたなく、ご近所で犬用乳母車を借りて帰宅したことがあった。
乳母車から顔だけ出してご満悦の様子のラッキーを見て、洋子さんは思った。「もっと歳をとって歩けなくなったら、こうして一緒に散歩しよう」と。
ラッキーにほおずりしながら、洋子さんは言う。
「ラッキーがうちの子になってくれたおかげで、家族間の思いやりも絆も深まりました。外を歩けば『ラッキー、ラッキー』と皆さんに声をかけていただき、地域での気持ちのいいお付き合いが増えました。保護犬保護猫の理解も広まってうれしい。みんなの縁を深めてくれる名犬ラッキーと暮らせる私たちこそ、ラッキーでハッピーです! 人間社会の生きづらさや都合で受難を被る犬猫たちのために、これからも自分のできることは続けていきます」
けしかけられたり敵とみなしたりのイスイッチが入ると、闘争心に火がついてしまうこともある反面、愛情深く賢く忠誠心が高いという気質も併せ持つ、ピットブル種。要は点火させない飼い方次第なのである。
洋子さんたちが、何よりも気をつけていることは、何かのはずみで「噛んでしまう」事故をけっして起こさないことだ。事故を起こせば、ラッキーも不幸になってしまう。だから、どんなにラッキーが優しく穏やかな子であっても、よその人や犬と接するときには、ピットブル種であることを決して忘れず、手綱をしっかり持って気を抜かないという。
そして、日々、愛を伝え続ける。それが、つらい思いをした保護犬を迎えて最後の日まで一緒に紡ぐしあわせであり、家族となった責任でもあるから。
洋子さんも梓さんも、毎日何度も何度もラッキーを抱きしめて、聞こえが悪くなってきた耳もとでこうささやく。
「ラッキー、とっても可愛いよ」
「大好き、大好き。ずっと一緒だよ」
白内障の入った茶色の瞳が、「ボクも大好き」と見返してくる。
佐竹茉莉子
フリーランスのライター。路地や漁村歩きが好き。おもに町々で出会った猫たちと寄り添う人たちとの物語を文と写真で発信している。写真は自己流。保護猫の取材を通して出会った保護犬たちも多い。著書に『猫は奇跡』『猫との約束』『寄りそう猫』『里山の子、さっちゃん』(すべて辰巳出版)など。朝日新聞WEBサイトsippo「猫のいる風景」、フェリシモ猫部「道ばた猫日記」の連載のほか、猫専門誌『猫びより』(辰巳出版)などで執筆多数。
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