血統書がなくても、ブランド犬種ではなくても、こんなにも魅力的で、愛あふれる犬たちがいます。
み~んな、花まる。佐竹茉莉子さんが出会った、犬と人の物語。
保護犬たちの物語【第20話】もち(推定5歳♂)
「犬が来てんだよ。ちっこいのが」
仕事仲間の河田さんから、尚子さんがそんな話を聞いたのは、5年前の寒い季節だった。
尚子さんは、都内の会社勤めから農業に転身し、成田市郊外でのひとり農家で生計を立てている。同じく有機野菜を育てている農家仲間と共同出荷場を持っていて、そこの大先輩である河田さんは、もう野菜作りは卒業して、出荷の点検や運送を担当している。
「えっ、どういうことですか」
尚子さんが聞くと、河田さんは言った。
「捨て犬だろうな。まだ半年にもなってない子犬なんだ。いつの間にか俺んちの庭にいた。『来んな』って棒切れ持って追い払っても追い払っても、出て行かねえんだ」

現れたときは、生後半年くらいでぐんぐん成長
河田さんは奥さんと二人暮らし。犬好きで、可愛がっていた飼い犬を数年前に見送っている。真夏にふらふらで出荷場に迷い込んできた猫チャーリーのことも、誰よりも気にかけている。

共同出荷場「おかげさま農場」の事務所猫チャーリー
事務所には「チャーリー基金」の缶が置いてあって、チャーリーの餌代や風邪をひいたときなどのための治療費に充てているのだが、河田さんはいつもお札をそっと入れてくれている。

河田さんの朝の仕事に立ち合うチャーリー
だから、チャーリーも、出荷作業のときは河田さんの助手よろしく、そばにいる。
無骨で口下手だけれど、そのやさしさは、猫までがよくわかっているのだ。そんな河田さんが、捨て犬を追い払う? 尚子さんは意外だった。
会うたびに犬のことを聞いた。
「行っちゃった」「まだいる」の繰り返しが数日続き、たまりかねて尚子さんは言った。
「まだいるようなら、その犬、私、飼います!」
すると、河田さんは、ちょっと照れたようにいうのだ。
「じつは、飼うことになった。だってよ、追っとばしてもどこも行かねえんだもん。名前は、もち。おもちのようだからって、孫がつけた」
あの日から5年が過ぎた今年の春、尚子さんが用があって河田家に行くと、足音を聞きつけたもちの力強く吠える声があたり一面の田んぼに響き渡った。

庭のど真ん中にドッグランがある
思いきり走り回れるように、大相撲の土俵より大きいくらいの河田さんお手製のドッグランが、前庭の真ん中にデンと作られていた。
もちは、どの訪問者にも吠えたてるそうで、立派に番犬をしていた。「家族以外は絶対に触らせねえんだ」という河田さんは、ちょっぴり嬉しそうだった。

河田さんにどこか甘えきれないもち
犬好きの河田さんが、どうして迷い込んできた犬を棒で追い払っていたのか、その真意を尚子さんは知った。
「だって、俺、もう70だもん。最後まで面倒見てやれねえかもしれない。『お願いだ、うちじゃないとこ行ってくれ。ちゃんと最後まで面倒見てもらえるとこ行け』って、棒を振り上げてた。蹴っ飛ばす真似もした。だけど、こいつはその場から逃げては庭のどこかに居続けてた。どっこも行くとこなかったんだなあ。まだ大人になってなくて、お腹すいてさびしくて、裏庭の茂みで一晩中クーンクーン鳴いてるのを、隣で住む娘一家が聞きつけて、『うちで飼う』って言ったんだ」

はつらつと一家のセキュリティを担当する
「そうはいっても、みな忙しい一家だから、お世話は俺になる。まあ、俺が飼ってるようなもんだな」
尚子さんは、ふと思った。河田さんは、忙しい娘一家に「飼ってくれ」とは言えず、娘さん一家が「飼う」と言い出すのを心のどこかで待っていたんじゃないかな、と。
尚子さんと河田さんが話をしていると、隣接の家の「ムコさん」が勤めから帰ってきた。
すると、もちは、河田さんには見せないデレデレの顔になって大歓迎するではないか。
「そうなんだ。もちは俺よりムコさんが大好きなんだ」
ちょっぴり拗ねたように言う河田さんの目の先には、身をよじらせて甘え放題のもちがいる。
「俺の前では、あんなふうにお腹出したりしない。やっぱり、棒切れで追い払われたこと、いつまでも忘れねえんだな。毎日毎日面倒を見てやってるのは、俺なのにな」

面倒見てくれる人はボクを追っ払ってた人
「もちは、俺のことは信用してねえんだな」
そういう河田さんに「でも、可愛いんでしょ」と尚子さんが言うと、「可愛くねえよ」と河田さんはぶっきらぼうに言うのだった。
そして、つい最近のこと。
尚子さんは、質問の角度を変えて、不意に聞いてみた。「ねえ、河田さん。もちのどんなとこが可愛いですか?」
「ええー、可愛いところ? たまに寄り添ったり、お腹出してゴロンと転がったりするんだよ」
「え、河田さんにですか?」
「うん、俺に。うふふ」
河田さんの無骨さの奥のやさしさが動物に伝わらないはずはない。またもちに会いに行こうと、尚子さんは思う。
佐竹茉莉子
フリーランスのライター。路地や漁村歩きが好き。おもに町々で出会った猫たちと寄り添う人たちとの物語を文と写真で発信している。写真は自己流。保護猫の取材を通して出会った保護犬たちも多い。著書に『猫は奇跡』『猫との約束』『寄りそう猫』『里山の子、さっちゃん』(すべて辰巳出版)など。朝日新聞WEBサイトsippo「猫のいる風景」、フェリシモ猫部「道ばた猫日記」の連載のほか、猫専門誌『猫びより』(辰巳出版)などで執筆多数。
Instagram連載一覧
- 第1話 殺処分寸前で救い出された生後3ヶ月の子犬…今はまるで「大きな猫」|ハチ(9歳)
- 第2話 トイレはすぐに覚えて無駄吠えや争いもなし。「野犬の子たち」が愛情を注がれて巣立っていくまで|野犬5きょうだい
- 第3話 トラばさみの罠にかかって前脚先を切断 今は飼い主さんの愛に満たされ義足で大地を駆ける!|富士子
- 第4話 子犬や子猫たちに愛情をふり注ぎ、いつもうれしそうに笑っていた犬の穏やかな老境|ハッピー(19歳)
- 第5話 野犬の巣穴から保護されるも脳障がいで歩行困難 でもいつでも両脇にパパとママの笑顔があるから、しあわせいっぱい!|みるちゃん(今日で1歳)
- 第6話 自宅全焼でヤケド後も外にぽつんと繋がれっぱなしだった犬 新しい家族と出会い笑顔でお散歩の日々|くま(8歳)
- 第7話 飼い主を亡くし保健所で2年を過ごしたホワイトシェパード 殺処分寸前に引き出され自由な山奥暮らし|才蔵(8歳)
- 第8話 「置いていったら、死ぬ子です」福島第一原発警戒区域でボランティアの車に必死ですがった犬|ふく(19歳7ヶ月で大往生)
- 第9話 「歯茎とペロ」の応酬で烈しくじゃれ合う元野犬の寺犬たちが「仏性」を開くまで|こてつとなむ
- 第10話 生後間もなく段ボール箱で道の駅に捨てられていた兄弟 仲良く年をとってカフェの「箱入り息子」として愛される日々|まる・ひろ(13歳)
- 第11話 人間が怖くてたまらない「噛み犬」だったセンター収容の野犬の子 譲渡先で猫にも大歓迎され一歩一歩「怖いこと」を克服 |小春(8か月)
- 第12話 愛犬を亡くして息子たちは部屋にこもった 家の中を再び明るくしてくれたのは、前の犬と誕生日が同じ全盲の子|ゆめ(もうすぐ2歳)
- 第13話 「怖くてたまらなかったけど、人間ってやさしいのかな」 山中で保護された野犬の子、会社看板犬として楽しく修業中|ゆめ(3歳)
- 第14話 戸外に繋がれたまま放棄された老ピットブル 面倒を見続けた近所の母娘のもとに引き取られ、「可愛い」「大好き」の言葉を浴びて甘える日々|ラッキー(推定14歳)
- 第15話 土手の捨て犬は自分で幸せのシッポをつかんだ「散歩とお母さんの笑顔とおやつ」…これさえあればボクはご機嫌|龍(ロン・12歳)
- 第16話 動物愛護センターから引き出され、早朝のラジオ体操でみんなを癒やす地域のアイドルに|カンナ(10歳)
- 第17話「もう山に返したい」とまで飼い主を悩ませたやらかし放題の犬 弟もできて家族の笑顔の真ん中に|ジャック(3歳)
- 第18話 飼い主は戻ってこなかった…湖岸に遺棄され「拾得物」扱いになった犬が笑顔を取り戻すまで|福(推定2歳)
- 第19話 飼い主を亡くした認知症の犬が里山暮らしの犬猫たちの仲間入り「いっしょにゆっくり歳をとろうね」|あい(推定16歳)