血統書がなくても、ブランド犬種ではなくても、こんなにも魅力的で、愛あふれる犬たちがいます。
み~んな、花まる。佐竹茉莉子さんが出会った、犬と人の物語。
保護犬たちの物語【第13話】ゆめ(3歳)
3年前の春。栃木県の動物愛護センター収容犬のHPを見ていた孝子さんは、1枚の写真の子犬の目に、心をえぐられた。

おびえきった悲痛なまなざし(孝子さん提供)
それは、栃木県の那須塩原山中で捕獲されてきたばかりの野犬の女の子で、推定3~4か月とあった。捕獲時は母犬やきょうだいと一緒ではなく、単独だったらしい。
その目は必死に訴えているようだった。
「助けて。殺さないで」
人間が怖くて、譲渡会には出られない子だった。当時の収容期限である7日目はすぐだ。
当時は、笑吉(しょうきち)という犬と暮らしていた。

元気だった頃の笑吉(孝子さん提供)
笑吉が14歳となり、少し元気がなくなってきたので、これからを少しでも楽しく元気にしてあげたいと、もう1匹保護犬を迎えようと考えていた。ストレスになるかもしれないとも思ったのだが、仲間ができて元気になってくれる希望の方が強かった。
孝子さんが暮らした最初の犬の「大吉」も、2匹目の「笑吉」も、成犬になってから迎えたコーギー種の元保護犬である。
子どものときに、保健所に収容された犬が殺処分されてしまう衝撃的な現状を知り、「将来、自分で犬を飼うのなら保護犬」と決めていたのだ。
同級生だった保雄さんと結婚して、地元の駅前にパソコン関係の会社を持った。知人の家に遊びに行ったとき、犬と触れ合う楽しさを知り、子どもの頃から希望していた保護犬を迎えたいという気持ちが湧き上がった。
保雄さんも同意して、動物愛護センターから引き出してきた犬がコーギーの「大吉」だった。

散歩道でのご機嫌な大吉(孝子さん提供)
大吉を迎えた翌日に、動物愛護センターから「飼い主さんが見つかりました」と連絡が入る。たった一日で離れがたい情が湧いていたので悲しくてたまらなかった。ところが、飼い主さんは「家庭の事情で散歩にあまり行ってあげられなくて、脱走してしまったんです。よかったら、このまま飼っていただけませんか」と言う。孝子さんは、泣いて喜んだ。
穏やかな大吉は、会社にも出勤し、近所のグループホームにも遊びに出かける人気者となった。だが、彼はやってきたときにすでにフィラリアの強陽性だった。年齢的に手術は難しく、迎えて3年半後、急に咳が止まらなくなった。すぐさま動物病院へ連れて行ったが、「もうこれしかできない」と注射を打ってもらっての帰りの車中で、息を引き取った。
呆然として何もする気になれない日々、知人が保護犬を連れてお悔やみに来てくれた。その犬は『元気を出して』というように甘えてくれた。
「それがきっかけで、気持ちを切り替えることができました。身寄りのない犬たちのために、いま、自分たちのできることをしよう、と」
譲渡先を探しているサイトで、大吉の面影のあるコーギーを見つけた。ただ「老犬」と記載されていた。その後、コーギーの子犬の里親募集も掲載され、決めかねる孝子さんに、保雄さんは「最初に迎えようと思った老犬にしよう」と言った。

会社の看板犬となった笑吉(孝子さん提供)
笑吉は、元の飼い主さんが独身時代からずっと大切に育ててきた犬だった。だが、結婚して生まれてきた赤ちゃんに犬のアレルギーが判明。苦渋の末、「ベランダ暮らしをさせるより、新しいおうちで可愛がってもらった方が幸せになれる」と譲渡先探しとなったのだった。
「初めて会いにいったとき、初対面の私たちに走り寄ってペロペロなめ、飼い主さんとお別れするときは振り返らず全速力で走り去りました。それは、ママとお別れしなくてはいけなということを察していたからだったと、後でわかりました。」
今、振り返ると、「やってきたときの笑吉の笑顔は作り笑いだった。どんなに葛藤があったことか」と、孝子さんは思う。
やがて、笑吉は心からの笑顔を見せてくれるようになった。
大吉に引き続き、笑吉も近所のグループホームに孝子さんと訪れ、入居者の皆さんを笑顔にした。

グループホームを慰問の笑吉(孝子さん提供)
14歳を過ぎて老いが目立ってきた笑吉のために、もう1匹の保護犬をと探し始め、目に飛び込んできたのが、動物愛護センターのHPに掲載されていた「殺さないで」と必死な目をした野犬の子だったのである。
雑種なので、どのくらいの大きさに育つのかはわからない。譲渡が決まった後、「こんなに大きくなるのは想定外だったと、再び犬をセンターに持ち込むことのないように」など、センターでの教習を受けた。
迎えた子犬は、最初は人と目を合わすこともできず、怖くてブルブル震えていた。

おびえきった目をしていた(孝子さん提供)
「ゆめ」という名をつけてもらった子犬は、1週間で「ここ、気に入った」という顔になり、2週間目は「遊んで」という顔になった。
人間だけだったら、心を開くのはもっともっと時間がかかっただろう。先住の笑吉がゆめのすべてを許し、大きく包んでくれたから、一気に安心したのである。
笑吉も、ゆめが来て若返ったようだった。

2匹で会社に出勤(孝子さん提供)
大好きな笑吉お兄ちゃんと一緒に、ゆめも会社に出勤するようになった。だが、やはり人が怖くてたまらないので、近づくことはできない。名を呼ばれると、怖くて奥の部屋に逃げてしまう。それでも、お父さんお母さん、笑吉お兄ちゃんと一緒に会社で日中を過ごすことに少しずつ慣れていく。
ゆめと笑吉が暮らし始めて2年を迎えようとしていた去年の冬。笑吉が突然ご飯を食べなくなった。ゆめは心配そうにそばから離れない。

寝てばかりいる笑吉のそばを離れないゆめ(孝子さん提供)
別れの時も、ゆめはそばにいた。大好きなお兄ちゃんを失って悲しそうなゆめを見て、孝子さんは涙を拭いて前を向いた。「私が悲しんでいる場合じゃない。山からやって来て、怖いものだらけの暮らしに懸命に慣れようと努力しているこの子を、笑顔にしてあげなくちゃ」
ゆめは留守番が苦手だ。一匹出勤となったゆめを、温かく見守り続けたのは、会社の4人のスタッフたちだった。大きな音が苦手なゆめは、すぐ机の下に逃げ込む。ある日、気がつくと、大きな物音の後、ふだんはけっして近寄らない男性スタッフの足元に来ていた。女性スタッフとの散歩も、今では待ち望むようになった。
「みんなで協力して、ゆめを育てよう、支えようというチームがいつのまにかできあがっていたんです」と、孝子さん。
最近では、パソコン教室のお客さんの足元に、いつの間にかやってきていることもある。犬を飼っている人なら、ことに安心するようだ。
先日の早朝散歩のときのこと。いつもは通らない道で、ゆめが立ち止まる。気になる人がいると、じっと見る癖がこの頃ついた。見つめられたおじいさんは「どうしたんだ」とゆめに話しかけ、孝子さんに畑で採れたばかりの野菜をくれて、「またおいで~」とゆめに手を振った。犬を介してのご町内の交友も増えた

仲良しのカイくんと(孝子さん提供)
孝子さんは言う。
「犬を飼うと、大変なこともあるけれど、それ以上に楽しいこと嬉しいことがいっぱい。早起きやアウトドアの気持ちよさも、犬と暮らして初めて知ったこと。ご近所さんとの会話も増えたし、とにかく毎日笑顔が生まれます」

おやつタイム
ゆめを初めて獣医さんに連れて行ったとき、獣医さんは言った。
「馴れてくれば、こういう子(元野犬)のほうが育てやすいと思いますよ」
その通りだと、保雄さんも孝子さんも思う。ゆめが、ひとつひとつゆっくりと、できないことをクリアして成長していくのに立ち会うのは、なんと幸福な日々だろう。ゆめを助けたと思っていたけど、元気にしあわせにしてもらっているのは、自分たち夫婦のほうだった。

大好きなお父さんとお母さんと
不安が安心に代わっていく過程で、保護犬たちは、その子のペースで一つ一つ着実に飼い主との信頼を積み上げていく。命を張って生き延びていた子たちは、とても用心深く思慮深いのだ。

まっすぐな眼差し
孝子さんが大吉との暮らしをブログに書き始めたのは、3.11の東日本大震災の後からだった。
少しでも人々の気持ちが前向きになればと、犬がくれるささやかな幸せを発信し始めたのだった。今も、ゆめとの日々を「しあわせになるワン!」というブログに綴っている。
そこには、「どこで生まれたかなど関係なく、どの犬も可愛くて、寄り添う人をそれぞれにしあわせにしてくれる。元野犬の子を迎える人がひとりでも増えますように」との思いがこもっている。
佐竹茉莉子
フリーランスのライター。路地や漁村歩きが好き。おもに町々で出会った猫たちと寄り添う人たちとの物語を文と写真で発信している。写真は自己流。保護猫の取材を通して出会った保護犬たちも多い。著書に『猫は奇跡』『猫との約束』『寄りそう猫』『里山の子、さっちゃん』(すべて辰巳出版)など。朝日新聞WEBサイトsippo「猫のいる風景」、フェリシモ猫部「道ばた猫日記」の連載のほか、猫専門誌『猫びより』(辰巳出版)などで執筆多数。
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